リピカの箱庭
27

会見を終えれば私に残されたミッションはネイス博士と会うことだけだった。他の使節団の人は外交的駆け引きをしたり会議をしたりするわけだけど、私がそこに加わることはない。伯爵とはいえお飾りみたいなものだし、参加しろと言われて困ってしまう。
そんなわけで、私は改めて殿下から任務の詳細を聞かされていた。ちなみにカーティス大尉はあくまで私用でダアトを訪れていたということで既に帰国していた。
「――つまり、ネイス博士を警戒させないように話をすればいいのですね?」
「そういうことだ」
ということなら確かに私が適任かもしれない。ネイス博士は多分私の顔を知らないし、軍人に囲まれるよりは小娘一人を相手にする方が敷居は下がるだろう。
「かしこまりました」
「兵士を何人かつけておく。卿はただサフィールと話をしてくれればいい。ま、説得ができればそれに越したことはないが」
そんなふうに告げたピオニー殿下は今日も何かの会議で忙しいらしい。私は邪魔しないようおいとますると、ネイス博士の居場所へ向かうことにした。

ネイス博士がいるのはダアトの宿屋の一室だった。物々しい雰囲気で兵士たちが取り囲んでいて、営業妨害だなあと思いながらドアを開ける。眼鏡をかけた痩身の男性がこちらを驚いた顔で見つめていた。
「こんにちは。サフィール・ワイヨン・ネイスですね?」
「な、なんなんです、アナタは」
なぜ子どもが来たのかわからないというふうな顔だ。私は部屋に唯一ある椅子に腰掛けて、立ち上がったままのネイス博士に唇だけで微笑んだ。
「あなたと話をしにきました」
「ふ、ふん。どうせピオニーあたりの差し金でしょう。私に話すことはありませんよ」
うろたえていたネイス博士がなんでもないと言いたげに眼鏡を押し上げる。しかし、兵士さんたちを部屋に入れなくてよかった。ピオニー殿下を呼び捨てはまずいだろう。
「そうでしょうか。あなたは現状に不満があるのでしょう?」
「それは……」
「どうしてここまで来たのですか?フォミクリーの研究をマルクトでは続けられないから?」
「……」
ネイス博士は沈黙する。私に話す気がないというのは本当だろうが、戸惑いもまだあるようだった。気にしないで問いかけを続ける。私は答えを知っていたから。
「どうしてフォミクリーの研究を続けたいのですか?」
「け、研究者として当然の知的好奇心を満たしたいだけですよ」
ようやく口を開いたネイス博士のその言葉が真実でないのは分かっている。私は首を傾げてみせた。
「本当に?何か理由があるのでしょう?あなたにとって、正しい理由が」
「正しい理由……」
「ジェイド・バルフォアが生体フォミクリーを封印しても、あなたはそうしない理由があるのでしょう?」
その名前に、ネイス博士は目を見開いた。私はそれを黙って見つめる。数秒間の沈黙のあと、ネイス博士は絞り出すように「そうだ、」と呟いた。
「ネビリム先生さえ、生き返らせれば」
眼鏡の奥の瞳がぎらついている。先ほどとは別人のような表情だった。何かに取り憑かれているような瞳は、見覚えがある。背筋がざわついて拳を握った。
「そうすれば、あの頃に戻れるはずなんだ」
「……どうして戻れるのですか?」
「だって、ジェイドは許されたいから」
生き返らせたネビリム先生に、罪を許されたい。楽になりたい。重い荷物を下ろしてしまいたい。人としては当然の感情だろう。カーティス大尉がそう望んでいてもおかしくはない。
――だが、彼はそれを選びはしなかった。
冷たい瞳をするネイス博士に私は八つ当たりのように告げた。
「ネイス博士。あの頃になんて戻れはしません」
「そんなことはありません!レプリカさえ作ればいいんです!」
「いいえ、失われたものはもう戻らない。失ったものは取り戻せない。時間を巻き戻すことは誰にもできはしない」
そう、戻らない。あの頃、だなんてもうないのだ。私は失った。戻ることなんてもうできないのだと思い知らされた。
