リピカの箱庭
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カーティス大佐に告げられたのは予想通り、導師とナタリア姫の身柄が大詠師に拘束されたということだった。彼らを助けださなければ預言通りに戦争が起きるだろう。
「なるほど。ですが、こちらにもやらなくてはならないことがあります」
「そんなことを言っている場合ですか」
カーティス大佐の冷たい視線が刺さる。私はため息をついた。
「そもそも、我々だけで導師とナタリア姫を救出できるでしょうか」
「戦力が足りないと?」
「そうです。相手は戦争を起こしても良いと考える愚か者です。迂闊に近寄ればこちらの命がありません」
そもそも私は死んだと思われているだろうから、殺したところで問題ないのだ。厄介なことに。
「……わかりました。ガイと合流しましょう」
私が協力を渋るのがキムラスカに対する私怨でないとわかったのか、カーティス大佐は頷いた。戦争なんか起きないほうがいいに決まっている。自分がその原因になるなんて耐えられるものか。キムラスカに恨みはあるが、無辜の民に罪はない。
「では、アラミス湧水洞に?」
「幸い同じ大陸ですからね」
「わかりました。こちらも準備をしておきましょう」
「なにをするおつもりです?」
「教団内部の調査ですよ」
カーティス大佐は怪訝そうな顔でこちらを見た。
「どうやってですか」
「やり方はいくらでもあります。戻ってきたらこの宿に寄ってください」
マティアスのことをカーティス大佐に話す気はない。こちらの手札を全て見せるなんてことはしないし、万が一にもアニスにバレたら大詠師にも筒抜けになる可能性がある。マティアスという駒が使えなくなるのはこちらとしても困るし、何より彼の安全を脅かす気はない。
カーティス大佐はいまいち納得していなさそうだったが、何せ時間がない。さっさとガイラルディアを迎えに行ってくれた。
さて、彼らが戻ってくるまでにアリエッタの居場所だけでも突き止めなくては。動けるのは明日からなので、その前に準備をする必要がある。
一つは手紙を書くこと。少し時間がかかるが、特殊なルートと暗号を使っているので私が生きてることがエドヴァルドたちに伝わるだろう。マルクト領までちゃんと届けばいいんだけど。
もう一つは眼帯を新調することだった。死角を解消しないまま敵のアジトに突入するのはリスクが高すぎる。ダアトはケセドニアほどではないがいろんな人が集まってさまざまなものな流通しているので目当てのものはすぐ手に入った。色のついたレンズのような譜石だ。
これに譜を刻んで眼帯に加工する。今までの眼帯よりも目立たないし、音素取り込み量の調節もまあまあうまくいった。これでこちらの視界も音素を通して確保できるだろう。まあ、慣れが必要だけど。
私が宿で眼帯を加工している間、イオンは外に出て色々と調査をしてくれていたらしかった。アクゼリュスの崩落はすでに人の噂に上るレベルで、戦争は確実視されているらしい。
「って言っても、戦争が始まるっていうのは教団の情報操作もあるだろうけどね。モースは預言通りに動かしたがってるわけだし」
「そうでしょうね」
「でも崩落の原因についてはいろんな話があったよ。キムラスカの王族だけじゃなくてあんたも死んだことになってるしね」
「……、私ですか?」
たかだか一貴族の私が死んだところで戦争の原因にはならないだろう。いや、口実にはされるかもしれないけれど、ピオニー陛下は戦争を望んでいないだろうし。そう言うとイオンに呆れた顔をされた。
「何言ってんの?あんた有名人でしょ。『ホドの真珠』がキムラスカに殺されたってなったらマルクト内で開戦論が高まるに決まってるよ」
また懐かしい名前を……。いやいや、そうではなくて。首を横に振ったところで私はグランツ謡将の言葉を思い出していた。
私の身に何かあれば両国の和平はならない――そんなことを言っていた。あれは大げさではなく、もしかして客観的事実だったのだろうか。まずい、昔やたらと目立ってしまったツケがこんなところでも回ってくるとは。暗殺未遂から大人しくしてたし、もうホドグラドを離れて久しいというのに。
「早くグランコクマに戻らないとまずい……ですね……?」
「わかって言ってたんじゃなかったの?」
知りませんでした。イオンからそっと視線を逸らす。深いため息をつかれてしまった。
これは死ななくて結果オーライだったということだろうか。どちらにせよ開戦は避けられないのだろうけれども。ソファに深く身を沈めて胸元を握りしめた。
とはいえ、帰るまで身が持つだろうか。長いこと障気の中にいたせいか、障気蝕害の症状が出始めていた。イオンの見立てでは臓器の機能不全まではないとのことだったが、体調がなんとなく悪いのはずっと続いている。風邪の初期症状みたいなものだ。障気のない外殻に戻ったので進行は止まっていると信じたい。
アクゼリュスにいた患者はどうなっただろうか、とも不安になる。ホドグラドの研究所ではアクゼリュスから移った職員たちによる研究が進められているはずだけれども。それに、私と一緒にずっとアクゼリュスにいたアシュリークも障気に侵されていないか心配だ。その様子は見られなかったけれど、軽いものなら私のように隠していてもおかしくない。
どんなに具合が悪くてもやることはやっておかないと後悔するはめになる。頼れる人なんてほとんどいない。導師とナタリア姫の件はともかく、アリエッタの救出は私とイオンだけで成し遂げなければならない。
彼女がいれば魔物を使役できるのでもしかしたら導師たちの救出が楽になるかもしれない。イオンの硬い横顔を見つめながら、彼のためにもどうか無事でいてくれと願うほかなかった。


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