深海に月
07

エステルがいなくなってしまって気がついたのは、わたしに友だちが全くいないことだった。下町に行けばお話ししてくれる人はいたけど、お城の中だと知り合いなんて全然いない。お城のメイドさんはわたしとあまり話してくれないし、騎士のひとはなんだか怖いし、綺麗なドレスを着た人たちもたまに見るけどやっぱり避けられている気がする。ラピードもいなくなってしまった、というかもともとユーリさんの相棒だったので仕方ないんだけど、さみしくなった。
つまらないのでわたしのすることと言えばヨーデルに言われた通り古い文書を読み解くことだった。古代文字はここで使われている文字よりもわたしにとっては読みやすい。街で使われていた文字はこっちによく似ていた。お願いすれば辞書とか資料はいくらでも持ってきてもらえたので、わたしは部屋にこもって資料とにらめっこする日々を過ごしていた。
文書はもっぱらザウデについてとか、昔星喰みがあった時の伝説についてとかの話だった。魔導器のことはよくわからないので勉強しながら読むのは時間がかかる。でも、知らないことを知るのは面白かったし、何より「街」の話があるかもしれないと思うと読むのは苦痛ではなかった。
――そして、たどり着いた本に書いてあったのは、ザウデはむかしの満月の子たちの命で動いているということだった。いつの間にかあった古い本に視線を落とす。死んだ満月の子はエステルの祖先だ。わたしは、きっと、そうだ。オーマが言っていたように裏切られた満月の子たちがあの街に閉じ込められていた。
つまり、星喰みから世界を守るために命を捧げることに反対した人たちだ。千年も前に私たちの祖先は閉じ込められて、そしてオーマはそれを千年間も憎んでいたのだろう。憎み続けていたのだと思う。
途方もない話だ。千年も、憎しみだけで生きてるってどんな気持ちなんだろう。オーマは幽霊だと思ってだけど、体はどこかあるのだろうか。あるとしたらどうやって千年も生きながらえたんだろう。
この世界は不思議なことがいっぱいある。たとえば、エステルが乗っていったおおきなクジラ――始祖の隷長というらしい生き物とかも不思議だ。わたしの満月の子の力というのも原理がよくわからない。治癒術をずっとかけていれば死なないとか、そういうのがあったりするんだろうか。
あんまり気にしたことなかったけれど、オーマのことが急に恐ろしく感じられてわたしは身震いした。もしかしたらオーマはもう人間でなくなっているのかもしれない。オーマは憎しみを持っているひとだったけれど、同時にわたしにいろいろなことを教えてくれた人だった。それなのに、こういうふうに思ってしまうのは悲しい。

そうしてエステルと過ごしたよりも長い時間が過ぎても、街に帰りたいと思うことは不思議となかった。わたしはあの街が牢獄だと知ってしまったからだろうか。城から出ることを禁じられて、抜け出したいと思うことはあるけれど向かいたいと願うのはあの街ではない。エステルに会いたいし、フレンのいる場所に行きたい。そんな思いは日に日に強くなっていった。
空を何度見上げたって星喰みは消えない。あの街にいる満月の子たちが全て命を捧げても、ザウデを動かすにはきっと足りないだろうと思った。わたしにできることはなんなのだろう。古文書を読むのは進めていたけど、そろそろこの作業に意味がないことも気がついていた。だってわたしが読んでまとめたものを読む人がだれもいないのだから。
城にいる人たちはわたしを閉じ込めて、まるでいないかのように扱っていた。ヨーデルの姿もほとんど見ない。騎士団のひとたちもみんな忙しそうで、けれどその日はそれに増して慌ただしかった。
図書室の外から騎士たちの会話が聞こえてくる。「化け物が街に――」「はやく避難を」「攻撃が効かない!どうなってるんだ!」怒号混じりのそれに一瞬身が竦んでしまったけれど、聞き逃せない。慌てて部屋に戻って窓から覗くと、魔物とは違う「ばけもの」が見えた。あのいやな感じは星喰みに似ている。
「――」
あんなものがいたらわたしには何もできないかもしれない。でも、治療の手伝いはきっとできる。騎士が――フレンがどうしているか気になって、心配になっていてもたってもいられなかった。
ローブを着て部屋から飛び出す。混乱の中、城には市民も避難しているようでわたしのことを気に留めるひとはだれもいなかった。ただ、怪我をしているひとが多いのが気になって足を止めてしまう。
「怪我人は食堂に運べ!」
誰かが叫んでいたので方向転換する。騎士たちの食堂は広くて、それでも中には見たこともないくらいたくさんの人たちがいた。わたしは辺りを見回す。治癒術師の姿は明らかに足りなかった。
「こんなところで突っ立ってるな!」
後ろからきた騎士に怒鳴られてわたしは慌てて振り向いた。その人はまた別の――怪我をした騎士を抱えて焦っているようだった。拳を握りしめて覚悟を決める。
「――"命を照らす光よ、来たりて疵を癒したまえ"」
エアルが渦巻いてその傷口から光が溢れる。光が消えたときにはきちんと傷が消えていてわたしはほっと息をついた。
「治った、です」
「……あんた、まさか」
驚いたような顔をされるけど構っていられない。他のひとも怪我をしているのはわかっていた。この人が言った通り、ぼうっと突っ立っている役立たずはこんなところにいたら邪魔なのだ。
身を翻して他の負傷者のところに急ぐ。治癒術をむやみに使ってはいけないと言われていたことなんてもうすっかり忘れてしまっていた。


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