リピカの箱庭
72

階下に降りるとナタリア姫が自分で言った通り怪我人の治癒に当たっているのが見えた。人手は足りないので第七音譜術士は何人いても助かる。
とはいえ彼女のような高貴な身分の、何かあればすぐ外交問題に発展するという意味で扱いにくい人材よりは、ほかの治癒術師が来てくれたほうが助かるのも事実だけれど。大使たちの行動を制限したのは彼の引き起こすこの街の滅びを知っているのもあるが、何かあれば私の手に負えないのも本当だった。
「ガラン、あの姫さんどうすんだよ」
ナタリア姫に何か言われたのか、私を見つけたアシュリークがどこか安心したように、しかし困惑しながら声をかけてくる。私は肩を竦めた。
「ここで大人しくしてくれているならいいだろう。勝手に出歩かれるよりはマシだ」
「つっても、キムラスカの王女なんだろ?手伝われてもな」
今のところは現場の指示に従ってくれているものの、面倒だという表情がありありと出ていて私は苦笑した。
「やはり私が残ろう。お前は次のヘイリー隊を護衛しなさい」
「親善大使が来たら避難するって言ったのはお前だろ?ここに残るのは危険だ」
「高貴な方々は何をしでかすかわからないからな。彼らがお前の指示に従わないのは火を見るより明らかだ。それに、私が先に避難することでとやかく言われたくはない」
「それはそうかもしれないけど」
アシュリークはすぐには頷かなかったが、もともと彼をここに残す気は無かった。説得のための言葉を重ねる。
「カーティス大佐もグランツ謡将もいるんだ。問題ないさ」
「……はあ、わかった。確かにあの大佐がいるしな」
皇帝の懐刀ことカーティス大佐の信頼は絶大らしい。これくらい役に立ってもらわねば困る。私はそれで決まりと話題を転換させた。
「とりあえず大使殿にはしばらくお休みいただく。部屋の準備を頼む。人手は適当に使って構わない」
「はいはい。そんな広くもないんだけどな、この屋敷」
ただでさえ負傷者や病人も受け入れているのだ。ほとんど避難させたとはいえ、部屋数としては十分ではない。応接間も今は避難所にしているので親善大使一行を階上の執務室に通さなくてはならなければいけなかったほどだ。
「大使殿もこれまで旅されてきたんだ、多少の不便は目を瞑ってくださるだろう」
不便な旅をしてきたからこそここではまともなもてなしを期待していたかもしれないが、ないものはない。申し訳ないがこちらにはリソースが足りなさすぎた。
「とりあえずゲストルームは一部屋二人に振り分ければいい。大使殿と使用人のセシル殿、導師殿と導師守護役のタトリン奏長だな。姫君は一部屋、カーティス大佐には悪いが空いてるヒルデブラントの部屋を使ってもらおう。グランツ響長は先遣隊の神託の盾騎士団の宿舎に行ってもらう」
「わかった。じゃあ先輩の部屋除いたら三部屋だな。……って、グランツ響長ってティアのことだよな」
大使一向に混じっていたメシュティアリカにアシュリークも当然気がついていたらしい。――アシュリークが知っているのはメシュティアリカだけだ。ちらりと周りを気にしてから声をひそめる。
「ティアってグランツ謡将と血縁なのか?」
「さてな。アシュリーク、彼女は神託の盾騎士団の人間だ。我々とは関係ない」
「いや、あるだろ。数年前まで一緒に暮らしてたんだし冷たいこと言うなよ。お前に限ってないと思うけど、もしかしてティアが神託の盾を選んだのが気に入らなかったのか?」
そう言われて自分にも余裕がなくなっているのかもしれないと気がついた。冷たすぎる言い方にアシュリークは気になってしまったらしい。私はこめかみを揉んで首を横に振った。
「そんなことはない。残念だとは思っているけど」
「だよなあ。ティアに声かけてやれよ、お前に懐いてたんだからさ。それにちょっとくらい特別扱いしたっていいじゃんか」
