リピカの箱庭
57

ピオニー陛下に呼び出されたのは晩餐会の最中だった。陛下はホストであるものの、最初に挨拶をしたくらいで接待をする立場でもない。私も立場上すぐには帰れないので、呼び出しはむしろありがたかった。ひっきりなしに話しかけてくる貴族たちの相手というのも疲れるものだ。一見研究の話なんかから入っても気づいたら誰かを紹介されそうになったりとか、勘弁してほしい。そろそろあの子爵がやらかした事件も忘れられつつあるらしい。まだ数年しか経っていないのに。
呼び出されて何の話をされるかは見当はついていた。エドヴァルドは知らないはずなのだが、表情がやたら険しい。呼び出された部屋の前にいたフリングス大佐に「ピオニー陛下はガルディオス伯爵とお二人での会談をお望みです」と言われると眉間のシワがさらに深くなった。
「構いません。エドヴァルド、ここで待っていなさい」
「ですが、レティシア様」
「エドヴァルド」
言い募るのも不敬だし、何より私もこれからする話は彼に聞かせたくない。エドヴァルドに余計な重責を担わせたくなかったのもあるが、彼が激昂したら抑えられる自信もなかったからだ。
エドヴァルドは不承不承頷いて、私はフリングス大佐にエスコートされて部屋に入った。流石に正式な謁見ではないため玉座の間でなないが、何度か呼び出されたときよりもずっと広い応接間だ。皇太子であったときとはやはり権限が違うのだろう。
「レティシア・ガラン・ガルディオス、お召しによりまして参上仕りました。御即位誠に喜ばしいことと存じます、ピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下」
そう頭を下げる。自分でも、どんな気持ちでマルクト皇帝に跪いているのかわからなかった。「楽にしてくれ、ガルディオス伯爵」いつもより硬い声が降ってきて、私は言葉の通り顔を上げた。
向かいに座るその人が、一瞬別人のように見えて私は瞬いた。何も変わっていないはずなのに、なんだか知らない人のようだった。泰然とした雰囲気も、宝石の色の瞳も知っているものなのに。
「前置きはいらないだろう。卿を呼んだのは他でもない――」
言葉が途切れる。真っ直ぐに向けられた視線が揺らいだ。ああ、そういうことか。納得する。
ピオニー陛下が別人のように思えたのは、知ってしまったからだ。だから私を見る瞳が前とは違うのだ。自分でも意外なことに、それがさみしいと思えた。陛下はもうあんなふうに私に接することはないと分かったから。思いのほか、私は陛下のことを親しく感じていたらしい。
「――ホドの崩落のことだ」
「キムラスカの未知の兵器によるホド島の消滅のことでございますね」
すらすらと口から出た言葉に内心笑った。それでも正しいのは皇帝の言葉なのだ。陛下はひどく顔をしかめて、なにかを恐れるかのようにゆっくり唇を開いた。
「それは前皇帝の言葉だ。事実とは異なる」
「さて。では、ピオニー陛下の語られる事実とは如何様なものございましょう」
私は知っているということを、陛下は知っているだろう。だからこんな表情をするのだろうか。続きを促すと陛下はまたゆっくりと話し始めた。
「かつて、ホドでは譜術の研究施設があった。そこで進められていたのがフォミクリーの研究だ。……キムラスカ軍により栄光戦争の戦端が開かれたあの日、引き上げが間に合わなかったフォミクリー技術をキムラスカに渡さぬために、前皇帝はホド島ごと滅ぼす決断を下した」
そうだ、ヴァンデスデルカを使って。淡々と告げられる言葉に胸の中で暗い感情が渦巻いていた。研究所に囚われるヴァンデスデルカの姿が思い浮かぶ。あの白い牢獄に、実験動物と同じ扱いで閉じ込められていたヴァンデスデルカを、どうして助け出すことができなかったのだろう。なぜ私はのうのうと生き延びているのだろう。
「――その事実を、俺は認める。レティシア・ガラン、卿には望む権利がある。皇帝により滅ぼされた領地の、賠償を得る権利が」
認めるだけだ。そう、謝罪などはない。ガルディオス伯爵に与えられるのは、失ったものを補填する何かだけだ。私は仮面のように微笑みを浮かべた。貴族としてあることを選んだ私は謝罪などではなく、それだけしか得る資格がないのだから。
