リピカの箱庭
幕間10

それから、アシュリークは毎日子どもたちの相手をすることになった。たまにしか来ないガランよりも、いつもいるアシュリークのほうが捕まえやすいからだろう。それは剣術だけではなく、勉強や譜術も同じだった。
ガランは以前より相手をしてくれなくなったけれど、それならそれで構わなかった。がむしゃらに当たってるだけでは勝てないのだとアシュリークは気がつきはじめていたからだ。格上ならなおさら頭を使って戦わなくてはならない。ガランのことが気に食わないとはもう思わなくなっていた。
ただ、やっぱり不思議なのはガランがどこの家の子どもなのかだった。子どもたちの集う塾でさえ、ガランの住まいを知っている者はいなかった。騎士だって街に住んでいるはずなのに。いつからか塾に通うようになった年上の少女――ジョゼットはガランと親しげだったけれど、そのことについては教えてくれなかった。
そのジョゼットはやがて伯爵家の騎士になった。他にも街の騎士団から取り立てられた者もいたのだから、自分が伯爵家の騎士になることが不可能だとは思わなかった。そのうち街の騎士団に誘われるようになったので正式には所属しないまま訓練に参加したりもしたが、ガランはやはりそこにもいなかった。
騎士団の詰所はホドグラドのガルディオス伯爵邸に隣接している。アシュリークが騎士団の訓練に参加し始めて知ったことだが、伯爵はこの屋敷には住んでいないらしい。そこでふと、アシュリークの頭にとある想像がよぎった。
毎年の終戦記念の祭りで、ガルディオス伯爵の姿を見ることはあった。その髪の色は、瞳の色は、どんなだったか。
――ガランと同じではなかったか。
アシュリークは成長するにつれて身長が伸び、まだ体は完成していないものの大人と並べるくらいの体型になっていた。しかしガランは体格には恵まれていない。背が極端に低いことはなかったが、意識してみると線の細さに少しだけ違和感を覚えた。
事実を確かめる勇気はなかったけれど、考えれば考えるほどそれが「正解」である気がしてきた。でも自分の妄想に過ぎないんじゃないかという気持ちが消えることもない。あのガルディオス伯爵が、貴族の令嬢が剣をああも振るうだろうか。
アシュリークは最終的に思考停止することにした。どちらにせよ、騎士になれば分かることだ。

――そのチャンスは思ったよりも早く訪れた。
「祭りで俺が伯爵の護衛を?」
「ああ。だが、一般人のふりをしたままだ」
エドヴァルドに呼び出されて告げられた言葉にアシュリークは困惑した。なぜ一般人のふりをしなくてはならないのだろう。
「正式に護衛としてついていた方が警備が固いことが分かりやすくて狙われにくいんじゃないですか」
「もちろん騎士も配置する。君はまだ若いから一般人に紛れていても不自然ではないだろう?相手に警戒されない戦力がほしいんだよ」
「そうなんですか。分かりました!」
これを足がかりに正式に伯爵の騎士になれるかもしれない。そう考えながらアシュリークは元気よく返事をした。
エドヴァルドからいくらか手ほどきを受けたアシュリークは祭りの当日を迎えて張り切っていた。怪しいのは周りを気にしているようなそぶりを見せる輩だ。ガルディオス伯爵から離れないように気をつけながら三人の男たちをマークする。案の定伯爵に襲いかかった男たちに、アシュリークはすぐ飛び出そうとした。
反応が遅れたのは伯爵が鮮やかに傘を振るったからだった。まるで剣のように。
「まったく」
低い声には聞き覚えがある。「持ち場を離れるな!」伯爵はそう指示を飛ばしたが、アシュリークの持ち場は変わらなかった。伯爵が広げた傘に阻まれた男のうちの一人を峰で叩き落とした。
「アシュリーク!鞘を」
「っ!はい!」
ベルトから鞘を外して投げ渡す。軽々受け取った伯爵はそのまま流れるように暗器を防ぐとそこでようやくアシュリークに視線をやった。
碧い瞳は知っている。細められたその目にぞわりと背筋を何かが這い上がった。その正体を考える間もなく声が投げかけられる。
「殺してはなりません」
「――了解!伯爵さま!」
自分に向けられた「命令」に気分が高揚する。峰打ちでもう一人を無力化したアシュリークだったが、最後はティアの譜歌に持っていかれてしまった。ガランが特別と言った譜歌は、伯爵の言う通り血を流さずに事態を解決するにはうってつけだった。
意識を奪われた男たち――人質の男も含めて騎士団兵たちがしょっぴいていくのを手のひらの中の短剣を握りしめて見つめる。「アシュリーク」声がするほうに顔を向けた。
「よくやりました」
鞘を差し出されて、アシュリークは剥き身の刀身を思い出して慌てて剣を収めた。それからガルディオス伯爵の顔をようやくじっと見つめる。
着飾って化粧をした顔だけで断言することはできない。それでも、あの剣さばきで確信していた。
「やっぱり……、マジか。信じらんねえ」
自分の想像が当たっていたのに、戸惑いと驚きばかりに支配されていた。ガルディオス伯爵はそのままアシュリークを伯爵邸の一室に連れて行き、アシュリークはどこか現実味のない、ふわふわとした気持ちのまま伯爵の後について行った。
「あの」
どういうふうに話しかけるのが正解なのか、アシュリークはわからなかった。しかし礼儀を損ねてはならないという気持ちが強く出て緊張から拳を握る。
「怪我とか、その、なかったですか」
いろいろ尋ねたいことはあったが、真っ先に口を突いて出てきたのはそんな言葉だった。奥の執務机の前に立ったガルディオス伯爵が目を細める。
「私があの程度の輩に遅れをとるはずがないことはあなたも知っているでしょう」
「え、や、そうですけど」
「まあ、構いません。驚かせてしまいましたね」
驚いたのは確かなのでアシュリークは首肯で返した。それから、ようやく――この場がチャンスであることを思い出して口を開いた。
「伯爵さま!俺の働き、認めてくれるんですよね!」
「ええ」
「だったら俺のこと、騎士にしてくれますか」
それだけが目的だった。ガルディオス伯爵がガランと同一人物と知った今でもそれは変わらない。守るべき姫君ではないが、尊敬する友で、敬愛する街の主なのだ。その人になら人生を捧げたって構わない。
「騎士になりたかったのですか。あなたは街の騎士団には入らないからてっきり違うのだと思っていましたが」
「俺は伯爵さまの騎士になりたかったんです」
「そう……ですか。ならば、これからはよく働いてもらうことにしましょう。頼みますよ、アシュリーク」
「はい!」
アシュリークは知らずのうちに垂れていた頭を上げて元気よく返事をした。伯爵は少しだけいつものように微笑んで、「まずは礼儀から叩き込みますか」と告げた。


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