リピカの箱庭
幕間07

「ジェイド!どういうことだ」
「あちらにガルディオス伯爵の滞在が漏れていたようです。第七音譜術士の手配を」
「わかった」
ジェイドと共にいたのは傷ついたガルディオス家の騎士と、メイドらしき女性だった。ピオニーは急ぎ第七音譜術士を呼びつけ、ガルディオス家の者たちを休ませた。
「何があった」
そう尋ねると、治癒術をかけられてもなお目を覚まさないレティシアを見下ろしながらジェイドは答えた。
「奴らの会話でガルディオス伯爵への襲撃を仕掛けたと知ってホテルへ急行したが……間に合わなかった」
ガルディオス伯爵を巻き込む結果になったのはジェイドとしても不本意だったらしい。いつもよりも低い声で答えられて、それでもピオニーは淡々と質問を続けた。
「小屋の方はどうした?」
「……部下に任せましたよ。先程報告が来ていました。ガルディオス伯爵を襲撃した者を含めて捕縛しています」
「そうか」
ピオニーは腕を組む。ますますヘイエー伯爵の関与が疑われるな、と冷静な頭で考えた。ガルディオス伯爵への暗殺未遂ならば罪状として申し分ない。
ノックの音がしてピオニーは顔を上げた。ドアを開けたのはガルディオス家のメイドだった。
「失礼します。レティシア様の容態は……」
「命に別状はありません。ただ特殊な毒を使われてしましてね。譜術を使ったせいで体内に拡散されて抜けきれていませんから後数時間は安静にすべきでしょう」
「そうですか」
ホッとした顔で、しかし眉を下げたままメイドは手に持った鞄を足元に置く。そしてベッドの側に腰を下ろしたのを見てピオニーはジェイドに目配せをして出て行こうかと思ったが、不意にレティシアが身じろいだので動きを止めた。苦しげな顔をした少女がぼんやりと虚空を見つめるのにメイドが声をかける。
「レティシア様!具合はいかがですか?」
「ロザリンド。……エドヴァルドは」
「軽傷です。今は休んでおりますが、大丈夫ですよ」
「……そうですか」
思ったよりもはっきりとした声でレティシアが応える。意識があるなら説明をしようと思い、ピオニーが事の経緯を告げている間レティシアはピオニーの顔をじっと見上げていた。そしてジェイドへ視線を移してピオニーに戻す。何かを探すように。
「ガイは」
「ん?」
「ガイはどこ?」
言葉の切れ目に投げかけられた問いかけにピオニーは何も答えられなかった。誰だ?と思っている間にレティシアは顔色を悪くしながら体を起こそうとしていた。それをメイド――ロザリンドが止めるように腕を掴む。
「ガイはどこです。ロザリンド、ガイは」
必死に、それこそ顔面蒼白になってロザリンドに縋り付くその姿にピオニーは眉根を寄せた。意識こそあるものの、レティシアが平静であるとは思えない。
「ご安心ください、お嬢様。お持ちしていますよ。ほら」
ロザリンドはそう告げると鞄からくまのぬいぐるみを取り出した。それはピオニーにも見覚えのあるものだった。レティシアは弱弱しくぬいぐるみを抱きしめて、幼い子どものように抱え込む。襲撃現場にあったのか薄汚れていたが、そんなことはまるで気にしていないようだった。
「ガイ、ガイ……よかった……」
ただのお気に入りのぬいぐるみというだけではないだろうというのはその様子を見ればすぐに分かった。レティシアはしばらくそうしていて、不意に顔を上げると硬い表情で幾分か声のトーンを落として呟いた。
「グスターヴァスに、れんらくをしてください。それと……」
それは伯爵としての言葉だった。さきほど取り乱していた子どもがすぐに自分の立場とすべきことを思い出してそう言うのだ。ロザリンドはまた宥めるようにレティシアの手をさする。
「お嬢様、大丈夫ですよ。ピオニー殿下もカーティス少佐もいらっしゃいます。安心してお休みください」
そうだ、とピオニーは口に出さないで思った。彼女が全てを背負う必要はない。暗殺未遂の直後くらい、誰かを頼ってもいいはずだ。
なのに、レティシアは悲しそうに目を伏せた。そして掠れた声で呟く。
「おとうさまは……きいて……くださらなかった……」
だから、と呻くように言う。いや、その先は呻き声にしかならなかった。目を瞑って呼吸を荒くするレティシアの額に張り付いた髪をロザリンドは悲痛な面持ちで払う。何度も何度も、伝わらないと思っていてもなお、彼女は小さな主をいたわるように撫でていた。
「大丈夫です。大丈夫ですから……お嬢様……」
そうしてレティシアの呼吸が穏やかになるまで、ピオニーは黙って見守ることしかできなかった。それはジェイドも同じだっただろう。きっとレティシアの瞳に自分たちは映っていなかったのだと思う。彼女はトラウマを――レティシアが故郷を離れたときからずっと見ている悪夢を見ていたのだ。
「……ガイというのは」
立ち上がったロザリンドにピオニーが静かな声で問いかけると、彼女は振り向いて答えた。
「ガルディオス家の跡取りだった、レティシアお嬢様の兄君です。そのガイラルディア様がくださったぬいぐるみを……お嬢様はずっとガイラルディア様の代わりにしておられました」
それはピオニーが別のメイドから聞いたのと同じ話だった。だからダアトへ行く際にピオニーはレティシアにそのぬいぐるみの名前を尋ねたのだった。レティシアは答えなかったが、それを意味するところは明白だ。
兄の名前を持った、心のよりどころをレティシアはピオニーへ分かちたくないと思ったのだろう。分かち合えないと思ったのだろう。だが、あのとき彼女は何と答えたのだったか。時が来れば――?言われたときは方便かと思ったが、今は違うように感じられた。その時が来ることをレティシアは予見している?なぜ、と思考を深くしようとしたところでジェイドの声に遮られる。
「だから、あなたはホテルを出るときにわざわざ荷物を持って出たのですね」
襲撃があったときの話だろう。ロザリンドは胸の前で指を組んで頷く。
「お嬢様はガイ様を心の支えにしておられます。私は……私たちはお嬢様をお守りするのが役割です。お体だけではなく、お心も」
ロザリンド自身、感じているのだろう。自分は幼い伯爵の兄や父の代わりにはなれないのだと。だからこうしてレティシアが縋っているものを守ろうとしている。それはまぎれもない忠誠だ。
レティシアの子どもの部分を思いがけず垣間見てピオニーは複雑な気持ちになった。それは彼女が自分から見せてもいいと思ったものではない。むしろレティシアはピオニーに対して常に気を張っていた。それはピオニーが皇太子という立場にあるからではないだろう。このメイドにも、騎士にも、周りのすべての大人たちに対して彼女はそうなのだ。
ガルディオス家のメイドの一人はそのことを気味悪がっていた。子どもでは上がれない舞台で計算高く貴族としてふるまい家を守るレティシアははたから見れば得体が知れないかもしれない。しかしそのふるまいはピオニーには身に覚えのあるものだ。皇子として生き抜くのに必要なものだった。
ロザリンドに促されて部屋を出たピオニーは無言のまま自室へ向かった。ジェイドも黙ってついてくる。二人の間の空気は重く、なにか声をかけて互いに慰め合えばきっと気分も軽くなるだろう。その相手があの少女にはいないという後ろめたさが二人の口を重くしていた。
「――始末はきっちりつけないとな」
「そうですね」
地位と力のある大人が今すべきは反省ではない。腰掛けたピオニーは机の天板を撫でて、険しい顔をしているジェイドと視線を合わせた。


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