「では、畏れながら」
目を細める。私が欲しいものは二つ。
「アクゼリュス、そしてフォミクリー研究の権利。この二つが欲しゅうございます、陛下」
前から考えていたことだ。一つめのアクゼリュスは言うまでもない。やがて魔界に堕ちるあの街はそもそも鉱山であり、キムラスカと領土を巡る問題があるほどに有益な、つまり金になる地である。今は採掘権がマルクトにあるため代官として私を派遣しても問題はないだろう。私からホドグラドを取り上げたい国としても代わりに与える街としては候補になり得るはずだ。
問題は二つめのフォミクリー研究の権利だった。ピオニー陛下はいくつか瞬いて、驚きを表に出さずに私を見た。
「よい、と言いたいところだが。フォミクリー研究の権利が他ならぬ卿が望むとはな。理由を聞かせてくれ」
「簡単なことでございます。サフィール・ワイヨン・ネイスが今どこにいるかご存知でないとは仰らないでしょう」
「……ローレライ教団、か」
どうやって逃げ出したかは知らないが、私がダアトでネイス博士と会ったことは事実だし、何より赤毛の彼と一緒にいたのだ。私の知っている通りに世界は動いている。
「そこからキムラスカへ伝わらないとどうして言い切れましょう。このまま封印していては技術の発展など望むべくもありません。なにより、兵器としてではない活用の方法もあるのではございませんか」
キムラスカがフォミクリーを兵器として活用する可能性、そしてそれに成す術なく滅ぼされるわけにはいかない。そんな意味も込めて言う。――本当の理由は少し違うのだが。
居場所を奪われた少年を私は見捨てたのだ。彼がどれほど憎い、家族の仇の息子であっても生きているだけで罪を負う者などいない。その罪悪感はどうしてしまえば拭えるだろうか。そんなことを考えた時に思いついたのがこれだった。
私はレプリカによってこの世界が混乱に陥れられると知っているのだ。ならば、その対策を講じるべきではないか。根本的な――ヴァンデスデルカの企みを打ち砕くことはかなわないだろうから、対症療法にはなるのだけれど。
それでもガイラルディアの役には立つ。そのはずだ。ガイラルディアが戻ったときにガイラルディアの望みを叶えるための伯爵家だ。私はただの代理にすぎない。そう決めて、あの日からこの場所に立っている。
「卿だからこそ、フォミクリー技術の扱いを誤りはせんということか」
ピオニー陛下はそう呟いて目を閉じた。私は黙って決断を待つ。アクゼリュスは金になり、フォミクリーは力になる。この二つを同時に与えるというのは帝国にとって危険だろう。だからこそ今、この時に私は願い出たのだ。ピオニー陛下の目を曇らせる「賠償」として。
「……わかった。その二つ、卿への賠償として確かに約束しよう。詳細はまた調整して伝える。アクゼリュスの方はすぐにとはいかぬからな」
その言葉は、つまり、私はもう権利を失ったということだった。賠償を受け入れる以上、目の前の皇帝を憎む権利はない。それが恐ろしいのにどうしてか安心もしてしまった。前皇帝の棺の前でおぼえたのと同じ憎悪をピオニー陛下に被せることはできないと気付いていたのだと思う。
「……レティシア」
陛下が静かに私の名前を呼んだ。「はい、陛下」応えるとピオニー陛下はまだ躊躇いの残る視線を私に向ける。
「皇帝になってから飼い始めたんだが、ブウサギを」
「……はい?」
急に話題が飛んだので私はつい語尾を上げてしまった。いや、ブウサギ?なぜ?顔に出ていたのか、「かわいいだろう」と言われる。かわいいらしい。
「アクゼリュスに卿を向かわせるのならホドグラドには新たな人物を派遣しなければならん。しばらく引き継ぎに登城してもらうが、かまわんな」
「はい。いえ、ブウサギがどうなさったのです」
「その時にブウサギを見に来ないか。癒されるぞ」
なんと答えればいいのか。私はしばらく沈黙してから頷くしかなかった。
……陛下、やっぱりいつも通り、いや、止める人がいないから更にパワーアップしてませんか?


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