リピカの箱庭
80

タルタロスの打ち上げはあっという間だった。私はまだ怪我人扱いで操縦席に座らせてもらえはしなかったが、まあいい。ベルケンドの街へ降りるとすっと胸が軽くなった。そういえば、障気のない場所へ来るのはずいぶんと久しぶりかもしれない。
譜業が盛んなキムラスカの街はマルクトのそれとは雰囲気が違う。それ以前に私がキムラスカの国土を踏むのはこれが初めてだ。ちらりとカーティス大佐を見やると彼はこんな時でもマルクト軍服を着て堂々としていた。これくらい堂々としていれば怪しまれないのかもしれない。
「第一音機関研究所に行く。ヴァンのやつはよくあそこを利用していたからな」
そう言うアッシュに先導されて向かった研究所にはスピノザという研究者がいた。その研究者が口を滑らせた「保管計画」――レプリカの情報を集めてこの世界をすべてレプリカに置き換えるそれを、グランツ謡将は着々と進めている最中なのだろう。
更に情報を集めるということでアッシュはワイヨン鏡窟に行くと言ったが、そこで声をあげたのはガイラルディアだった。
「俺は降りるぜ」
「……どうしてだ、ガイ」
驚いたように、あるいは傷ついたようにアッシュがガイラルディアを見る。そんな感情は関係ないとばかりにガイラルディアは言い切った。
「ルークが心配なんだ。あいつを迎えに行ってやらないとな」
「呆れた!あんな馬鹿ほっとけばいいのに」
そういうアニスはすっかりルークを見限っているようだ。反論しないあたり、他の面々も似たようなものなのだろう。導師だけは何か言いたげにしていたけれど。
「馬鹿だから、俺がいないと心配なんだよ。それにあいつなら……立ち直れると俺は信じてる」
真っすぐな言葉に胸がざわついた。これは嫉妬だ。ナタリア姫が何か言い募るのも耳に入らないくらいには余裕がない。本音を言えば、ガイラルディアについて行けたならどれだけいいだろうかと思う。少しの間だとしても、カーティス大佐もキムラスカの者も誰もいないところで二人きりになりたい。でもまず向かわなくてはならないのはダアトだし、カーティス大佐が私の別行動を許してくれるとも思わない。
私は耳に手をやった。ピアスを外して手のひらの上に転がす。
「セシル殿」
アッシュにアラミス湧水洞に行けばいいという助言を受けてさっさと歩きだしたガイラルディアを追いかけて声をかける。振り向いた手を取ってピアスを握らせた。
「ガルディオス伯爵、これは……」
「あなたには恩がありますから」
宝石のついた装飾品はこういうときに売り払って使うためのものだ。ガイラルディアも手持ちが多いというわけではないだろう、そう思って渡したのだけど、ガイラルディアは渋い顔をしていた。
「また会ったときに返す」
周りには聞こえないようにささやいてガイラルディアはピアスを握り込んだ。あまり渋っていると怪しまれるとでも思ったのかもしれない。
「ガイ」
「気をつけろよ、レティ」
それじゃ意味なんてないのに、ガイラルディアはもう身を翻して行ってしまった。ちょっとむっとする。私はガイラルディアに会いたかったのに、ガイラルディアはそうじゃないのか。でもいつまでもその背中を見つめているわけにはいかなくって、私も踵を返してタルタロスへ戻っていった。

ワイヨン鏡窟へは迷わずに辿り着けたが、入り口でひと悶着あった。導師が中に入りたいと言ったのをアニスとアッシュがとどめたのだ。そりゃそうだ。他人事のように眺めながら下船しようとするとイオンが立ちはだかってきた。
「あんたも残っててよ、伯爵」
「え?」
「え?じゃないよ。怪我人の自覚ないの?」
「もう大したことありませんし、戦えますが」
「そう言って無茶するんだよね」
「ガラン、お前も来るんじゃない」
アッシュまで言い始めて私は困惑した。そんなによわっちく見えるとしたら大変遺憾である。
「いいから!あったことは僕が報告するし。大人しくしててよ」
「私が大人しくないような言い草ですね」
「大人しいやつは死にかけないからね」
ふん、と鼻を鳴らすイオンは私を下船させる気はさらさらないらしい。これ以上言っても無駄だと悟って今回はこちらが引いてやることにした。
別にカーティス大佐やアッシュが私に偽りを伝えると思っているわけではないが、まあこちら側の人間もいた方がいいだろう。それに導師を一人残すのも安全上問題があるかもしれないし。
ワイヨン鏡窟へ入っていく彼らを見送って、私と導師は顔を見合わせた。
「お茶でも飲んで待っていましょうか」
「そうですね……」
導師もついて行きたかったのだろう、元気がない。子どもにそんな顔をされると何かした方がいい気がしてくる。
宣言通りお茶を淹れて、私は艦内の一室で導師の向かいの席に腰を下ろした。相変わらず船は苦手なので落ち着かないが、導師の前でそんな素振りを見せるわけにはいかない。ガイラルディアがいたときは平気だったんだけど。
「そういえば導師殿は随分とルークと仲が良いようですね」
「えっ、……そう、ですね」
「ああ、責めているのではないのです。ただの感想というか」
ガイラルディアが抜けると言ったときの光景を思い出す。話の取っ掛かりにしては、ルークの話題はちょっとナイーブだったか。
導師は目を伏せて、それかは呟くように話し始めた。
「ルークは優しい人だと僕は思います。彼のしたことは許されませんが、それを言えば僕だって同じですから」
ダアト式封咒を解いたことを言っているのだろう。そういう話をしたいわけじゃないので私は慌てて首を横に振った。
「ですから、ああそうだ、導師殿はバチカルでルークと知り合ったのですか?」
「いえ、エンゲーブです。話せば長くなるのですが……」
「時間はありますよ」
そう言うと導師は少しだけ微笑んで頷いた。エンゲーブで起きた出来事からバチカルに向かうまでをかいつまんで説明されて、私は首を傾げるはめになった。
そう、タルタロスが拿捕されたときの話である。魔物の群れに襲われた――というのは私の知っている通りで、だからおかしいのだ。
アリエッタは神託の盾騎士団にはいなかった、なのに魔物を操ることができる者がいる。しかもあろうことかその人物も六神将の一人らしい。別に六だろうが五だろうが構わないのだけど、アリエッタと同じように魔物に育てられたなんて生い立ちの人物がたまたまいるだなんてあり得るのだろうか。
「カヴァティーナですか?彼女はもともと研究者だったと聞いていますが」
導師に尋ねてみたが、彼も詳しくないらしい。戻ってきたらアッシュにでも訊いてみようか。答えてくれるかはわからないけれども。


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