リピカの箱庭
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次期導師イオンを以前見たときはほんの赤ん坊だった。考えてみれば彼はメシュティアリカよりも年下なのか。そんな子どもに導師の任を負わせるなんて、預言というものはつくづく残酷なものだと思う。
そんな次期導師にはすぐにまみえることはできなかった。彼が居室にはいなかったからである。
私の前ではおおっぴらにできないのでコソコソと耳打ちをしていたが、次期導師がいなくなったのは護衛兵たちにも想定外だったらしく教会の奥はバタバタと慌ただしかった。これでは会うことは無理だろうと思い、これ幸いとその場は辞したのだったが。
「伯爵、お下がりください!」
応接室に戻るまでの道のりをヒルデブラントと歩いている途中に聞こえてきたのは魔物の鳴き声だった。こんなところに魔物がいるなんてありえるのか。狭い場所では戦うにしても不利だと外の庭を見回したところで私はその人影を見つけてしまった。
「ヒルデブラント、あそこに」
「あれは――」
緑の髪の少年、あれこそが次期導師イオンだろう。そして共にいる少女と魔物の組み合わせにも覚えがあった。私は警戒しつつも声をかける。
「もし、そこのお嬢さん。せっかく隠れているのに魔物がいては目立ってしまいますよ」
ヒルデブラントが私の奇行に目を丸くしているのがわかるが、こちらとしてはわざわざ彼女の逆鱗に触れたくはない。魔物を斬り殺すのは簡単だし、ヒルデブラントは私の安全の確保のためならそうするだろう。一刻も早く下げてもらう必要があった。
「あなた方がここにいたことは誰にも言いません。私の剣がその魔物を傷つける前にお下げなさい」
少女は迷ったように少年を見て、少年は私をじっとりと睨んでいた。だが、結局その薄い唇を開いた。
「……アリエッタ。下げろ」
「でも……イオンさま」
「でもじゃない。下げろ」
高圧的な物言いは確かに私の知っているイオンとは違った。アリエッタと呼ばれた少女――妖獣のアリエッタは渋々といったふうに魔物を下げてこちらを睨みつけてきた。
「誰……ですか」
「マルクト帝国から参りました、レティシア・ガラン・ガルディオスと申します」
問いかけてきたのはアリエッタだったが、私は次期導師にも向けてそう名乗った。ほとんど無反応どころか鼻で笑われたけど。
「"ホドの真珠"か。アリエッタ、お前のお仲間だぞ」
「え?」
さすが次期導師だけあって私が誰だかわかったようだ。アリエッタは分からないようで目を瞬かせているが、次期導師にそれを説明する気はないようだった。
「そこのお嬢さんもホドの出身なのですか」
「アリエッタは……フェレス島で生まれた、です」
「では、お隣ですね」
「おとなり、お仲間?」
アリエッタは確かメシュティアリカと同じくらいだったはずだが、それよりもかなり幼く見える。体格も次期導師のほうがいいくらいだ。魔物を使役していた姿からは想像もつかないような子どもらしい仕草に哀れみが湧き上がってきた。そして皮肉な物言いが通じないことにイライラしているらしい次期導師は「もういい」とアリエッタの手を乱暴に掴んで自分の後ろに下げた。
「呑気なものだな、ガルディオス伯爵」
「そうでしょうか?」
「人を呼ばなくていいのか。僕を連れ戻しにきたんだろう」
「いいえ、そんなことはありません。次期導師様にお会いできず帰るところでしたので」
実際次期導師を見たら連れ戻してほしいとも頼まれていない。彼がかくれんぼをしたいのなら好きにさせればいいと思う。私はそのことに責任を負う立場ではないからだ。
それに、同情もある。ほんの子どもがこれからは導師として担ぎ上げられ、相応に振舞わなければならない。その苦痛を考えると、この最後の日、最後の時間を出来るだけ長くとってやりたいと思った。
「……僕が誰だか知らないのか」
「さて。名乗っていただいていませんから」
微笑んでみせると次期導師は心底気に食わないといったふうに顔を歪めた。なかなか難儀な性格らしい。そしておもむろに、アリエッタの手を取ったまま立ち上がった。
「戻るぞアリエッタ」
「え、あ、イオンさま」
「お前も来い」
私を見て、いや睨んで次期導師が言う。逆に意固地にさせてしまったかな。私は微笑みを絶やさないままに口を開いた。
「お断りします」
「……っ!許されると思ってるのか」
「見知らぬ無礼な方について行くとでも?」
ガルディオス伯爵を動かしたいのなら、ただの逃げ出した子どもではできない。相応の振る舞いをしてもらわなくてはならないのだと告げると次期導師はもう一度口開いた。
「ガルディオス伯爵、あなたも来てくれますね」
柔らかい口調に微笑みは先ほどとは雰囲気がガラリと変わっていた。別人ではないかと思うほどだ。
「ええ、次期導師様」
次期導師は「イオンだ」と言った。意志の強い瞳にはっとする。そこにいるのは預言に弄ばれたはかない少年などではなかった。まだ、自分の死期を詠んだ預言を知らないのだろうか――いや、そうだとしても、導師となるべく育てられた子どもは確かに導師としての威厳を備えていた。
「僕は導師イオンだ」
預言に流されたのではない。選んだのだと主張するようにイオンが告げる。彼の中でとっくに覚悟は決まっていたのだろうか、そんな気すらした。


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