リピカの箱庭
50

終戦記念の祭り――本当のところは終戦ではなく停戦なのだけど――はホドグラドで一番大きな祭りだ。最初は簡単なお祝いをしていたのだけど、街の賑やかさが増すにつれてこの祭りも規模が大きくなっていった。面倒なことに平民だけではなく、貴族も訪れるくらいに、だ。
私は日傘で顔を隠しながらため息をついた。
「レティシア嬢におかれてはご機嫌麗しく。なかなかお姿をお目にかかれないことにやきもきしておりましたがホドの真珠がこれほど可憐なお方とは、話には聞いておりましたが想像以上ですよ」
そう、厄介なのはこういう貴族だった。侯爵家の令息だったと記憶しているが、まだ跡も継いでいないのに伯爵代理の私をお嬢さん呼ばわりとは何事か。いや、彼は三男だか四男だったので侯爵位を継ぐことはないのだろう。だからこうしてわざわざガルディオス伯爵代理に言い寄っているのだ。
ご機嫌は全然麗しくないが、無視をするわけにはいかない。まったく、誰が私の容姿の噂なんかをしているのか。
「そうでしょうか」
「レティシア嬢がまだ未成年なのがなんとも惜しい。今すぐにでもあなたを夜会にお誘いしたいくらいです」
後ろで殺気立ってるエドヴァルドが目に入らないのだろうか、このお坊ちゃんは。こんな男の夜会に行くほど暇に見られるとは悲しいものだ。
などと考えていたら男の後ろから無表情で近づいてくる軍人の姿が見えた。にこり、と微笑むその顔になんの感情も浮かんでいないのは逆に怖い。
「セクハラも大概にしたらいかがです?スウォレッジ子爵殿」
「な……っ、お前は"死霊使い"……!?」
カーティス中佐を見て顔を青くするお坊ちゃん――スウォレッジ子爵は悪名もきっちり知っているようだった。カーティス中佐もなかなかの有名人である。
「おや、存じ上げておられたとは。色ボケしてるだけではありませんでしたか?」
「貴様!誰に向かって口をきいて――」
「あなたこそ誰に向かって口をきいていたのです?スウォレッジ子爵」
一応爵位は持っているらしかったが、まあそれにしても子爵だ。スウォレッジ子爵は何を言われたのか分からないといった顔をしていたが、すぐに思い至ったのか今度は羞恥か怒りかで顔を赤くした。
「失礼!少し気分が悪くなりまして」
「それはいけません。エドヴァルド、騎士団本部のお休みいただけるところにご案内して差し上げて」
「かしこまりました。スウォレッジ子爵、こちらへ」
「へ?!い、いや……」
「ご遠慮なさらず、さあ」
エドヴァルドのこれまた圧のある微笑みとがっちり掴まれた腕によって哀れなスウォレッジ子爵は逃げることもかなわずにずるずると連れられて行ってしまった。私は日傘をくるりと回してカーティス中佐を見上げる。というか中佐がいるということは、ほぼ確実に――
「よ!レティシア」
――ピオニー殿下が来ているということだ。しかし殿下、お忍びのつもりなのか一応カーティス中佐と同じく軍服を着ている。配慮の仕方が雑。
「ごきげんよう、ピオニー殿下。本日は変わった服装でおいでですね」
「そんな怒るなよ。ちゃんと風除けも持ってきただろう」
「誰が風除けですか」
組まれた肩をにこやかに払いのけるカーティス中佐は心底うんざりしているようだった。中佐は有名人だし、中佐を知っているような貴族は迂闊に寄ってきたりはしない。つまり風除けとしてはそれなりに機能するのは確かだ。殿下に付き合わされているのは相変わらずである。
「カーティス中佐もごきげんよう。先ほどは助かりました」
「それはどうも。大したことはしていませんがね」
「では礼は言わないでおきましょう」
皮肉気な物言いにイラっとしてこちらも相応に返してやる。後ろでピオニー殿下が噴き出した。
「フラれたな、ジェイド」
「ピオニー」
「おっと、こっちからも怒られる。そうだレティシア、別に今日は雑談しに来たってわけじゃなくてな」
そうだったら困る。殿下は懐からおもむろに取り出した小さな箱を開けると中身を私に見せてきた。
真珠のあしらわれた花の飾りに見える。私はそれをじっと見つめて、そしてピオニー殿下を見つめた。
「……これは、なんでしょうか」
「髪飾りだな」
「はあ……」
急にそんなものを見せられても困る。だがピオニー殿下は上機嫌で続けた。
「導師の崩御の際に卿には迷惑をかけたからな。その詫びの品だ」
「報酬はすでにいただきましたが」
「そう言うな。めでたい日だろう。ちょうどそのドレスに色も合う。どうだ、つけてみないか?」
言っていることに筋が通っているのか分からなくなってきたが、殿下が私にこの髪飾りをつけてほしいと思っているのは伝わってきた。新手の音機関とか響律符とかじゃない……よね……?若干不安に思いながら、しかし殿下が言うのだから逆らうのもまずい。少し離れていたところに立っているヒルデブラントに声をかけようとする。けど、それより先に殿下が髪飾りを手に取った。
「呼ばなくても俺が着けてやる。動くなよ?」
「は」
微妙に緊張してしまって私は文字どおり全く動けなかった。日傘を中途半端に下ろしたまま、もし何か害を加えられたらこの傘でぶん殴るべきか――そう考えている間に殿下の指が私の髪をすくって髪飾りを固定した。思いのほか器用だ。
「――卿が真珠を身につけていないのは、まずいだろう」
離れる前に耳元でささやかれる。そんなの、わざとだと殿下も分かっているだろうに。"ホドの真珠"の呼び名をつけたのは誰か分からない。それを散々利用してきたけれど、でももうこの街は私の支援なしでも成り立つくらいには成長した。だからもういらない。そう思っていたのに。
毒を喰らわば皿まで、ということか。真珠は確かに私を守る鎧にもなる。
「よく似合っている。存分に利用しろよ」
殿下がぱっと離れていって、私が何かを言う前にさっさと身を翻して歩いていってしまった。カーティス中佐が肩を竦めてやれやれとこれみよがしに呟く。
「……あなたに危険が及ぶことを殿下も心配しているのです」
「そうです、か」
「では、私もこれで」
カーティス中佐も一礼するとさっと踵を返した。なるほど、殿下はどうしても私を自分の配下に置きたいとみえる。殿下の庇護下が安全かどうか、それも自分で見極めろということだろう。
まあ、それこそ今更というものだ。殿下はじきに皇帝になる。それまでが問題なだけだった。


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