リピカの箱庭
82

「……レティシア。話の前に一つ聞かせてくれ」
マティアスは紅茶に口をつけないまま私をじっと見つめた。
「我が母を殺したのがガルディオス伯爵、あなたであるというのは真実か?」
私は瞬いて彼を見た。マティアスがそのことを知っているのは、ジョゼットが教えたからか、それとも。
「その通りです。テレーズ・ミレールは私がこの手で殺しました」
「そうか……」
ぎし、とソファの軋む音がする。マティアスはジョゼットと同じ色の瞳をゆっくりと閉じた。
「そうか、まことか。我が父は卿にそこまでさせたのだな。なら俺はその罪を償わなくてはならん」
想定外の言葉に私は一瞬言葉に詰まった。セシル伯爵になるかもしれなかった人は寂しそうな表情をしていた。
「マティアス?なんの話です」
「俺たちが幼いお前に母を殺させたんだ。俺が逃げなければ他の道もあったのかもしれない。お前にあの母を押し付ける以外の道がな。キムラスカの手の者から聞いたとき俺は心底後悔したよ」
やはり、マティアスにこの話を吹き込んだのはキムラスカか。追放しておいてムシのいい話だとは思うけれど、彼らの狙いはどうだったのだろう。つい尋ねてしまっていた。
「憎悪ではなく?」
「お前を憎むことなどあるものか、かわいそうなレティシア。一人きりの幼いお前は逃げることもできなかったんだから」
幼い頃からあんなに周囲の同情を利用してきたのに、マティアスのその言葉はひどく鋭く胸に刺さった。逃げることもできない、確かにそうだった。ガイラルディアが戻ってくると信じていた私はあそこでただもがくしかなかった。逃げる道なんて最初からなかった。
逃げ出して、安穏を手に入れたマティアスとは正反対だ。
「話をしてくれ、レティシア。面倒ごとだろう?俺の今が役に立つならなんでもしてやろう」
「それが……あなたの贖罪ですか」
「そうだ。だからお前は俺を利用すればいい」
私の罪悪感を拭うためのものなのか、それとも本心で言っているのか。どちらにせよ、妻子やジョゼットを盾に取る必要はなさそうだ。穏便に話が進むならそれに越したことはない。
アクゼリュス崩落の話――グランツ謡将の何らかの陰謀をこれまで判明している範囲で話すとマティアスは眉をひそめて唸った。国家どころか世界規模の話なので無理もない。
「つまり、総長は外殻大地を崩落させようとしているってことか」
「その可能性が高い、ということです」
「それに六神将も加担していると。神託の盾騎士団もいよいよやばいかね。参ったな」
「逆にいえばダアトが最も安全かもしれませんよ。なにせ膝元ですから」
「崩落するにしても最後ってことか。あり得るな」
というか神託の盾騎士団の内情がわかるマティアスに安易に離反してほしくないのもある。今からケセドニアなんかに行っても結局崩落してしまうだろうし。
「それで、探し人は元導師守護役か。言ってはなんだが、殺されている可能性もあるだろう?」
「目星はつけています。魔物がいる師団がありますね?」
「ああ、第三師団な。その元導師守護役に魔物使いの才能があるならいるとしたらそこかもしれない。それに、最近は魔物の数が減っているからな」
ふむ。魔物の数が減っているというのはタルタロス襲撃時に使われたりしたからだろう。補充はできていないのだろうか?そもそも、カヴァティーナという人物がどう魔物を操っているのかが不明だ。アッシュには聞きそびれてしまったし。
「……なんであんたが魔物の数なんてわかるんだ?第三師団所属なのか」
黙って従者のふりをしていたイオンが口を開いたので私は思わず振り返った。くつくつと愉快そうにマティアスが喉を鳴らして笑う。
「こちとら補給の元締めだ。魔物のエサだって把握してるさ」
「ってことは幕僚部か」
マティアスは師団に所属しているというよりも、後方支援担当のようだ。貴族の長子として育てられてきたのなら戦いのなんたるかというよりもそういう管理系の技能が身に着くというのはよく分かる。しかし、なるほど。よっぽど巧妙に隠蔽されていない限りは何かが起きていれば物資の数字も動く。俯瞰するのにちょうどいいポジションということだ。
「わかった、自由に動けるように手配しよう。服がいるな、服が」
「手に入るんですか?」
「はは、幕僚長舐めるなよ。どうとでもしてやる」
……思いのほか職位が上だった。いい家住んでるなとは思ったけど!従兄殿が優秀で大変助かります。
「俺の部下としての身分も用意しておこう。レティシアだと目立つからジョゼットの名前を借りるか。そっちの従者殿の名前は?」
「ノイでいい」
「ノイか、了解。明日には動けるはずだ。今日はうちで休んでいくといい」
マティアスはそう微笑んでくれたが、この後は一度カーティス大佐と合流する予定だ。あと奥方が身重なのに知らない人間が二人も泊まるのは負担だろう。そう伝えると困ったように眉を下げられた。
「別に遠慮しなくてもいいけどな。適当な宿紹介するか?」
「では、お願いします」
その好意は受け取っておいた。私は土地勘があるわけではないし、イオンもダアトの街自体には詳しくない。高級すぎず、さりとてセキュリティにも問題ない宿を知らないところから探すのは面倒だ。
カーティス大佐との待ち合わせ場所に行くと、珍しく焦った様子の大佐が待ち構えていた。……やっぱり避けられなかったか。


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