深海に月
15

空にはばけものがいた。
わたしの周りには桃色の髪の人たちがいた。
こっちとそっちでは同じ桃色の髪をしていても違うのだろう。ここは――そうだ、あの街の上だ。ザウデ不落宮だ。わたしは隣にいる人を見上げた。その人をわたしは知っていた。
「……オーマ」

目を開ける。知らない場所だと思った。テントではない。お城でもない。
何か、夢を見ていた気がする。なんの夢だったんだろう。思い出そうとする前に声をかけられた。
「目が覚めたかの?」
金髪はフレンと同じだったけど、声は全然違う。わたしは揺れるおさげを見つめた。
「パティさん」
「うむ、意識ははっきりしとるようじゃな。痛いところはないか?」
瞬いてから、わたしは怪我をしたところを見下ろした。そこにはもう傷も何もなくて、わたしはぼんやりと思い出した。そうだ、魔物に突き飛ばされて、わたしは。
「――フレンは、他の人、どうしてるです?」
あの後どうなったのか、魔物が襲ってきていたのはどうしたのか。エステルがいたような気がしたけど、パティさんがいるということはやっぱりそうなんだろう。
「心配するな。もう魔物は退けたからの。今は街を建ててる途中じゃ」
「まち……?」
「うむ。怪我人が多いからの、ここを砦にしてしまおうという話になったのじゃ。だからレティシアは安心して休むがよい」
ここを砦に?よく分からなかったけど、元々の目的は移住先を探すことだった。それで街ができるなら、目的が達成できたということなのかもしれない。
「……わたし、帰る、です」
だったらもう帰らないといけない。わたしはここにいてはいけなかった。わたしは誰とも違って、だからあの「街」にいた。
「どこに帰るのじゃ?」
パティさんは静かに尋ねてきた。その瞳はなんだかすごく大人びていて、一瞬戸惑ってしまう。
「……ザウデ、のした、ある街……」
「レティシアはそこから来たのか?」
「うん」
「どうして帰るのじゃ」
だって、だって。理由を口にするのもこわい。そんなわたしの内心を見透かすように、パティさんはやさしく微笑んだ。
「みんなには内緒にする。レティシア、言ってみるがよい」
本当に?パティさんはじっと黙ったままわたしの言葉を待っていた。きっと、フレンやエステル相手には言えなかっただろうけど、パティさんならいいような気がした。わたしはパティさんのことを全然知らなくて、だからどうでもよかったのかもしれない。
「こわい、から……わたし……きらわれる、いや、です」
だから、この思い出はとっておくだけでいい。ここで終わらせてしまって、ずっときれいなままでいい。わたしが誰で、何なのか、知るのが怖くて、知られるのが怖い。だから帰りたかった。自由なんてもういらなかった。
「もう終わる、です」
これで終わりだ。わたしは誰かの役に立てるかもしれなかったけど、それ以上にあの瞳が怖かった。「街」に戻ったところで何もできることはない、けれど。
「誰だってそうじゃ。嫌われるのは怖い。レティシア、怖いのは……お主が始祖の隷長だからか?」
「ちがう!」
自分でも驚くくらい大きな声が出た。でも止めることはできない。
「わたし、ちがう、始祖の隷長、ちがう!」
「ちがうのか?そうか、すまぬ」
なんでそんなふうに言われるのかわからなくて、こわくて涙がでた。パティさんが手を伸ばして涙をぬぐってくれたけど、ちっとも慰めになんてならない。わたしは……わたしは、確かにエステルとは違う。満月の子じゃない。あのとき、わたしはそっち側にはいなかったから。
――そっち側?
はっと顔をあげた。夢でみた記憶がよみがえってくる。あの「街」の記憶、その前の記憶だ。
「……え?」
どうして、とかすれた声が漏れた。パティさんが怪訝な顔をしたので、きっとこっちの言葉じゃなかったんだろう。
どうして、わたしがその記憶を持っているのか。
混乱しながら起き上がる。ここにいてはいけないとさっきより、ずっとずっと強く思った。ここにいてはいけない。知られてはいけない。パティさんがわたしを止めるけど、それを振り払って外に出た。
空には相変わらずばけものが顔をのぞかせている。そして、一直線にはしる線があった。その源がどこか、わたしは知っている。この世界の中心、そう信じていた場所。
「なんだ、あれは……」
ざわざわと周りの騎士のひとたちがざわめいていた。中にはわたしに気が付いて声をかけてくれるひともいたけれど、それに応える余裕なんてなかった。呆然とその線を見上げる。
「団長!大変です!」
誰かが声を張り上げる。呼ばれたのはフレンだろう。その報告の内容をわたしは知っていた。
「ザウデに駐留していた者たちが襲撃されました!」
「何?!親衛隊の残党か?」
「いえ、それが――」
一度言葉を区切った騎士は、息を整えてから続きを口にした。
「怪物だったんです。怪物は人間の王と――オーマと名乗り、我々を攻撃してきました」
「怪物?喋る……ということは、始祖の隷長か?ザウデに……?」
「わかりません。しかし、その……怪物は、人を探しているようでした」
騎士はあたりを見回して、そして気がついてしまった。わたしを見る瞳は、きっとばけものを見た瞳と同じだ。
「――レティシアはどこだ、と」


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