リピカの箱庭
48

グランコクマに戻ってすぐ、私はエドヴァルドの説得に苦心することになった。それは彼がメシュティアリカに不信感を抱いていたからではなく、全く逆の理由だった。
「ティアの面倒は私が見ます」
そう言い切るエドヴァルドはむしろメシュティアリカのことをいたく気に入っていた。彼女が母親に似ているらしい、というのが大きな要因である。私はため息をついてエドヴァルドを見上げた。
「いいですか、新人教育に割く暇はあなたにありません。メシュティアリカの教育はジョゼットに任せますし、塾に通ってもらいます」
「ですがフェンデ家の家長となるのですよ。相応の教育が必要ではないですか」
「ですからメシュティアリカはそれを望んでいないのです」
一応最初から説明したのだが、エドヴァルドは納得してくれない。ヒルデブラントの言っていた、メシュティアリカが何者かに付け込まれる可能性についても「ミリア様のお嬢様がそんなことをするはずがない」の一点張りだ。そのファルミリアリカ様の息子は騎士として戻ってきてくれなかったのだが。
「レティシア様はティアが神託の盾騎士団なんぞに盗られても良いとおっしゃるのですか」
「構いません。民を守れなかった領主にそんなことを言う権利があると思いますか」
メシュティアリカはたまたま、ユリアの譜歌によって助けられただけだ。ユリアの子孫を守るべく主人となったガルディオス家はそのフェンデ家を守ることなどできず、むしろきっかけを作りさえしたのだ。彼らは彼らの力で助かり、そしてガルディオス家と関係のない場所で生き延びてきた。私にそんな彼らの将来を決める権利などあるはずがない。
「それは……っ、あなたのせいではない!」
思いのほかエドヴァルドが大声を出したので私は一瞬身構えた。眉根を寄せてみせる。エドヴァルドは首を横に振って苦しげに目を伏せた。
「ホドが滅び、あなたが生き残ったのは誰のせいでもないのです。なぜそのようなことを仰るのですか」
「誰のせいでもないわけがありません。貴族の責務を果たせなかったのはガルディオス家であり、私は伯爵代理を務めている。それが全てでしょう」
そう、フォミクリーの実験を許可したのはお父さまだ。もし我が伯爵家に責任があるのだとしたら、そこが間違いだと言えた。そこからあの結末を予想しろというのはあまりに非現実的だとしても、だ。結果としてホドが滅んだという事実が全てだ。
帝国もキムラスカも、家族を殺し民を殺した何もかもが憎くてもだ。そんな事情は庇護下にある民には関係ないのだから。
「ですが……レティシア様、お願いです。そう仰るのはどうかやめてくださいませんか」
私は何を言えばいいのかわからずエドヴァルドを黙って見つめた。正しいことでも、言ってはいけないことだっただろうか。
「あなたは……十分に務めを果たしているではないですか。お嬢様、あなたを責めることは誰にもできません」
私を、か。いや、誰にもできないはずなどない。
ガイラルディアはどうしているだろうか。もう「ルーク」と会っているのだろうか。
ヴァンデスデルカはどうしているだろうか。私は確かに彼を救えなかった。私を、こんな中途半端な私を恨んでいるのかもしれない。だから戻ってきてはくれなかったのだろうか。
何も言わない私を見てエドヴァルドは表情を歪めた。「せめて――」何か呟いた声は最後まで聞こえない。
「……わかりました。ティアのことで私は口出しいたしません。レティシア様のお心のままに」
一瞬反応が遅れたが、私はエドヴァルドの言葉に頷いた。それから思い出して付け加える。
「エドヴァルド、離れの件はどうなりましたか」
「はい。価格について合意が取れましたのでじきに工事に入ります」
「わかりました。それから、ジョゼットがメシュティアリカにつきますので騎士を増やそうと思います」
お金がかかることだらけだが、子どもも増えるのだ。屋敷の警護は多い方がいい。ここは別邸なのでホドグラドの屋敷に移動してもいいが、なんとなく手放し難かった。なので結局隣の屋敷を買い取ってリフォームすることにしたのだ。工事が終われば家に人を増やしても窮屈にはならないだろう。
「なるほど、ジョゼットの代わりですか?」
「いえ。性別は問いません。若い方がいいですね」
ジョゼットは元貴族なので、振る舞いや教養は他の騎士では敵わない。ヒルデブラントも平民出身にしては品があるのでそっちの担当は事足りていた。ならばそこはこだわらなくていい。
