リピカの箱庭
53

フリングス家は貴族の家系であり、その次男がピオニー殿下の側近だと聞いたことがある。いや、その前に私はフリングスという名前に聞き覚えがあった。フリングス、フリングス……セシルとフリングス……。
「あっ」
思わず声を上げてしまう。そうだ、フリングス将軍といえば――作中でキムラスカのセシル将軍と恋仲になる、あの。
「伯爵?どうなさいました」
「いえ。なんでもありません」
そしてキムラスカのセシル将軍とはまさにジョゼットのことである。ジョゼットがこうしてここにいる以上キムラスカの将軍にはならないだろうけれど、フリングス将軍とはどうなるんだろう。気にしても仕方ないか。
考えながら案内されたのは騎士棟にも一応ある応接室だった。本邸よりは手狭な部屋だが、今日は祭りなので本邸で迎え入れる準備ができない。その部屋で待っていたのは銀髪の青年と、想像通りピオニー殿下だった。
「お待たせしました、フリングス中佐」
「は、お目通りいただき感謝します。アスラン・フリングス中佐であります。以後、お見知り置きを」
ピシッと姿勢を正して礼をしてくれるフリングス中佐は殿下の側近だけあって礼儀がなっている。あの子爵とはえらい違いだ。私はちらりと中佐の後ろでニヤニヤと見守っている殿下に視線をやった。
「どうした?ああ、ジェイドのやつなら帰ったぜ。自分の仕事じゃないとさ。冷たいよなあ」
「そうですか。では、ご用件はなんでしょう」
別にその情報はどうでもいいんだけど。さっさとソファに座ってジョゼットにお茶を頼む。フリングス中佐はいくらか面食らった顔をしたが、殿下は私の向かいに座るとフリングス中佐にも着座を促した。
「アスラン」
「は、はい。スウォレッジ子爵の件に関してこちらからご提案がありましてお伺いいたしました」
やっぱり見られてたか。目敏いんだよなあ、殿下。
「スウォレッジ子爵には以前から問題がありまして。伯爵を襲ったことで処罰しては逆恨みの危険もありますので、別件で爵位剥奪という形で収めさせていただきたく」
「この件での処罰はなしと?」
「いえ、それはあり得ません。罰金と一部の土地の没収、謹慎を科すつもりです」
ふーん。ジョゼットが紅茶を注いでくれたので私はゆっくりと口をつけた。フリングス中佐は緊張した面持ちでこちらを伺っていて、殿下はこの部屋をのんびりと見回していた。騎士棟に入るのは初めてだろうから物珍しいのかもしれない。……勝手に侵入していなければ、だけど。
「迷惑料をいただけるのですね」
「はい。この件については追って書面で連絡いたします」
「今すぐにお願いします。ジョゼット、ペンと紙を用意して」
「かしこまりました」
そこまで準備は回らなかったのだろうが、口約束だけで逃す気はない。殿下がいるのだから大丈夫だと思うけど、この訪問も非公式だし。ジョゼットは待ってましたとばかりにささっと一式取り出してフリングス中佐の前に揃えて置いた。
「簡略で構いませんので先ほどの文言を文面に明らかにしてください」
「……承知いたしました」
フリングス中佐は頷いてペンを滑らせた。殿下に伺いを立てないあたりも信用のできる人だと思う。ピオニー殿下はいるにはいるが、この件について何も口を出してはいない。つまりこの件の裁量はフリングス中佐にあり、中佐が己で判断を下して証書を残してくれないとこちらも信用できないのだ。殿下もそれを分かっているのかどうだと言わんばかりの自慢げな表情だ。まあ、カーティス中佐を連れてくるよりはこちらとしても心臓によろしい。
フリングス中佐は私と殿下の無言のやりとりには気づかず書類を完成させると「こちらでいかがでしょうか」と手渡してくれた。几帳面な字が並ぶ紙面をインクで汚さないように眺める。ジョゼットにも確認してもらってからフリングス中佐に返した。
「問題ありません」
「では署名させていただきます。殿下のお名前も残したほうがよろしいでしょうか」
「あなたのものだけで結構です」
「かしこまりました」
最後にフリングス中佐のサインが書き加えられた書類をジョゼットに渡す。さて、子爵の処分についてはこれで問題ないのだが。
「スウォレッジ子爵と襲撃犯の身柄は軍で預かってもらえるのですか?」
「もちろんです。逃げられても厄介ですから。ガルディオス伯爵の合意もいただけたことですし、すぐにでも部下を連れて拘束させていただきたいところですが」
「構いません。ですが、祭りの片付けでこの屋敷の敷地にも民間人が多くいますから目立たないようお願いします」
夜には夜の祭りがあるのだけど、これは屋敷の敷地外、街の広場で行われるものだ。とはいえ敷地は撤収作業を加味して明日まで解放しているのでそこにいる民衆を刺激したくはない。
「承知いたしました。他には何かございますか?」
「いいえ。よろしく頼みます」
「お任せください。では、準備をしてまいります。殿下、行きますよ」
フリングス中佐はさっと立ち上がったが、ピオニー殿下はもう行くのか?と言いたげな顔だ。私も立ち上がって殿下を見下ろした。
「ピオニー殿下。今日のお仕事は終わられましたか?」
「……終わってないな」
「では片付けに行かれますね?」
「分かった分かった。アスラン、俺は戻る。レティシア、今日もまた災難だったな。この件で何かあればアスランを遣いにやる」
そこで殿下は「あ、そうだ」と何かを思いついたように呟き、ずいと顔を近づけてきた。何かと思ったら小声で耳打ちされる。
「アスランも次男坊だからな。相手としては申し分ないぞ?身元と人柄と出世は俺が保証しよう。後ろ盾もな」
「……殿下」
私は殿下から距離を取ると俯いて揃えた指を強く握った。そして掠れた声を出す。
「ひどいお方ですね。私、もう婚約などこりごりです」
「っ、レティシア!?」
傷ついてますという空気を醸し出してみると殿下は声を裏返すほど動揺しているようだった。フリングス中佐が厳しい声で「ピオニー殿下!」と諌めた。
「何をなさっているんです。このような事件でガルディオス伯爵も傷ついておられるのですよ」
「す、すまん。いや、軽率だった」
いつになく狼狽える殿下から顔を逸らすと今度はジョゼットが私をかばうように一歩歩み出た。
「申し訳ございませんが、お二方ともご退室いただけますか。この後のことは私が対応いたします」
「分かりました。お願いします」
フリングス中佐がしっかりと頷き、殿下もこちらをチラチラと振り向きながら部屋を出て行く。一人残された私はドアの閉じられた音を聞いてから顔を上げて瞬いてみた。
「ふむ。……これで行きますか」
ガルディオス伯爵代理は婚約者の座を狙う貴族令息に襲われたため男性不信に陥っている、しつこくするほど警戒される。よし、この設定なら煩わしい輩も多少は減るだろう。
それにしてもピオニー殿下にあそこまで狼狽されてしまうとは。殿下も案外騙されやすいのだろうか?と首を傾げたがそうは思えない。今回はたまたま上手くいっただけだろうと結論付けた。


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