リピカの箱庭
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ワイヨン鏡窟から戻ってすぐ、ダアトへ向かうことになった。地震があったことから、外殻大地の崩落が始まったと考えられるということらしい。実際そうなっているのだろう。消されたのは南ルグニカのセフィロトツリーだし、マルクトの領土が危ないとなればこちらものんびりはしていられない。
「というわけなので、ノイ。アリエッタを探すにしても私は長くはダアトに滞在できません」
そう告げると、イオンは予想はしていたかのように硬い表情で頷いた。とはいえ、物語ではこの後導師とナタリア姫が大詠師モースによって軟禁されるという展開だったはずである。それを回避しようとしてもそもそも戦争を止めるために導師は教団本部に戻ろうとしているわけで、そこに大詠師が待ち構えていてあなたを軟禁しようとしていますよ、なんて言うわけにはいかない。ナタリア姫のことについてもそうだ。彼女を理由なしにマルクトに連れて行くのは不可能だろう。なので、一度捕まってもらってから助け出すという面倒な手順を踏まなくてはならないわけだ。身分のある人間はこれだから厄介だ。
つまり、その救出にかかる時間を考えるとダアトに導師とナタリア姫を送り届けて即マルクトへ向かうということはできないはずなので、アリエッタの捜索には多少なりとも時間をかけられる。それでもすぐに見つけなければ――あるいはいるかいないかの見当はつけなくてはならないだろう。
まあ、こちらに手がないわけではない。
「ですが、ダアトには知り合いがいますので内部の状態は多少わかるでしょう」
「知り合い?教団のやつ?」
「神託の盾騎士団の兵士です」
イオンは渋い顔をしたが、無理もないだろう。信用できるの?と視線だけで尋ねてくる。
「信用できるかはともかく、利口になってもらうことはできますよ」
「……なにその悪いカオ。ろくでもないこと考えてるよね」
「非常事態ですから」
何せ、ここからのことは考えていなかったのだ。行き当たりばったりでもどうにかするには手段を選んではいられない。
頭の中で算段を立てつつ、私はソファに身を沈めて目を閉じた。

そんなわけでダアト港でアッシュと分かれた後にダアトに向かい、着いてすぐに私とイオンは他の四人と別行動を始めた。カーティス大佐みたいな面倒な人を引き連れて向かいたくないし。事情は話してあるし、合流場所も決めてあるから大丈夫だろう。
「で、知り合いって結局誰なのさ?」
「従兄です。マティアス・セシル」
「あんたの従兄ってことは、キムラスカの元貴族か」
その知識は導師時代に得たものだろうか。私は微笑んで頷いた。
「つまり、ジョゼットの兄……だよね。ダアトに亡命してたのか」
「マルクトへの亡命よりは容易いでしょう。着きましたよ」
たどり着いたのは一軒の民家である。神託の盾騎士団に所属するマティアスが非番かどうかは知らないが、もしそうでなければ家の人に言伝を頼めばいいだろう。呼び鈴を鳴らすと幼い女の子が顔を出した。エゼルフリダよりは年上だろう。
「どちらさま、ですか?」
「こんにちは、お嬢さん。私はレティシア・ガラン・ガルディオスといいます。お父さんはお家にいますか?」
マティアスの子どもだろう、多分。そう思って尋ねると女の子はこくりと頷いて家の中へ呼びかけた。
「おとうさーん!おきゃくさん!」
「ああ、ちょっと待って……こら、走るんじゃない。ああもう……」
子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてきて微笑ましくなる。マティアスはここでいい家庭を築いているようだ。
しばらくして玄関に辿り着いたマティアスは、私を見て目を丸くした。
「お前……」
「久しぶりですね、マティアス。息災でなによりです」
「レティシア……!無事だったのか!?」
「おや、アクゼリュスのことはもう聞いているようですね。なら話は早い。中に入っても?」
見上げると、マティアスはひどく真剣に私を見てから頷いた。きっと彼もわかってしまったのだろう。アクゼリュスの領主だった私が、崩落で死なずに生き残って、そしてここにいる。ひどく面倒なことに巻き込まれようとしているのを。それでも応接間に案内してくれたのだから、一段階目はクリアといっていい。
「お父さん、お客さん?」
「ああ。フェル、お茶を淹れてきてくれないか」
「はーい……」
最初に対応してくれた女の子より年上の少年がこちらをちらちらと見上げてくる。眼帯が悪目立ちしているのだろうか。うーん、髪型変えたほうがいいかな。
「妻が身重でしてね。大したもてなしはできませんが」
「急な訪問になったのはこちらですから。それに長居するつもりはありません」
応接間のソファに腰を落ち着ける。イオンはずっと従者ですと言った顔で黙ってついてきていた。さすがにフードは取っているが、分厚い眼鏡と長い前髪で顔はろくにわからないだろう。これもダアトで目立つのはまずいと思って用意したものだ。
「口調は改まらなくて構いませんよ、マティアス。いえ、マティアスお兄さま?」
向かいに座ったマティアスにそう声をかけると、彼は深いため息をついた。
「俺が貴族でなくなったのはずいぶん前の話なのだけどね、レティシア。お前はそれを許してはくれないのか」
「今回は事情が事情です。こうして暮らしているあなたのところへ押しかけるつもりはありませんでした」
そこで言葉を切ったのはドアがノックされたからだった。女の子がドアを開けて、後ろから少年がティーセットを載せたトレイを持って入ってくる。
「ありがとう」
この眼帯がいかついのは仕方ないので、せめてと微笑んで見せると少年は驚いたように肩を震わせた。
「ど、どういたしまして!」
「はは、フェル。レティシアが美人だから緊張してるのか?」
「ちがうよ!えっと、えらい人だから」
私はつい自分の服装を見下ろした。相変わらずアシュリークの上着を借りっぱなしだが、実用性重視の騎士服には華美な装飾もない。どこがそんなに偉そうに見えたのだろうか?
「まあ、確かにえらいな。といってもお前の叔従母だ。緊張しなくてもいい」
「いとこおば?」
「父さんの従妹ってことだよ。さ、父さんは話があるから」
促されて兄妹は部屋を出て行った。ドアを閉める前にぺこりときれいなお辞儀をしたので、貴族でなくなったとはいえマティアスもそれなりの躾をしているのだろう。
心が痛む。私はマティアスの大切なものを壊すかもしれない人間だ。それこそ、もう彼はセシル伯爵家の人間ではないのに。


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