ラーセオンの魔術師
60

エルフたちを避難させ、私たちが向かったのはイセリアのロイドの家だった。アルテスタが重傷を負っていて、エターナルリングを作れるのはダイクさんしかいない。材料はクラトスが全て揃えていて、あとはエターナルリングが出来上がるのを待つばかりだった。
そして私は風邪をこじらせた。
疲弊していたところに濡れた上、空を飛び回ったせいだろう。見事な風邪だ。なんとも情けないけどこれではなんの役にも立てなさそうだ。そう言うとロイドは首を横に振った。
「レティシアさんはレティシアさんにしかできないことをちゃんとしたと思う」
「……ありがとう、ロイド」
優しい子だ。コレットをどうか助けてあげてほしい。私は口には出さずそう思いながらなんとか笑った。コレットを一番助けださないといけないと思っているのはロイド自身のはずだ。
ダイクさんの家の二階を借りて私は休ませてもらうことになった。出立までリフィルが付いてくれていて、悪いことをしたなと思う。
「レティシア、あなたっていつもこうね。無茶ばかりして」
私の手を握るリフィルの手のひらは冷たい。風邪が感染ると言っても無駄だった。
「あなたが……あんなことをするなんて思わなかったわ」
「そうだね。……ほんとうに」
「ずっと無関心だったもの。エルフのことなんてどうでもいいって、思っていたんでしょう」
私はそんなひとだった。狭い世界に生きていた。人間や、ハーフエルフや、エルフというくくりすら見えない狭い世界。無関心であればそれでよかった。私には魔術という力があって、少しの困難なら平気だったから。
ずっと目を背けていた。差別のある世界から、間違った神話を信仰する世界から。私は関係ないのだと思っていた。――でも、私の奥底にはエルフへの恨みがあったし、マナの神子の婚約者として連れ去られた先で他人に無関心ではいられなくなった。この世界で生きていく一人なのだと思い知らされた。どこに居場所がなくても、この世界が私の居場所だ。
無関心の鎧は剥がれて、私は弱くなったのだ。
「……だれかの死を背負っていけるほど、私は強くないんだよ」
「それが……エルフでも?」
「だって関係ないもの」
手を握る指に力がこめられる。強がりでもそう言わなくてはいけなかった。
「関係ないって――それが正しいって、あなたも認めたでしょう。リフィル」
これまでどんなつらい思いをしてきたって、私たちはそう信じなくてはならない。それが選んだ道で、分かち合った理想だからだ。
「……そうね。私たちはそうすることを選んだのね。他でもない、自分自身のために」
じわりと体温がにじんで、リフィルの手はもう冷たくなかった。彼女が微笑んでいるのがわかる。リフィルもきっと、居場所をみつけられたんだろう。たどり着いた場所が幸せだったのなら、もう心配いらない。
「話をさせてごめんなさい。もう寝た方がいいわね」
「……そうするよ」
瞼を下ろす。これできっと、私のできることは終わったのだろう。

ふと目を覚ますと誰かの気配がした。覚醒しきらないまま瞬いて、だるい体を起こそうとすると手のひらで制止された。
「寝てろって。まだ治ってないだろ」
「ゼロス……」
「起こすつもりはなかったんだけどな」
差し込む月明かりがゼロスの赤を浮かび上がらせる。なんとなしに手を伸ばすと、ぎゅっと強く握られた。
「ゼロス、ありがとう」
「なんだよ、急に」
「……逃げずにすんだから」
青い目が細められる。私は視線を逸らさなかった。
「私だって、あなたがいてよかった」
「――」
小さく息をのむ音が聞こえて、そしてゼロスはベッドの横に膝をついた。うなだれるように私の手の甲に額を当てて、深く息を吐いてから顔を上げた。
「……すっげー、殺し文句だな、それ」
「ゼロスの真似だからね」
「あーもう、俺さま病人に手を出すほど落ちぶれちゃいないんだけどさ」
そんなふうに呟きながらゼロスは手の甲に唇を押し当てた。まるで騎士の礼のようで、こっちのほうが気恥ずかしくなってくる。
「――治ったら、ちゃんとしてもいいだろ?」
うぐ、と言葉に詰まる。でもここは年上の意地を見せなくては。顔が赤いのを熱のせいにしながら頷いた。
「ゼロスが会いに来てくれるなら」
「俺さま、約束は守る男だぜ」
なら安心だ。おやすみ、と声をかけると柔らかい声が返ってきた。
「おやすみ」
その声が二度と聞けないとして、そんなに悲しいことはない。私はまどろみながらただ噛み締めた。
思い出だけではきっともう、生きてはいけない。欲張りな私のために、どうか帰ってきてと願うだけだった。


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