胡蝶の舞
幼少期編-4

一度ダミュロンに外に連れ出された後、私は寝込むことになった。街で悪い風邪でもひっかけたのか知らないけど、朦朧とした意識の中でかなりしんどい思いをしたことは覚えている。そのせいでしばらく庭どころか部屋の外にすら出してもらえなくて死ぬほど退屈だった。
久しぶりに会ったダミュロンはもしかして外に出たのがばれて軟禁されていたのではないかと心配してくれたけど、そんなことをするのなら最初からザル警備なんてしてないだろう。
しかし、そんなことがあったせいかダミュロンが外に連れ出してくれることはなくなってしまった。かわりに外で買ってきたおやつを食べさせてくれたりするが、また連れ出してはくれないだろうか。
「レティがもう少し大きくなるまでおあずけだな」
「おおきくなったら、ダミュだっこできない」
「いやいや、レティがどんだけ大きくなっても平気だぜ?女の子なんて片手で抱えてやるって」
むくれていたらごまかすように抱えあげられた。ほんとかな。今の私から見たら大人なんて誰も彼も大きくて大差ないが、ダミュロンはすごい体格がいいというわけではないので私の身長がそこそこ伸びたらさすがに無理だと思うんだけど。
母親は病弱なこともあって線の細い深窓の奥様なのでそっちに似たらダミュロンくらいでも抱き上げられるだろうが、父親はどうか知らないし。私の髪や目の色なんかは母親とは全く似ていないのでおそらく見たことのない父親譲りなのだろう。
「……ダミュ、やくそくする?」
「するする。そうだな、レティの身長がこれくらいになったらな」
そうやって手で指ししめしたのがダミュロンと同じくらいの高さだったのでからかわれたのが分かって私は手近にあったダミュロンの髪を引っ張った。「痛い痛い、ハゲるって!」悲鳴が心地いいが、うるさくすると使用人にバレるぞ。
「ダミュ」
「わーかったって。でもきっとその頃には俺以外にもレティを外に連れ出してくれるやつがいるよ」
「……ダミュがいい。いまくるの、ダミュだけ」
「懐かれたもんだねえ、俺も」
ダミュロンが悪いのだ。こんなつまらないところにいる私に律義に会いに来るのだから。
――私だって、約束が無駄なことくらいわかっている。ダミュロンはいつか会いに来なくなるだろう。それが明日か明後日か、数か月後か数年後かわからないけど、今は仕事もしていないで気ままに暮らしているダミュロンがずっとこのままでいるとは思えない。私みたいな子どもと遊んでくれる気まぐれなんて今だけだ。
いつまでこの屋敷にいて、いつまで外に出してもらえないのかわからないけど、数年かそこらで終わるものでもないだろう。そう考えると憂鬱になったので慌てて頭を振って思考を切り替えた。地面に降ろしてもらってから目に付いたついた草花を指さす。小ぶりの青い花だった。
「ダミュ」
「何?」
「はなのなまえ」
「えー?花は詳しくないんだよな。薔薇とかなら分かるけど」
女の子が好きだから、とダミュロンは付け足すが私の興味があるのは薔薇ではない。というか、薔薇の種類で見分けがつくのか。こういうときダミュロンが教養のある貴族らしいことを思い出す。
「えーと、見たことあるな。ああ!勿忘草だ」
勿忘草かあ。前に生きてた頃に見たのと同じだったかな?よく覚えていない。
「こいつの花言葉なんだか分かる?」
「ことば?」
「花の持つ意味。『私を忘れないで』」
ダミュロンはニヤリと笑う。品のない笑顔に私は察した。
「女の子に効くんだな、これが」
「……ダミュ、おんなのこがすきなはなしかしらない」
「厳しいなぁ」
「ダミュがすきなはなは?」
「んー、じゃああれ」
じゃあ、ってなんだ。私がダミュロンの指差した先を見ると、前にメイドに貧相だと言われた赤い小さな花が咲いていた。
「なまえは?」
「さあ?でも小さくてレティみたいでかわいいだろ?」
そうかな。私の目の色を言ってるのかもしれない。ダミュロンはこうして女の子を口説くんだろう。まあ、花に興味のあるタイプには見えないし私の振った話題が悪かった。
「ダミュ、はなのなまえ、しらべてきて」
「はいはい、わかりましたよ。レティの好きな花だもんな」
ダミュロンの好きな花じゃなかったのか。まあいいや、私も気になるのでそういうことにしておこう。

