リピカの箱庭
幕間14

廃工場で待ち構えていたナタリアにルークはうんざりしていた。ヴァンとともに向かうこともできず、挙句この口うるさい幼馴染がついてくるなんて。決定を下したのが自身だとしても、脅したのはナタリアだ。城でおとなしく待っていればいいのに、それができる性分でないことは嫌というほどわかっていた。
「ホントに、なんだってんだよ……」
それでも零れる愚痴を見逃さないのもナタリアだ。先走る気持ちを体現するように先行していた彼女が振り向いて胸を張る。
「ですから、王女の私が城でのうのうと待っているわけにはいきませんのよ」
「……待ってればいいのになー」
ポツリとつぶやくのはアニスだが、ナタリアの耳には入らなかったらしい。「それに、」と彼女はどこか楽しそうに続ける。
「アクゼリュスにはガルディオス伯爵がいらっしゃるのでしょう?」
暗い工場の中、ナタリアは華やかに微笑む。一方ルークは首を傾げていた。
「アクゼリュスのガルディオス伯爵って、伯父上も言ってたけど。有名人なのか?」
親善大使として自分が向かう理由の一つにそのガルディオス伯爵とやらがアクゼリュスにいることがあるような言い方だった。ルークは謁見の間での会話を思い返してみる。「――現在アクゼリュスを治めているのがガルディオス伯爵だ。ファブレ家の息子であるお前が行くことに意味があるのだよ、ルーク」国王がそう言ったとき、真意を問いただす時間もなかった。父親の表情はどんなだっただろうか。思い出す前にナタリアの呆れた調子の声が降ってきた。
「もう、知りませんの?ガルディオス伯爵といえばホドの領主ですわ」
「ホド?」
「まさかホドも知らないなんて言いませんわよね」
言います、とは言い出せない雰囲気にルークは沈黙した。助けを求めるためにガイに視線をやったが、いつもの優しい瞳と目が合うことがない。ぱちくりと瞬いていると助けは別のところから差し伸べられた。
「十六年前に始まったマルクトとキムラスカの戦争、その発端になったのがホドよ。今はもうないのだけれど」
静かに告げたのはティアだった。意外に思いつつ、疑問が首をもたげていた。
「もうないってどういうことだ?」
「海に沈んだの。理由は――分からないわ」
「我が国と帝国側で言い分が異なるのです」
それは帝国が嘘を言っているんじゃないのか。ルークは自然にそう思ってジェイドを見上げたが、眼鏡の奥の瞳とはやはり視線が合うことがなかった。どうにもおかしい。違和感を覚えながら話を続ける。
「じゃあもうない場所の領主がなんでアクゼリュスにいるんだ?」
その疑問にナタリアは詰まったが、代わりに答えたのはジェイドだった。ポケットに手を突っ込みながら、いつもの薄笑いはなりを潜めている。
「勅命ですよ。ガルディオス伯爵はその働きを認められ、皇帝の直轄地を任せられたということです」
「働き?」
「ガルディオス伯爵は戦災難民のための街を作ったのです。素晴らしい理念の持ち主ですわ!一度お会いしたいと思っていましたの」
ナタリアが気に入るような人物なら間違いなく自分とは合わないだろう。やる気のない声がこぼれそうになるのを抑えながら、とはいえ自分が親善大使なのだからと気分を奮い立たせる。そのガルディオス伯爵とやらだって、自分の言うことを聞くはずだ。
そんなルークを見て、ナタリアは弾ませていた声をひそめた。何かを懸念するように。
「ルーク、務めは果たしてくださいね。……十六年前のホド戦争で、ホドを攻めたのはファブレ公爵ですわ」
「え……?」
「ファブレ公爵家の息子であるあなたがホドの領主であったガルディオス伯爵を助けることにより過去の禍根を洗い流す。そういう話ですよ」
ジェイドの冷静な声が、がらんどうの工場に冷たく響く。思いもよらない話に、ルークは言葉を失った。父親が戦争の指揮を取っていた――考えてみれば当たり前のことだ。けれど戦うことに嫌気がさしていたルークにとっては衝撃的なことで、そしてその戦争のツケを自分が払わなくてはならないような言い分に困惑する。
「俺は……関係ないじゃんか」
十六年前なんて、生まれたばかりの頃だ。その時の父親の行いになぜ自分が関係するのか。「ルーク!」厳しい声が飛んできて、ついでに顔も近づいてきた。
「あなた、自分が親善大使という自覚はあって?関係ないなんて言わせませんわ」
「でも、父上のやったことなんて」
「あなたがそう思っても、周りは思わないのです。家とは一つの共同体ですわ。もちろん、国も。今回のあなたの働きが両国の和平につながるとはそういうことなのです」
説教じみた言葉にルークは顔をしかめた。こういうときはとりあえず分かったように言っておけばいい。それに、よく考えれば父親が何をしていようと自分のやることは変わらないのだ。
――英雄になる。そのために、アクゼリュスを救う。ヴァン師匠との約束通りに。
「わかったよ。ちゃんとやるから安心しろって」
「本当に?」
「しつけえなあ。ほらさっさと行くぞ!」
やるべきことくらいわかっている。ずんずんと歩き出す自分の背後から突き刺さる視線は気にしないようにして、ルークは戸惑いも全て押し込めた。ガイを見ると今度こそ目が合って、肩を竦められる。ほどほどにしておけよ、ルーク。宥めるような仕草にいつも通りに戻ったことを感じてルークはようやく安心した。


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