リピカの箱庭
52

「伯爵さま!」
ぱたぱたと駆けてくるメシュティアリカの体を抱きとめる。いつもよりかなりテンションが上がっているのは確かなようだ。後ろからジョゼットが「こら!」と言いながら追いかけてくる。
「ティア、落ち着きなさい。伯爵の前なのだから」
「あ、はい、ごめんなさい……」
しょぼんと萎れるメシュティアリカに私はしゃがんで頭を撫でた。「今日はいいんですよ。メシュティアリカはとてもよくやりました」そう伝えると幼い瞳がキラキラと輝く。
「本当ですか!」
「本当です。あなたにしかできないことをしたのですから、誇って構いません。何か褒美をやらなくてはならないくらいです」
「伯爵、あまり甘やかさないでください」
ジョゼットが苦言を呈してくるが、成功体験はよく覚えさせておきたい。メシュティアリカはあまり自分の譜歌に自信がないようなのでなおさらだ。まあ、特別といえば聞こえはいいが、周りに使える者がいないと手本にすることもできない。手探りの状態は不安なのだろう。
「帰ったら、エゼルに自慢します!」
元気よく言うメシュティアリカに、背後のアシュリークが「エゼル?」と呟いた。それにジョゼットが応える。
「エドヴァルド様のご息女ですよ」
「へー、エドヴァルドさまの娘さん……って、ロザリンドさま最近見ないと思ったらそういうことか!」
まあ、そんなに言いふらすことでもないし、この世界では流産が多かったり母子への負担が大きい。それでエドヴァルドはロザリンドを落ち着いて休ませることを優先してあまり触れ回ったりはしなかった。今も娘を目に入れても痛くないレベルの可愛がり方をしているが、屋敷の外では取り繕っているっぽい。
「そうです。それで人も増えましたし屋敷を増築したので、警備を増やすためにあなたを雇い入れました」
「え、リークが騎士さまになるの?」
ぱちぱちとメシュティアリカが瞬いてアシュリークを見上げる。アシュリークはふふんと鼻を鳴らして得意げに頷いた。
「そうだぜ。今日から伯爵さまの騎士だ」
「へー。じゃあお屋敷に来るのね」
「部屋の準備はしてあるわ。リーク、しばらく休暇を取ってもいいから早いところ荷物を移してちょうだいね」
「荷物なんか大してないし、今日にでも引っ越せるぜ。伯爵さま、いいだろ?」
遠足が待ちきれない子どものような表情のアシュリークをジョゼットが短く窘めた。
「リーク、敬語」
「いいですよね?」
「構いません」
「やった!」
うーん、道のりは長いな。まあ、アシュリークはしっかりしてるし対外的に振る舞うのにミスはやらかさないだろう。実際エドヴァルドなんかにはきちんと敬語を使っていた。……一応私はエドヴァルドの上司なんだけど。
「でもなんでこっちに住まないんだ……ですか?こっちの屋敷も広いじゃないですか」
アシュリーク不思議そうに訊いてくるそれはメシュティアリカも、もしかしたらジョゼットも疑問に思っていたのだろう。視線を注がれるのを感じながら私は苦笑した。
「ここは伯爵家の土地ではありません。じきに国へ返すことになるでしょうから」
「えっ!そんなことってあるのかよ!」
「ありますよ、アシュリーク。当然のことです」
ショックを受けたのはアシュリークだけではなく、ジョゼットもだったらしい。険しい顔で何か考え込んでいるようだった。私にとってはこの街を任されたこと自体棚ぼたのようなものだったし、伯爵家が首都のすぐ近くで住民との結びつきを強くして力を増すならすぐにでも引き剥がされてもおかしくない。ただ、そうはならないのはひとえに病床の皇帝に力がないからというだけだろう。
「そんなの……街の人が許さないだろ」
アシュリークはそう呟くが、その前に異動させられるのがオチだ。いや、私から異動先を指定した方が話が早いかもしれないな。それだったらどこがいいだろう。
「すぐにという話ではないわ。アシュリーク、このことは他言しないように」
「分かった。ティアもな」
「はい……」
ティアもなんだか覇気がなくなってしまっていた。なんだか悪いことを言っただろうか?私は傘の取っ手を撫でながら話題を変えることにした。
「そういえばジョゼット、あの子爵は何か吐きましたか?」
「子爵の方ではなく襲撃者がさらっと吐きましたよ。騎士棟の方で説明します。……ティア、あなたは帰る支度をしておきなさい。疲れたなら私の部屋で休んでいていいわ。場所はわかるわね?」
「はい」
メシュティアリカは素直に頷いた。どうやらメシュティアリカには聞かせたくない話のようだ。まあ、彼女が活躍したからと言って襲撃の動機なんかを聞かせても楽しくもないだろう。
騎士棟とはその名の通り、騎士たちが使っている建物だ。騎士団本部は屋敷内にあるが、騎士棟は敷地内の別の建物である。シャワーや倉庫、仮眠室や会議室があり、その一角には犯罪者を一時的に放り込んで置ける留置所もある。
さすがに貴族は放り込んでおけなかったのか、牢屋にいたのは襲撃犯だけだった。体格のいい騎士に向かってわめき散らしている。
「だから言ったじゃねえか!あの坊ちゃんの仕業だってよお!俺たちは金で雇われただけだっての!」
ふむ、やはりあの子爵は共犯か。地下牢は様子を見ただけでその場から離れて手頃な会議室に腰を落ち着けた。
「それで、子爵の目的はなんだったのです?」
「それが……」
ジョゼットは言い淀んで、ため息をついた。
「どうやら伯爵の気を引きたかったようでして」
「……は?」
私の気を引くために襲撃させる?一瞬意味がわからなかったが、すぐに思い至った。そうか、私を助けることで恩を売って近寄りやすくしたかったのか。自作自演だけど。
「はあ……。そうですか」
「え?伯爵さまってそんな理由で襲われんの?大変だなー」
「私も知りませんでした。大変ですね」
「伯爵、そんな他人事みたいに言わないでください。あのバカ子爵どうしますか?」
もはやアシュリークの言葉遣いに突っ込む気も起きない。しかし、あの子爵の扱いはどうしたものか。タダで返すのも癪だし。
とか思っているとちょうど部屋がノックされた。「ガルディオス伯爵、こちらにいらっしゃいましたか」慌てた様子でドアを開けたのは若い騎士だった。
「何かありましたか」
ジョゼットの問いに騎士が視線をさまよわせながら頷く。
「はい。あの、フリングス中佐という方が伯爵様にお目通りを希望されておりまして」
「……その方はお一人でしたか?」
「いえ、お連れの方がお一人いらっしゃいました。軍服を着た男性です」
「わかりました。ジョゼット、行きますよ。アシュリーク、あなたは今日は帰ってよろしい。荷物をまとめてグランコクマの屋敷に来なさい。話は通しておきます」
「了解です!」
アシュリークが元気よく返事をする。私は一つ頷いて、フリングスという名前を反芻していた。


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