「ではアシュリークでいかがでしょう」
エドヴァルドが挙げたのは私が思い描いていたのと同じ名前だった。アシュリークはこの頃では剣の腕で私を上回っている。シグムント流の奥義会に推してもいいくらいだ。今は塾で教師の真似事をしているが、もしかして彼は騎士団に入るつもりはないのだろうか?そこだけ懸念事項だが、さて。
「それで良いでしょう。念のためグスターヴァスとヒルデブラントにも相談してください。決まれば私からアシュリークに話をします」
「ガランから、ですか?」
首を横に振る。あの姿で塾に行って話をする気はない。
「いいえ、祭りの日にガルディオス伯爵代理から、です」
終戦記念の祭りの頃には工事も終わっているだろう。ああ、今年もドレスを新調しなくてはならないか。祭りに向けた準備も始まっている。
「かしこまりました。メイドを増やすおつもりはないのですか?」
「テレジアンナに聞いておきます」
ロザリンドも最近は秘書の仕事の方が多い。エヴァンジェリンは裏で繋がっている相手が多いので私付きのメイドにはしたくないし、テレジアンナは歳なので肉体的に辛いだろう。ルゥクィールもこちらに来てもらうか。彼女なら護衛にもなる。
エドヴァルドとそんな話をして、ついでに人事異動や工事に伴う出費をまとめているといつの間にか夜遅くなっていた。人を呼ぶのも躊躇われたので入浴は一人で済ませて廊下を歩いていると誰かの気配がして目を凝らした。
「伯爵さま……?」
私より小柄な人影はメシュティアリカだった。寝間着で所在なさげに立っている彼女に何があったのかと近づく。ジョゼットの近くの部屋を割り当てたので、困ったら彼女を頼るように言ったのだが。
「お手洗いですか、メシュティアリカ」
「も、もう行きました」
「じゃあ部屋まで一緒に行きましょう」
メシュティアリカは戸惑いながら頷いた。その小さな手がネグジェリエをぎゅっと掴んでいるのを見て私はようやく思い至って手を差し伸べた。
「ほら」
廊下には常夜灯が灯っているが、薄暗ければ心細かろう。メシュティアリカはあからさまにホッとした顔で温かい指先を私の手に重ねた。
「眠れませんでしたか?」
「……えっと」
「知らない大人ばかりでは不安になるでしょう」
躊躇いがちに頷くメシュティアリカを見て部屋へ向かおうと思っていたのを方向転換する。私の部屋ならば簡易キッチンが付いている。ソファに彼女を座らせて、私はキッチンで温めたミルクのカップを手渡した。
ヴァンデスデルカに会いたいか、訊こうと思ったがやめておいた。だって私は彼女が頷いてもその願いを叶えてやることはできないのだ。両手でマグカップを持ってミルクをすするメシュティアリカを見て、妹がいたらこんな感じなのだろうかとふと思った。
「伯爵さまは」
メシュティアリカはゆっくりと瞬いて言葉を続ける。瞳の色がヴァンデスデルカと同じことに気がついた。
「一人で……さみしくなかったですか」
思わず苦笑してしまった。やはり子どもは素直だ。
私は一人ではない。ガイラルディアが生きているのを知っている。サイドボードに置いたぬいぐるみは、今日は生成りのシャツと茶色のベストを着ていた。
「そうですね、さみしくはなかったですよ。一人ではありませんでしたから」
「……そう、なんですか」
ぽつぽつと喋るなとは思っていたが、メシュティアリカはどうやら睡魔に襲われ始めたらしい。私は努めて静かな声で言う。
「あなたも一人ではありませんよ。だから安心して眠りなさい」
ヴァンデスデルカは生きている。メシュティアリカが一人になることはない。あの日が訪れるとき、彼の死を望んでしまうとしても。
「はくしゃくさま」
メシュティアリカの温かい手からカップを取り上げて机に置く。案外抱き上げられるものだなと思いながら背中をぽんぽんと叩いた。
さて、メシュティアリカが完全に寝入ってしまったのでベッドに寝かせてみたが私はどうしようか。広いので一緒に眠れてしまうけれど。
「まあ……いいか」
流れる髪を梳いて私はメシュティアリカの隣に潜り込んだ。彼女が起きる前に起きればいいだろう。隣に人がいると落ち着かないと思ったが、案外よく眠れそうだった。


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