リピカの箱庭
32

「エディ、疲れた顔してるわ」
「そうだろうか。でも心配しないでくれ、ロズ。君がいるだけで癒されるからね」
「もう、本当に大丈夫なの?」
自分の屋敷で部下たちがいちゃついてるのに遭遇してしまったことってありますか。私はあります。気配を消したつもりも何もなかったんだけど、エドヴァルドは本当に疲れてるらしくて気づいていないっぽい。休んでほしい。いちゃついていいから、部屋で休んでほしい。廊下でやるのはやめてください。
しかし、さっき聞いた話が本当だったとは。ジョゼットには気づいてなかったの?と言われてしまったレベルでわかりやすかったらしいが、私としてはこれくらい目撃してしまわないと全然気がつかない。目撃してしまうと普通に気まずいんだけど。
「伯爵?何をなさってるんです」
とか思いつつ様子を伺っていたら後ろから声をかけられてびっくりしながら振り向いた。ヒルデブラントが不思議そうな顔でこちらを見下ろしていた。いや、まずい。
ちらりと角の向こうを見るとエドヴァルドも驚いた顔をしていたし、ロザリンドは顔を赤くしていた。
「おっ、お嬢様!」
「ああ、エドヴァルド様とロザリンドですか。伯爵を困らせないでくださいよ」
「そんなつもりはなかったんです!」
私もそんなつもりはなかったんだよ。思わずため息をついてからじっと見上げた。
「エドヴァルド」
「……はい」
「報告をもらっていませんが」
「レティシア様のお手を煩わせることではないかと……」
「ならば、徹底しなさい。それができないなら報告をしなさい。どちらがよいですか?」
私がこの現場を目撃してしまった以上どちらかはっきりしてもらわなければ困る。ヒルデブラントも後ろでうんうんと頷いていた。
「こっちもやりにくいんですよ。仕事中にフワフワした雰囲気出されても困るので」
ですよね?とヒルデブラントがこっちに振ってくるが、フワフワした雰囲気とかあったっけ。もしかして徐々にフワフワしていったせいで慣らされていたのだろうか。途中から屋敷に来るようになったヒルデブラントとジョゼットの方がその辺気になっていたのかもしれない。……適当に合わせて頷いておくけど。
「……かしこまりました。ですが、少し考えさせてもらってもよろしいでしょうか」
「よいでしょう。それと、今日は早く休みなさい」
「はい」
それだけ告げて私はとっとと退散することにした。馬に蹴られたくはないし。ヒルデブラントも肩をすくめながらついてくる。
「……ヒルデブラント」
「はい」
「これ、うまくいかなかったら私のせいになるんでしょうか」
急かしてしまった自覚はあるので思わずそんなことを訊いてしまう。ヒルデブラントは目を丸くしてから「いえいえ」と首と手を振った。
「伯爵が気にされることでは全くないです。元々結婚する気はあったみたいですから」
「そうなんですか」
「私もテレジアンナさんから聞いたんですけど、伯爵が結婚したらって考えてたらしいですよ。……これ、私が言ったって言わないでくださいね」
私が結婚したら、か。確かに私はあと何年かしたら結婚可能な年齢になるし、この立場だから早く結婚すると思われていても不思議ではない。でもガイラルディアが戻ってくるのだから、結婚なんてしたら邪魔なだけだ。となると、急かして正解だった気がする。
「言いませんよ。話してくれてありがとう」
「いいえ。伯爵のお役に立てたのなら本望です」
言いながらヒルデブラントは部屋のドアを開けてくれた。さて、どんな答えが返ってくるだろうか。あまり気にしないでおこうと思いながら椅子に深く腰掛けた。

そんなわけで、婚礼衣装の準備をしたりなんかしてホドグラドの屋敷で式を執り行ったのは数ヶ月後だった。街規模で挙式するとなると準備をすることがあってかなり大変だなと思わされた。ガイラルディアの結婚式のときなんかはこの比じゃないだろうけど、経験があるのとないのとでは大違いだ。スケジュールを立てたり招待状を送ったり預言士の手配をしたり、そのあたりは任せてほしい。
式は無事に終わり、そして新郎新婦はハネムーンに旅立った。
はずであった。
「私は結婚旅行に行けと言ったんですがね、エドヴァルド」
何で私も船に乗っているんだろう。上司がついて行くハネムーンなんてあってたまるか。エドヴァルドはしれっと答える。
「お嬢様がお休みになられないのに我々が行けるわけないでしょう」
「だからって連れていくことありますか」
「私は騎士ですので、主人のそばでお守りするのが一番です」
「そうですよ、お嬢様。びっくりしました?みんな協力してくれたんです」
そりゃあびっくりしましたよ。うーん、仕込まれたサプライズだったとは。確かに合理的ではある……あるのだろうか……?船は勘弁してほしいのだけど、今回は以前ダアトに行ったときよりはマシだ。私はため息をついて腹をくくることにした。
「次からはやめるように。仕事だってあるんですから」
「お嬢様はもう少しお仕事から離れるべきです!なんでもお一人でなさらなくても、もういろんな人がお嬢様のお力になるんですから」
ロザリンドの言葉に私は思わず目を丸くした。――なんでも一人でしなくてもいい?そんなことは分かっている。けれど、ガルディオス伯爵を務められるのは私しかいない。ガイラルディアが戻ってくるその日まで、私は家を守らなければならない。いつでも剣を取れるように、剣を磨かなければならない。
確かに、あのとき、何もできなかった四歳の子どもではないかもしれない。だからといって、次に何ができると言うのだろう。ガイラルディアも、ヴァンデスデルカもいないのに。
ロザリンドを見上げる。エドヴァルドを見上げる。私はもう、ホドにいたときよりも長い時間を彼らと過ごしていた。
それなのに、私の心はまだホドにあるのだ。戻れないとわかっていても戻りたがっている。新しい場所へ進もうとしている彼らとは大違いだ。
「……そうかもしれませんね」
情けなくなりながらもどうにかそんな言葉を返す。そう言わなければならなかったから。
だって、あの時から歩き出せない。私だけがただ一人で立ち尽くしている。それだけはどうか許してほしいのに、手を差し伸べられてしまっては誤魔化すことしか私にはできなかった。


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