深海に月
ex-03

「――この子は始祖の隷長ではないかもしれない。けれど、限りなく近いのは確かよ」
ジュディスはそう切り出した。
凛々の明星、そしてフレンが集まっているのはレティシアが眠っている一室だった。襲撃が収まってから数日、レティシアはまだ目覚めない。一帯は少しずつ町の体裁を成してきていて、この騎士団の詰め所も建てられた一つだった。
「おかしいと思ったのは帝都でこの子に会ったときだったわ。満月の子が力を使うとエアルが乱れる――なのに、帝都にそんな気配はなかった」
「レティシアは私の手伝いで力を使っていたのにも関わらず、ですね」
エステリーゼが呟く。あのときなるべく使わないようには伝えたものの、レティシアが治癒術を使った回数は少なくなかった。
「そう。と言っても、私が直接レティシアが力を使ったところを見たわけじゃないから確信には至らなかったわ」
つまり、レティシアに始祖の隷長に近い力があると確信したのは二度目――彼女が魔物に対して魔術を振るっていたときだ。リタがジュディスに同意するように頷く。
「確かにそうね。あれくらい派手に使ってればエアルの欠乏でエアルクレーネが活性化してもおかしくないくらいだわ」
「でも違った。逆に、ここのエアルは整えられたように安定しているのよ」
「安定……」
満月の子の力によって引き起こされるのとは全く別の現象だ。それをもたらすのは二つ。始祖の隷長によるエアルの摂取か――宙の戒典。リゾマータの公式だ。
「じゃあ、やっぱりこの子は始祖の隷長なの?」
「バウルに訊いたけれど、分からないと言っていたわ。だから確証は持てないの」
カロルの疑問にジュディスは眉を下げた。エステリーゼを止めたのは、同じ過ちを繰り返したくなかったからだ。結果としてレティシアは自分の力によって治癒したが、もしその力がなかったのなら死ぬ可能性の方が高かった。
もしも、だけで目の前の少女を見殺しにしたのかもしれない。悔いてはいるが、また同じことがあればジュディスはエステリーゼを止めるだろう。ジュディスにとってはエステリーゼに過ちを繰り返せない方が大事だった。
「バウルが分かんねえってんなら違う可能性のが高いんじゃねえの。フレン、レティの身辺調査とかしてないのか?」
腕を組んだユーリがフレンに視線をやる。ベッドで眠るレティシアをぼんやりと眺めていたフレンが顔を上げて答えた。
「アレクセイに利用されていた可能性を考えてその辺りは洗ったが、その線はなかった」
「そーね。俺様もこの子は見たことないわ。つーか、この子がいたらわざわざアレクセイもエステル嬢ちゃんを狙ったりしなかっただろうし」
レイヴンも同意を口にする。もしこの少女が始祖の隷長もしくは宙の戒典と同等の能力を備えていたのなら、聖核すら必要なかった可能性がある。アレクセイがそれを知って放っておくとも思えなかった。ということは、彼女はアレクセイすら知らなかった存在ということだ。
「え?エステルの妹じゃないの?」
ぱちぱちと瞬くカロルにエステリーゼは「えっと」と指を組んだ。
「正確には妹みたいなもの、なんです。レティシアはザウデでフレンが保護してお城でしばらく一緒にいたので」
「ザウデでアレクセイと関係ないとなるとますます謎ね。どうしてそんなところにいたのかしら」
一同はうーんと唸ってベッドを見下ろした。ここで出る結論と言えば、レティシア本人に訊かなければわからない、ということくらいだった。
「しかし始祖の隷長か……。あの力もそうだったのだろうか」
「何かあったのか?」
「ああ。航海中、魔物の群れに囲まれてね。そのときにレティシアが――おそらく彼女の力だと思うんだけど、魔物を追い払ったんだ」
「無茶するな、お前……」
呆れた顔を向けられてフレンは顔をそらした。レティシアがいなくてはどうしようもない状況を生み出してしまったのは自分のミスだとわかっていた。
「それって、明星壱号みたいじゃない?」
ユーリがここで魔物を追い払った使い方を思い出してカロルが言う。リタはそれに眉をひそめた。
「精霊の力が使えるってこと?それは流石にないと思うけど」
「そうじゃなくて、ほら、明星壱号だって元々星喰みをやっつけるための道具でしょ。だったらレティシアも同じことできるのかなって」
星喰みをやっつけるための道具――その言葉にリタは黙った。始祖の隷長の力ならできるのだろうか?いや、できていたなら千年前にそうしていたのではないか。満月の子。始祖の隷長。星喰み。ザウデ不落宮。ピースが欠けているせいで全体像が見えないパズルのようでもどかしい。
「考えてもわからないのは仕方ないのじゃ。今はレティシアが起きるのを待つのが一番じゃ」
パティの声で思考が打ち切られてリタは顔を上げた。
「そうね。命に別状はないのでしょう?」
「はい、しばらくしたら目覚めると思うってお医者様にも言われましたから。多分、もうすぐ起きてくれると思います」
エステリーゼが眉を下げて微笑むのにリタはおや、と思った。もっと心配して不安がりそうなものだったが、エステリーゼは想像よりも気丈に振る舞っていた。それよりも死にそうな顔をしている騎士団長の方がどうかと思う。
「じゃ、待つしかねえな。誰かついててやってくれるか?」
「うむ!任せろ!」
名乗り出たのはパティだった。エステリーゼも残りたそうな顔をしていたが、怪我人はまだ残っている。パティに背中を押されて部屋を出て行った面々はそれぞれ持ち場に戻り、フレンはその背中を見送ってから一度ドアを振り向いた。
「……」
かける言葉は何もない。そのことに気がついて、フレンはゆっくりと肩を落とした。


- ナノ -