深海に月
09

下町にはけが人はほどんどいなかったけれど、ハンクスさんはわたしを歓迎してくれた。急に来なくなったのでエステルとユーリさんたちと一緒に行ったと思われていたらしい。とりあえずまだお城に厄介になってることは伝えておく。
「それにしても、被害があったのはほとんど貴族街のほうだったらしいのう」
「……魔導器があるから、たぶん、です」
考えてみれば星喰みはエアルから生まれたものだ。下町よりも魔導器が多くてエアルにも溢れている貴族街に向かったのは不思議ではない。
「しかしこうなってはフレンも以前に増して忙しくなるのう。ユーリのやつが戻ってくればいいんじゃが」
「エステルも……どこいる分からない、心配です」
他の街も襲われているかもしれないと騎士のひとは言っていた。それだとエステルたちも危ないのかもしれない。きっとわたしよりずっと強いだろうけど、それでも心配なものは心配だ。わたしはぎゅっとローブを握ってため息をついた。
けが人の治癒を終えて、遅くなってしまったので下町の宿に泊まらせてもらえることになった。宿屋のおかみさんには恐縮されてしまったけど、わたしはお城に住んでいるとはいえエステルみたいな本物のお姫さまじゃないので気にしないでほしい。
下町のひとたちと酒場で食べる食事はお城で一人で食べるよりもずっとおいしかった。大人の男の人がお酒を飲んで酔っ払っていても、わざわざわたしに絡んでくることはないし。ちびちびとオレンジジュースを飲んでいるとカランコロンとドアのベルが鳴ってまた誰か来たんだなと視線をやる。テッドが「フレン!」と呼んだ。
「どうしたの、忙しいんじゃないの?」
「まあね。ところで……ああ、やっぱり。ここに来てたんだね、レティシア」
いつもの鎧姿じゃないフレンが辺りを見回して、すぐにわたしを見つけて声をかけてきたのに瞬いて首を傾げた。もしかしなくても、わたしを探しに来たとか?
「けがしてる人、お城、まだいる?」
ということは、治癒術師が足りないのだろうと思って立ち上がる。今日はいろんなことをして疲れたけど、役に立てることならするべきだろう。けれどフレンはこちらに歩いてきて、苦笑して首を横に振った。
「違うよ、君がいなくなったから心配して捜しに来たんだ」
「えっ?」
予想していなかったことを言われてびっくりする。まさかそれだけでフレンみたいにえらい人がわざわざここまでやってくるとは思わなかった。わたしはあわてて謝った。
「フレン、つかれてるのに、ごめんなさい……」
「レティシアはみんなの怪我治してくれたんだよ、怒らないで」
テッドも庇ってくれて申し訳なくなる。フレンは相変わらず苦笑を浮かべたままわたしの頭をぽんぽんと軽く撫でた。
「怒ってないよ、下町のみんなを心配してここに来たんだろう?騎士たちの治療をしてくれたという話も聞いた。ありがとう」
「……うん」
「でも、誰かに言ってからここに来てくれたら……いや、」
言いよどんだフレンは目を細めて首を横に振る。たぶん、そうしていたらわたしは止められていたと思う。だって、ヨーデルに外に出ないようにと言われているのだ。それをフレンも分かっているのだろう。わたしは自分の頭に乗せられた大きな手を握った。
「はやくお城戻る、フレンやすむ」
「そうだね。まだやることもあるし……」
「フレン、やすむ、です」
忙しいのはわかるけど、休まなくて体調を崩してしまったら元も子もない。じっと見上げるとフレンは「まいったな」と頬をかいた。
「お嬢ちゃんの言う通りじゃ、フレン。なんなら今日はここで休んでいってもよいぞ?」
「はは、ありがたい申し出ですけど遠慮しときますよ。騒がしくって寝られるかわからないしね」
「フレンが泊まってくっていうならいろんな人が来そうだもんね」
テッドが半分残念そうに笑った。下町出身の騎士はほとんどいなくて、フレンは下町のことをよく気にかけているのでいろんな人に慕われているのだとハンクスさんは言っていた。はやく星喰みをやっつけてしまって、フレンが忙しくなくなってくれればいいのにと思う。
ジュースを飲み干して、わたしはフレンと二人で帰路についた。もう外はすっかり暗くなってしまっている。改めて、こんな遅くにフレンに探させてしまって申し訳ない気持ちがわいてきた。時間を実感すると睡魔が襲ってきて、目を擦りながらゆっくりと足を動かす。フレンはわたしの歩く速度に合わせてくれていて、そのことには気がつかなかった。
「レティシアは、やっぱり外に出たいと思う?」
ふいにフレンに尋ねられてわたしは顔を上げた。フレンは眉を下げて微笑んでいる。
「下町のひと、会いたいです。お城は、誰もいないです」
わたしは素直にそう答えた。エステルもいないし、フレンともほとんど会えない。お城の居心地が悪いとかじゃないけど、ずっといるのにはつまらない場所だ。
「そうだよね。このままじゃエステリーゼ様と同じ……」
「エステル、同じ?」
「ううん。なんでもないよ」
何かを言いかけたフレンはその先を言ってはくれなかった。わたしはふうん、と鼻を鳴らす。思ったよりも拗ねたように響いてしまったけど取り繕える気はしなかった。そのまま黙って歩いていると、フレンに名前を呼ばれて振り向いた。大きな手を差し出される。
「レティシア、ほら」
「?」
「眠いんだろう?手、繋ごうか」
「……ん」
手を伸ばして指を握る。フレンの手はあったかくて、安心する。勝手に城を抜け出したのは反省するけど、それでもフレンが迎えに来てくれたので嬉しいと感じたのは黙っておこうと思った。


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