――でも、ダミュロンが次に来る前に私は街を去ることになった。

母が死んだ。あっという間に亡くなったその人に私はどんな気持ちになればいいのかわからなかった。形見だと渡されたブレスレットだけ持ってバタバタと忙しい屋敷の中で立ち尽くす。
悲しむべきだろうか?でも母と会話を交わした回数すら片手で数えられるくらいだ。私が勝手に母の部屋に立ち入ることはできなかったし、母は私を疎んでいる雰囲気すらあった。
それはきっと、父が関係しているのだろう。
私はぼんやりしている間に馬車に乗せられて街を去った。いろんな街に泊まったと思うけど覚えていない。気がついたら、知っている魔導器が頭上にあった。剣が、空に向かってそびえ立つ。その風景を私は知っていた。
――そう、帝都だ。
帝都で連れて行かれた屋敷は前の屋敷よりもずっとずっと大きかった。もしかしたらあの屋敷は私が思っていた以上に小さかったのかもしれない。そんな広い屋敷の、前よりずっと広い部屋に入れられた私はそのまま放置されていた。
食事は出てくる。というか食事をする場所があるくらいに広い部屋だった。遊ぶ道具は持ってきた絵本だけしかなくて、字の練習さえもさせてもらえない。私がなんでここに連れてこられたのか、もはや説明すらなかった。
これって軟禁じゃないのか。前の屋敷といいここといい、私が何をしたというのか。立派なネグレクトだぞ。むかついて、こっそり部屋を抜け出してやった。ふかふかのカーペットの上を、転びそうになりながら歩く。
庭に出たい。ダミュロンはいないだろうけど、部屋に閉じ込められるのはつまらない。本当はあの街に帰りたい。母の形見を握りしめてずんずんと歩いていると誰かの姿が見えてきた。
ダミュロンより年上の男の人だ。白銀の髪に赤い瞳で、鎧をつけた姿はまるで騎士のようだ。
いや、と思い直した。きっと、本物の騎士だ。
「……」
私は黙ってその人を見上げ、その人は黙って私を見下ろしていた。沈黙を破ったのは使用人の声だった。
「お嬢様!いけません、勝手に部屋の外に出ては」
私を捕まえようとする腕から逃れてまた男の人を見上げる。その人はようやく、メイドに向かって口を開いた。
「……これがレティシアか」
「は、そ、そうでございます。旦那様」
旦那様、と呼ばれた男の人に私はむむ?と内心唸った。この、まだ若く見える人が旦那様?となると、である。
「ちちうえ」
この人が父か。私は自分の語彙の中にある唯一の父という意味の単語――ダミュロンが言っていたそれを引っ張り出した。父はそこでようやく表情を動かしたが、私は特に興味がなかったので見ていなかった。
父といっても私を放置してた人だ。別に今更何をしてくることもないだろう。そう考えて私はまた歩き始める。「お嬢様!」メイドが呼び止めたが、聞いてなんていられない。
「……どこへ行く」
そう声をかけてきたのは父上だった。私はまだうまく首だけで振り向けなかったので、体全体で振り向いた。
「にわ」
「庭で何をするのだ」
「はなみる」
「花?庭に花はない」
なんと。父上にも花を愛でる趣味はないらしい。じゃあ花以外のものを見ようと思って少し考えを巡らせる。
「そらみる」
「空なら窓からでも見えるのではないか」
「ない」
窓に背は届かないし、カーテンがかかっているのでよく見えない。私が言うと父上は眉間にしわを寄せて――その顔になんだか見覚えがある気がして瞬いたけど、思い出すより先に思考は声に遮られた。
「来なさい」
そう言って父上が歩き出す。メイドはおろおろしていてあてにならなさそうだったので私は素直に父上の後ろについていった。歩幅が違うのであっという間に遠ざかっていったと思ったら、すぐに戻ってきた。
「お前は」
父上がしゃがみこむ。そして私を抱き上げた。びっくりして一番近くにある瞳を見つめると、驚いた顔の私がうつっていた。
「速いなら言いなさい」
「……あるくの、はやい」
「そうだ」
いや、理不尽ではないか?いまいち腑に落ちなかったが、抱きかかえられるのが不安定なのでそれどころじゃなかった。思えばダミュロンは私を抱き上げるのが上手かったな。
落ちないように父上の首にかじりついていると「ここだ」と言われて顔を上げる。そこは玄関ホールだった。一度だけ、この屋敷に来たときに通ったその場所には、ホールの奥に大きな窓がある。
そしてそこからは空がよく見えた。
「そら……」
「見えただろう」
なんだか得意げな父上にちょっと面白くなる。笑って父上の肩に顔を埋めた。
「ちちうえありがと」
「……ああ」
くすぐったそうな声が聞こえる。なんだ、私を放置してたわりにそんなにひどい人ではなさそうだ。自分でも驚くくらいに安心して、私は目を閉じた。


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