「レプリカはレプリカでしかない。生まれ落ちた時点でもうオリジナルではないのでしょう」
「違う!違う、ネビリム先生はちゃんとネビリム先生のはずだ!レプリカでも、レプリカだから、同じじゃないとおかしい!」
ネイス博士はヒステリックに叫んだ。その答えも分かっていた。いや、どうでもよかった。
「そうですか。なら、あなたはなおさら間違っています」
「なんで、」
「だって、レプリカを作るべきはネビリム先生ではないでしょう?」
眉根を寄せるネイス博士に私は目を細めた。胸の底から冷えていくような感覚に襲われる。
きっと、こんなことを言ってしまうのは私が恨んでいるからだ。やっぱり私は適任なんかじゃなかったのだと思う。
「――ジェイド・バルフォアのレプリカを作ればいい。そうではありませんか?」
「なっ、何を言うんですか。ジェイドはまだ生きてるんですよ!」
「生きているのはあの頃のジェイドではないのでしょう?」
それなら、と私は続けた。信じられないものを見る視線が痛いほど刺さるのにちっとも気にならない。
「レプリカがオリジナルと同じなら、それでよいではないですか。ジェイド・カーティスの選択も、あなた自身の望みも叶えられるのですから。あなたはあの頃に戻られるのなら、なんだってよいのでしょう?」
そうして戻った「あの頃」こそがレプリカだ。でも、レプリカがオリジナルと寸分違わないなら問題などない。死んだ人間とそっくりそのまま同じものを作って生き返らせられるなら、生きている人間でできない道理はない。
「――それは、そんなのは」
「どうして迷うのです。それとも、やはりレプリカはレプリカでしかないと言うのですか。結局ネビリム先生のレプリカを作ったところで誰が許されるわけもないと?」
畳み掛けるように問うとネイス博士は髪を振り乱して「そうだ!」と叫んだ。私は危機感を覚えて立ち上がった。一歩引いてドアに視線をやる。それを見たネイス博士は鼻で笑うようにすると、眼鏡を押し上げて冷たく笑った。
「レプリカなんて所詮レプリカですよ。ジェイドのレプリカを作ったところで何になると言うんです」
「それなら――」
「でも、ジェイドが望んだのならそれだけで十分だ」
「身勝手ですね」
冷ややかに告げた彼に、私も同じトーンで言葉を返した。過去しか見えない人間というのはひどく厄介だ。
「フン、なんとでもおっしゃい」
ぱちん、とネイス博士が指を鳴らす。途端にクローゼットの扉が開いて音機関のアームが伸びてきた。私を人質にでもとって突破するつもりか。スカートに隠した小太刀を抜いて音機関の関節部を貫く。
「なっ!」
「容赦はしません。……ひれ伏しなさい。グラビティ」
譜術を使われるなんて思っていなかったのか、発生させた重力に従って抵抗できないままネイス博士が床に貼り付けられる。私はすかさずドアに体当たりするように外に転がり出て兵士たちに声をかけた。
「ガルディオス伯爵!?」
「部屋に譜業を仕掛けています。気をつけて拘束しなさい」
「はっ!」
兵士たちがなだれ込んで行き、私は立ち上がってそれを眺める。うん、部屋が一階でよかった。譜術をぶっ放したせいで床が抜けてしまったけど、これは私が弁償すべきだろうか。
「ぐうう!ガルディオス伯爵とやら!覚えてなさい!」
なんか聞こえてくるけどあとは兵士さんたちに任せよう。鞘に小太刀を戻してため息をつく。
うまくいくなんて思っていなかったけど、結局説得自体は失敗だった。しかし彼にフォミクリー技術を持ち出されては困る。改めてピオニー殿下に進言しておいた方がいいかもしれない。
預言がどれほど確かでも、私の知っている筋書きがどれほど真実だろうと、やらない理由にはならない。でもときどき、虚しくなってしまうのも本当だった。


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