リピカの箱庭
幕間13

胸元に手をやると硬い感触がしてティアは息を吐いた。二つあったペンダントトップはもう一つしかない。馬車代のために手放してしまったからだ。
ルークのことを恨む気持ちはなかった。それでも、自分の迂闊さを呪いはする。超振動で見知らぬ土地に飛ばされたのも、馬車を使って首都へ戻ろうとしたらマルクト側だったのもすべて自分のミスだった。
一瞬、グランコクマにまで行ってしまえばなんとかなるのではないかとも思ってしまった。ガルディオス伯爵はアクゼリュスへ行ってしまったが、ホドグラドには見知った人もいるし、そこからガルディオス伯爵に連絡を取れるだろう。でも、伯爵に迷惑をかけることはできなくて、なによりティアはもうメシュティアリカではない。その名前を選ばなかったのは自分だ。
「ティア?どうかしたかい」
声をかけてきたのは金髪の青年だった。その瞳の色を見ると、どうしても伯爵のことを思い出してしまう。こうやって自分を気にかけてくれるのも彼女によく似ていた。眠れない夜に寝かしつけてくれたのは、兄と伯爵だけだ。
「なんでもないわ。気にしないで」
そんなに沈んだ顔をしていただろうかと思って、ティアは微笑んでみせた。失くしたペンダントはもう戻ってこないのだ。あのころとの唯一の繋がりを失って感傷的になって、ガイに心配をかけるなんて情けない。
「ルークが何かしたんじゃないか?」
「大丈夫よ。ルークの事は気にしていないわ」
貴族というくくりでルークを見ていたせいで最初に面食らったのは確かだった。ティアにとっての貴族はガルディオス伯爵で、あれほど厳しくて優しい人をティアは知らない。全てを選んで、選ばせる。預言に頼りきりのユリアシティやダアトの住人たちとは正反対の人だった。
屋敷から出たことがないというルークは、彼女よりもよほど自分に近いとティアは感じていた。ユリアシティから出てきたばかりの自分だ。あそこまでわがまま放題だったとは思いたくないけれど、ひどく世間知らずなのは同じだった。
「ねえ、聞いてもいいかしら」
「なんだい?俺に答えられることなら」
「ルークのお父様ってルークに似ている?外見でなくて、性格とか」
一瞬ガイの顔がこわばったのにティアは気がつかなかった。いつもの穏やかな瞳でガイはすぐ肩をすくめた。
「いや、全然似てないね。そもそも旦那様はお忙しいから俺もそんなにお会いすることはないんだけれど」
「そうなの?」
「そうだよ。……心配なのはわかるけど、ルークだって悪いようには言わないさ」
バチカルの屋敷までルークを送り届けたときのことを心配しているのだと思ったのだろう、ガイはそう続けた。ただファブレ公爵が貴族としてどんな人物が気になっていただけだったティアは視線をさ迷わせた。
「ルークだって君に感謝しているだろうさ。何せ外に出たいが口癖だったんだから」
「……でも、危険な目にあわせてしまったわ。人を斬ることだって、ルークは」
「ルークには守られる選択もあっただろう。ルーク自身が選んだんだ。君が気に病むことじゃない」
ガイはゆっくりと瞬きを繰り返しながらそう言う。彼がルークにとってただの使用人ではないことにティアは勘づいていた。少なくともガルディオス伯爵家の騎士や使用人達の中で、庇護者のような瞳で主人を見る者はいなかった。
それに、ガイはたまにひどくきれいな所作を見せる。どこか違和感があって、けれどどうしてかそれがしっくりくる。
「あなた、私の知っている人に似ているのね」
「うん?」
ティアが思わずぽつりと漏らした言葉にガイは首を傾げた。
「もしかして、ヴァン謡将のことかい?」
「兄さんじゃないわ。私が……すごくお世話になった人よ」
「へえ。俺も君を見ていると懐かしい気持ちになるな」
思いもよらない言葉にティアは瞬いた。ガイとは初対面のはずだし、なにより女性恐怖症のガイに自分を見て懐かしくなるような思い出があることが意外だった。もしかしたら恐怖症になる前の話なのかもしれないとすぐに思い直す。
「俺のよく知ってる人に、似ている気がするんだ。少しだけどね」
「どんな人かしら?」
大切そうに紡がれた言葉にそう訊いてしまっていた。心に秘めた、言うつもりはなかった、そんな感情が零れ落ちたように思えたけれど。ガイがそんなふうに言うのは珍しいと、短い付き合いでもわかったからだろうか。抑えきれなかった好奇心にティアは言ってから後悔した。
「一人でなんでもしようとする、しっかりしてるけど意地っ張りな……そんな子だよ」
細められた碧い瞳は確かにティアを見てはいなかった。「だから、」ガイはそこで言葉を切った。続きが聞けることはない。ティアはやはり踏み込むべきではなかったと口を噤んだ。伯爵に似ているから、それだけの理由で親近感を覚えるなんて失礼な話だった。
「……軍人の君に失礼なことを言ったかな」
「ううん。いいのよ、わかってるわ」
「そっか」
そう呟いてガイは海に視線をやった。船が白波を立てて進む音だけが響いている。それは気まずさではなかったが、ティアはそっとその場を離れて甲板へ向かった。ガイが一人になりたがっているような気がしたから。
船首までたどり着いてティアは足を止めた。ぼんやりと海の色を眺めて、意識的にガイのことから思考を逸らし、もう一度失った宝物を思い出していた。手すりを持つ手に力を込めて、唇だけを動かす。譜歌を褒めてくれたあの日のことを脳裏に浮かべると自然と表情を緩めていた。


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