暗にこの屋敷に泊まれるよう部屋を与えてやれと言われてつい黙ってしまった。まあ、そうだ、彼女の任務の一つに親善大使のお守りはあるかもしれない。
「ルゥの部屋でいいだろ?ルゥだって文句言わねえよ」
「わかったわかった、好きにしなさい。グランツ響長の仕事の邪魔はしないように。それにあまり大使殿をお待たせするんじゃないぞ。執務室にお通ししているから終わったら案内を頼む」
「おう」
アシュリークは頷いて準備にとりかかった。私は救護所へ視線を向ける。
アシュリークの手前ああは言ったものの、ナタリア姫が何か問題を起こすとは思えない。カーティス大佐のお墨付きも得ているのだ、そう気にしなくていいだろう。
問題は大使――ルークの方だ。大人しく待っていてくれるだろうか。私はため息を押し殺してから歩き始めた。
「ガルディオス伯爵、どこかへ行かれるのですか?」
「ええ。グランツ謡将にも親善大使殿のご到着を伝えなければなりません。それに崩落の様子も確認しておきたいので」
坑道ではたびたび崩落が発生している。それでもグランツ謡将が坑道での救護と不明者の救出活動をやめないのは――いや、よしておこう。
私に声をかけてきた神託の盾の救護兵は頷いた。
「かしこまりました。申し訳ありません、本来なら伝令はこちらの任務なのですが」
「かまいません。諸君がこの街のために尽くしてくれているのを理解しているつもりです」
避難者の護衛のために神託の盾騎士団やキムラスカ兵は一部街から出て行っている。そのことに起因する人手不足に今更何をいうつもりもない。
さて、と私は屋敷を出て歩きながら思考を巡らせた。役者は揃ってしまった。人気のない街を見回す。住民はほぼ避難しており、重病者とその世話をする者、救出作業を手伝う者、最後まで残ると主張を続ける者――そんな人々だけが残っている。その大半も次の避難隊でこの街を出て行くのだろう。
それで私の仕事は終わりだ。
最後に、姿を見られた。声を聞けた。それだけで十分だった。屋敷を見るとそこにいることが感じられる。何年ぶりの感覚だろうか。生まれ育った屋敷とは全く違う場所で、私は一瞬だけ二人の部屋に戻った気がしていた。二人でいる場所が私の居場所なのだろう。ずっと迷子だったのだとようやく気がついた。
「――」
でも、名前を呼ぶことはできない。
風が吹いて障気が押し寄せてきて、私は口元を覆った。
「げほ、ごほっ」
咳き込むと身体中に痛みが走る。周りに誰もいないことを確認してから止めていた足を動かした。まだ立ち止まれない。あと少し、動いてくれないと困る。
「ガルディオス伯爵」
坑道へ行くとグランツ謡将が外で指揮を取っていた。私は会釈をして乾いた唇を開いた。
「先ほど親善大使殿ご一行がご到着されました」
「そうですか。ご様子はいかがでしたか?」
「皆さま怪我はないようでした。親善大使殿はあなたにお会いしたそうにしていましたが」
グランツ謡将は目を細めた。その感情は複雑に入り混じっていて、どんなものかは言い表せなかった。ただ、なんとなく――彼がルークを使おうとしているのは分かってしまった。
「ファブレ家の方とは交流がありまして。親善大使殿は見知らぬ土地で心細い思いをされているのかもしれません」
まるで言い訳のようだ。私はつとめて表情を変えずに告げた。
「ですが大使殿をこちらにお連れするのは危険です」
「承知しております。明日、最後の避難隊が出立した後にお会いいたしましょう」
「わかりました。その後の指揮はお任せします」
頷きながら内心安堵する。あとは住民たちの避難を終えるだけだ。
「お気をつけて」
グランツ謡将がそう言うのに私は黙って頷いた。


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