リピカの箱庭
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大聖堂に音律士の譜歌が響く。ユリアの譜歌とはまた違う響きに私はどうしても違和感を覚えたが、しかしその音は導師をおくるのに相応しい荘厳さと美しさを備えていた。譜術を組み上げるためだけではなく、始祖ユリアを讃えるため、死者を慰めるための譜歌は芸術ですらある。
私の隣ではメシュティアリカがじっと階下の音律士たちを見つめていた。その唇が小さく動いて、かき消されそうなくらいの声で彼女も譜歌を紡いでいた。同じ譜歌がユリアシティでも歌われているのだろうか。そんなことを考えながら歌の終わりを待つ。
盛大な葬儀は、それでも教会の中で完結する。すでに一般参拝者が導師への別れを告げる時間は終わり、あとは棺をおさめるだけだった。私は案内された席で一部始終を眺め、メシュティアリカも神妙な顔でそれに付き合ってくれていた。基本的には大人しく聞き分けがいいのでこういう場でも静かにしてくれるのは助かる。
けれど、流石に導師への挨拶には連れて行けなかった。私が偶然ダアトを訪れていたことを知ったマルクト皇帝――というかピオニー殿下の判断だと私は踏んでいるが――によって皇帝の代理として挨拶をするはめになったからだ。ダアトに駐在している大使にそのことを告げられたときは頭が痛くなったものだ。
何が問題かというと、この肩書きではアリエッタを迂闊にこちらに引き込むことができない。その判断さえもマルクト帝国の総意と思われてはまずいからだ。仕方ない、アリエッタに関しては言い出しっぺのヒルデブラントに丸投げしよう。

ジョゼットとメシュティアリカを残し、再びヒルデブラントと二人で導師の任命式に参加する。導師はローレライ教団の最高指導者であり、導師を任命するのは始祖ユリア――つまり預言である。その預言の刻まれた譜石の前で新たな導師が宣言するという形のようだ。
イオンは何人かの導師守護役を連れていたが、一番近くにいたのはアリエッタだった。贔屓目を隠さないのは子どもらしさか、それともただの性格か。まだ幼い声でなされる彼の宣言を聞きながら私はあたりを見回した。
やはりこの式典にもヴァンデスデルカの姿はなかった。いま彼は、まさにコーラル城にいるのだろうか。それとも導師の崩御はさすがに予定外だったのだろうか。もしかするとイオンのように導師エベノスの死も預言に詠まれていたのかもしれないが――利用するとしても具体的な日時までは分からなかっただろう。私はそうやって思考を振り払ってイオンが導師となるその瞬間を眺めていた。
この一連の式典で私に求められるのは幸いなことに財や知識や華美さなどではない。まあ、教団の最高指導者に敬意は払っても畏怖はしていないのがマルクト帝国である。もちろん預言には価値があると思っているし、ローレライ教という宗教の影響力を理解してはいるが、ひれ伏すことはしない。そして私も一応はマルクト帝国の貴族であるし、今は皇帝の名代を任されているので必要以上にへり下る必要はなかった。私という貴族がここにいて挨拶をすること自体が「価値」なのだから。
式典はそのままパーティーの様相を呈して、私は教団外部の人間としては最初に挨拶をすることになった。キムラスカよりも先なのは名代として派遣されている貴族の格がこちらの方が上だからだろう。聞けば皇帝陛下はたいそう喜ぶだろうなと思った。まったく、間の悪いことだ。
イオンは挨拶をした私をじっと見つめていた。彼が何か言うことはほとんどなく、やり取りをするのは基本的には彼のそばに立つ大詠師だった。幼い導師には実務能力がなく、実権を握っているのは大詠師であると言っているようなものだ。
「導師イオン、どうかこのいっときの平和を永く導いてくださいますようお祈り申し上げます」
「約束しましょう」
私の言葉に大詠師が何か言う前にイオンがきっぱりと告げた。驚きをあらわにしていた大詠師が慌てて取り繕うのが滑稽だ。イオンもそう思ったのかニヤリと笑っているのが見えたので、私も微笑んでみせた。
導師の前から辞して邪魔にならない場所で様子を伺う。イオンはたまに口を開いて大詠師を慌てさせているようだった。私の前に音もなく現れたヒルデブラントからグラスを受け取って口をつける。
「どうでしたか?」
私が挨拶をしている間にヒルデブラントはアリエッタへ声をかけていた。その表情から予想がついたが、結果は芳しくないようだった。
「導師のお側を離れたくないと、それだけでした」
「なるほど。やはり導師によく懐いているようですね」
不服そうな顔のヒルデブラントを見上げる。
「では伝えてくれましたね」
「はい。一時も離れず導師イオンをお守りする――それは当たり前のことなのではありませんか?」
もし断られたのならと、伝言を頼んでいたのだ。確かに内容はありふれていて、導師守護役としては当然のものだった。
「ええ、当たり前です。ですが当たり前のことを当たり前にできぬ事もあるでしょう。その時は手助けをしてやるのが私たちにできる最後のことです」
「お言葉ですが、導師の御身に危険が及んだのなら我々にできることは少ないのでは?」
ヒルデブラントとしてはないと言い切りたいのだろう。それは認識としては間違っていないが、教団も一枚岩ではないのだ。
「アリエッタが懐いているのは導師ではありませんよ」
私はあえてそこで言葉を切った。この場でこれ以上言うことはできなかったからだ。
導師ではない。そう、アリエッタが慕うイオンという人間の話だ。私はグラスの中身をあおってヒルデブラントに預けた。
「さて、仕事はこれで終わりですね。戻りましょう」
「かしこまりました」
挨拶は終えたのだから後は大使に任せよう。こういうときだけは子どもの特権を振りかざしながら、私は導師イオンに背を向けてホールの外へ踏み出したのだった。


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