リピカの箱庭
20

呼び出したのはピオニー殿下で、それだけがまだ救いだった。全く、元貴族のお嬢様たちの受け入れに忙しいところに勘弁してほしい。メイド三人では手が回らないだろうと、ホドグラドの騎士団から口の固い者を何人か手伝いに頼んだ翌日、私はエドヴァルドを供に登城していた。
実はグランコクマの王城に行くのは初めてである。記憶だと庭の中に自由に入れた気がするんだけど、今はそうではない。城はガチガチに封鎖されていて、用もない貴族がホイホイと行ける場所ではないのだ。
馬車に乗ったせいで気分が悪くなったけれど、わざわざ呼び出されたのだから隙を見せるわけにもいかない。息の詰まるドレスを着ているのも相まってめまいがする。エドヴァルドが気づいていないので多分大丈夫だろうと思いつつ、案内された先は殿下の執務室だった。
「よく来てくれた、ガルディオス伯爵」
「殿下のご召集とあらば」
膝を折ってお辞儀をする。ピオニー殿下はなぜか私をじっと見つめた後、ソファに座らせてくれた。
「卿に頼みたいことがあってな。実は近いうちにダアトに行かねばならんのだが、卿も使節団に参加してほしい」
「ダアトに、でございますか」
「ああ。まあなんだ、顔見せのようなものだ」
なるほど、ピオニー殿下が次期皇帝と決まって、かつグランコクマにおいて国政に携わりはじめたのだからダアトへ挨拶にもいかなければならないのだろう。しかし、ガルディオス伯爵代理が行く意味はあるのだろうか。
「恐れながら殿下、私めを使節団を参加させる理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「導師エベノスはホド戦争終戦の立役者だからな。卿に会いたいとも言っている」
ううん、それだけではない気がするけれど、私には拒否権がない事案だ。そもそも城に呼び立てている時点で逃げ場はない。仕方がない、受けるしかないだろう。
「かしこまりました。お役目賜ります」
「感謝する。ところで……」
ピオニー殿下は大仰な仕草でエドヴァルドを見た。後ろから緊張している気配が伝わってくる。
「二人きりで話がしたいんだが、構わないか?レティシア」
なんだかもっと嫌な予感がする。
私は渋々エドヴァルドを下がらせて、エドヴァルドも渋々下がっていった。ピオニー殿下はその様子を楽しそうに見守っているのでタチが悪い。
ドアが閉まって、殿下は自分でおかわりの紅茶をポットに注いだ。そんなことをするとは思わず固まっていると優雅に足を組み直して、仕切り直しとばかりに殿下は私に微笑んだ。
「いや、悪いな。急に呼び出したのも」
「殿下が気にされることではありません」
「おっと、もう少し楽にしてくれていいぞ。レティシア、ハーブティーは嫌いか?」
「あまり飲みませんが……いただきます」
全く口をつけていなかったティーカップを見下ろす。淡い色の液体はほんのり温く、知らないハーブの匂いが口の中に残った。
「少しトラブルがあってな。レティシアの協力が欲しいってわけなんだが」
「何の問題があったのですか?」
「ジェイドのやつが生体フォミクリーを封印したのは知っているか?」
その話か。胃の底が痛くなる気持ちになりながら頷く。
「それは俺としては喜ばしい。あいつ、実験でボロボロになってたんだから心配する俺の身にもなってほしいところだ、まったく」
ボロボロになってたんだ。なんだか想像がつかない。戦場でもスマートに槍を扱っているイメージだったし。
「問題はサフィールの方なんだ。サフィール・ワイヨン・ネイスというんだが、フォミクリーに必要な譜業装置を作っていたのはこいつでな、俺とジェイドの幼馴染でもある」
サフィール?と首を傾げそうになったけれど、幼馴染と聞いて思い出した。そうだ、死神ディストだ。たしか神託の盾騎士団の一員だったはず。
……うん?神託の盾騎士団?
「そのサフィールがな、ダアトに亡命したんだよ」
「そういうことですか……」
思わず漏らしていたが、ピオニー殿下は気にしていないようだった。なるほど、ディストもといネイス博士はもともとマルクトでジェイド・カーティスとフォミクリーの研究をしていて、フォミクリーを封印したジェイド・カーティスに逆らってダアトに亡命したというわけなのか。亡命なんて単語、短期間でこんなに聞くことになるとは思わなかった。
で、ピオニー殿下としては放置できない。技術流出になりかねないし、ダアトは宗教自治区だけれどその軍事力や影響力を無視することはできないからだろう。
「サフィールのやつ、ジェイドと喧嘩してムキになってるんだよ。連れ戻してやらないとな」
……ではなく、単純に幼馴染が心配だという動機もあったらしい。そうですか。ちょっと脱力してしまった。ピオニー殿下はこういうところがあるのでなんだか憎めない。
「卿も忙しいとは思うが協力してほしい。もちろん対価は支払う」
「かしこまりました。対価に関しては、そうですね。ちょうど殿下にお知らせしようと思っていたところなのですが」
万が一があったら困るのは私の方だ。キムラスカ貴族を一時的にと言えど勝手に受け入れて翻意ありと取られるのもまずいし。
そんなわけでセシル家の亡命について話すとピオニー殿下はあっさりと頷いた。こんなにあっさりでいいのかとこっちが心配になるくらいだ。
「こちらでもその件については調べておこう。ま、尻尾を掴めても切られかねんが」
「ついているままよりは良いでしょう」
「その通りだ」
キムラスカとの関わりを持たれたままなのが一番厄介なのだから。私は一息ついて冷めてしまったハーブティーにもう一度口をつけた。それにしても、ハーブティーなんてものを殿下に出されるとは思っていなかったな。そう考えながらちらりと見上げると何か、見透かすような視線で微笑まれる。
「顔色が戻ったんじゃないか?」
「……そう見えますでしょうか」
本当に、どこまで見通されているのかわからなくて居心地が悪い。そう思っていることさえもきっと分かっているのだろう。
そんな殿下と同じ使節団でダアトに行く、か。神託の盾騎士団といえば死神ディストだけではない。もしかしたらもう、ヴァンデスデルカがいるかもしれない。
会いたいのか会いたくないのか、自分でもわからなかった。会ったらどうなるのかも、もうわからない。
薄氷の上を歩かされている。これまでも、これからもずっと。それに慣れるなんてことはこの先もないのだろう。預言という道しるべを見ることすら怖いのだから。
使節団の出発は二週間後ということで、正直なところやることが多すぎて目が回りそうだ。さて、無事にどちらも終えられるのだろうか。そうであることを願って、やれることをやるしかない。私はピオニー殿下の執務室を辞してすぐにため息を呑みこんだ。


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