リピカの箱庭
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案の定、予定の船は出なかった。導師エベノスの崩御の報がもたらされたのは船が出るその日だったので、運が良ければいけるかと思ったんだけど。
「導師さまが亡くなられたのですか?」
「そうです。なので、船も出ません」
メシュティアリカは首を傾げる。そうすると実年齢よりさらに幼く見えた。
「なぜ導師さまが亡くなられると船が出ないんですか?」
「みんな悲しんで仕事ができなくなってしまうからですよ。家族や尊敬している人が亡くなったら悲しいでしょう?この都市ではみなが導師のことを慕っていますからね」
目を瞬かせたメシュティアリカは「そうなんですか」とまだ不思議そうなままだった。ユリアシティで暮らしてきたメシュティアリカにとってローレライ教団は身近でも導師に会ったり見たりすることはなかっただろうから、ダアトの人たちとまた感覚は違うのだろう。
「メシュティアリカ様はダアトのご出身ではないのですか」
そのことに疑問を抱いたのだろう。ヒルデブラントが尋ねるのに私が代わりに答えた。メシュティアリカが困るのはわかっていたからだ。
「メシュティアリカはここより郊外で育ったのですよ」
「そうでしたか」
郊外というか、まあダアトはユリアロードとは同じ大陸にあるから嘘ではないだろう。こじつけを考えながら私は背もたれに寄りかかった。
さて、それよりも問題なのはここからどう立ち振る舞うかだ。ダアトへは「ガルディオス伯爵」として訪れているのだから、導師が亡くなられたのなら何がしかのアクションが必要になる。葬儀への参列はできるだろうか。勝手が分からないが、幸いダアトへは以前訪れた時に挨拶をした要人が何人かいる。彼らに手紙を渡せばいいだろう。
考えをまとめて、私は持ってきた中で一番地味な服装に着替えた。メシュティアリカも暗い色の服装に着替えさせる。
「どこへ行くんですか?」
「教会ですよ。挨拶をしなくてはなりませんからね」
留守番させることも考えたが、メシュティアリカはおとなしい子だから大丈夫だろうし一人きりにはできない。それに教会が神託の盾騎士団の本部でもあると告げると興味深そうな顔をしていた。
宿の外は思いのほか人が多かった。といってもみな導師の死を嘆き悲しんでいるので、店なんかはまともに機能していない。この様子では食事も今泊まっているホテルでしか摂れないだろうなと思いつつ、きょろきょろと辺りを見回すメシュティアリカとはぐれないように気をつけながら教会へ向かった。

教会の入り口では物々しい雰囲気で神託の盾騎士団が立ち塞がっていた。この様子だと身分を明かしても中に入れさせてもらえないかもしれない。とりあえず言伝を頼めたらいいんだけど、と思っているとジョゼットが「あっ」と声をあげた。
「お兄様……!?」
彼女の視線の先には一人の騎士団兵がいた。その男性の顔には確かに見覚えがある。そしてジョゼットとよく似ていた。
「ジョゼット?ジョゼットなのか!」
「そうよ、マティアスお兄様。元気でいらしたのね」
騎士団兵も驚いた顔でジョゼットに声をかけてくる。そして私を見て「まさか」と呟いた。
「レティシア……か?」
「はい、そうです。マティアスお兄さま」
後ろでヒルデブラントが怪訝そうにマティアスお兄さまを睨んでいて、メシュティアリカは成り行きがわからなさそうにぼんやりしていたが仕方ない。ヒルデブラントとしては主人がその辺の騎士団兵に名前を呼び捨てにされているのが気にくわないのだろう。それに気がついたのかマティアスお兄さまはハッとした顔で姿勢を正した。
「失礼いたしました、ガルディオス伯爵。お久しぶりです」
「そうですね、マティアス。生活はどうですか?」
「今はよく暮らしております。妻と娘を養える程度には」
そういえばマティアスお兄さまは駆け落ちをしたのだと聞いていたが、子どもも生まれて元気に暮らしているようだ。そして彼も私のことを――母のことを恨んではいない。どこかほっとした気持ちで握っていた拳を解いた。
しかし、ジョゼットの落ち着きがなかった理由がこれでわかった。ダアトにいると知っている兄に会いたかったのだろう。後で時間ができたらゆっくり兄妹の時間を設けてあげたいところだ。
「それはなによりです。ところで、詠師トリトハイムに取り次ぎ願いたいのですが」
「かしこまりました。中までご案内いたします」
なんだか運良くすんなり中に入れてしまった。ジョゼットとマティアスを数歩後ろから眺めながら進んでいると案内されたのは応接室だった。
さすがに詠師もこのタイミングでは忙しいらしい。詠師トリトハイムはゲームにも出てきた人物だが、特筆すべきは彼が中立派ということだ。ガルディオス伯爵代理としては特定の派閥に肩入れはできない。まだ詠師であるモースやほかの詠師とも面識はあるが、わざわざ詠師トリトハイムに取り次ぎを頼んだのはそんな理由だった。
大して待たない間にやってきた詠師に挨拶とお悔やみの言葉を述べ、葬儀への参列の許可を得る。そして次期導師イオンに会わないかとなぜか頼まれた。
「イオン様も塞ぎ込んでおられまして。懐いている騎士も外出中でして、お歳の近いガルディオス伯爵にお声がけいただけないかと……」
そこまで歳は近くない気がするけど、子どもというくくりにされているのだろう。そしてその懐いている騎士というのは――。私はその先の思考を飲み込んで頷いた。いや、頷くしかなかった。
「わかりました。ですが、この二人をここに待たせても構いませんか?」
さすがに導師の御前にメシュティアリカを連れてはいけない。そして彼女と共に残すならこの場合はジョゼットのほうがいいだろう。詠師が了承したので、私はヒルデブラントを連れて次期導師の居室へ案内されることになった。


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