リピカの箱庭
16

ピオニー陛下――今はまだ殿下か――をホドグラドに新しく建てたガルディオス伯爵邸(というか、執務室兼事務所兼騎士団本部)に招き、私は急いで礼装に着替えた。時間も人もいないのでドレスなんか着ている暇はなく、略式の男性用のものだ。ピオニー殿下もお忍びのようだし、文句は言われないと願いたい。
「いやあ、気が付かないものだな」
自分の家かといわんばかりに応接室でくつろいでいたピオニー殿下は、私の挨拶を聞くのもそこそこに鷹揚に頷いた。さすがに伯爵相当の貴族がそこらの難民の子供のような格好でうろついているとは思わなかったのだろう。思われないようにするための変装だけど、あんな対応をされるとバレバレなのでエドヴァルドにも困ったものだ。
「お目汚し失礼いたしました」
「構わん。今回はたまたま通りかかった俺が悪いからな」
そういうものだろうかと首をかしげたが、いいというならいいのだろう。これ以上は気にしないことにする。
それにしても、ピオニー殿下はいったい何の用があるというのだろうか。マルクト帝国皇位継承権第一位の皇子である。ホド戦争がはじまったころにはもう皇子皇女らによる皇位を巡る争いには片が付いてしまっており、残ったのはピオニー殿下ただ一人だった。そういえばこのことも預言に残されていて、だからこそピオニー殿下はケテルブルクに軟禁されていたのだったか。
皇位継承権第一位の皇子がガルディオス伯爵を訪問することがどんな意味を持つのか。非公式とはいえわからない人ではないだろう。
「実のところ、用は話した通りでな。ないと言えばないんだが」
なので私は殿下のこの言葉に呆気にとられるしかなかった。茶目っ気たっぷりにウインクされても、なんというか、非常に困る。本当に好奇心だけでホドグラドに来たというのか。いや、将来的に国政に携わるひとならば気にはなるだろうけれど。
「だが……興味がわいた。レティシア・ガラン・ガルディオス。卿はここに何を作る気だ?」
「何を、と問われますか。ホド戦争により故郷を喪ったものたちの居場所、と申せばよろしいでしょうか」
「それだけではなかろう」
殿下は膝の上で手を組む。細めた瞳は為政者のそれだ。
「ホド、と名を冠した親父殿の失策だな。いや、貴君を見誤っていたというべきか」
「……」
「ここは、あまりに"ホド"だ」
楽しげな口調は、それでも冷え冷えとしたものを隠している。彼が私を見定めようとしているのはあまりにわかりやすかった。わからせてもいいと、考えているからだろう。
「グランコクマの一角とは思えん。文化が違いすぎる。卿の趣味か?」
「はて。喪われたものを取り戻すのは困難なこと。己が領地の歴史や文化を保護するのは当然の務めと考える次第です」
「それがホドであっても?」
「それがホドであるから、と申しましょう」
ホドはマルクト領ではあったが、本土からは離れた島だ。ユリア・ジュエの時代から領主の血筋は途切れず続いてきた。そう、フェンデ家と共に。
つまり歴史上ずっとマルクト帝国についていたわけではない。そもそも帝国の名を冠している通り、マルクトは多民族国家だ。ホドは国の隆盛に伴い、さまざまな立場を取ってきた自治区に近い領地である。
物理的に距離が遠いならばよかった。だが今はそのホドが首都の間近にある。そして治めるはガルディオス家の遺児レティシア・ガラン。火種と見做されても仕方がない。
だが、ここは戦火で、そして預言ですべてを喪ったものたちのための街だ。私がここにいる以上はあり方を変えようとは思わない。
「何か不都合でもございましょう。ピオニー・ウパラ殿下」
「いいや。不都合などあるものか。我が父の治世続く限りはな」
「よきことと存じます」
ピオニー陛下に代替わりすればこのままではいられないか。預言のことを考えると、私はこのままでいいのかという疑問もある。今はこの街のことを第一にすべきだが、やがては余裕も生じると思いたい。
「ま、この話はここまでだ。ところでその格好は趣味か?」
「華美な服装は控えておりますゆえ」
「もったいないな。こんな美人がずっとそんなんじゃマルクトの損失だぜ」
大げさに仰ぐ殿下はプライベートモードに入ったらしい。しかし十に満たない子どもにそんなことを言うと趣味を疑われても仕方ないと思うな。
「……殿下の戴冠式の折には相応しい格好で参りましょう」
「魅力的な言葉だ。ではこちらからも返礼をせねばなるまいな」
殿下は身を乗り出して「どうだ」と口角を上げた。
「卿は譜術にも熱心らしいじゃないか。俺の友人には譜術に詳しいやつがいる。紹介させてはくれまいか」
うそお、と口に出さなかったのを褒めてほしい。ピオニー殿下の知り合いの譜術士なんて一択だ。
「畏れ多きことでございます」
「そう言うな。と言ってもまあ、俺がお願いしたい立場なんだ。頑ななやつでな、卿のような人に合えば説得も進むかもしれん」
それってフォミクリー技術の封印の件かな、もしかしなくとも。いや、私は一度失敗してる身だ。役に立つとは思えないんだけど。
「お役に立てるとはとても思いません」
「まあまあ、人助けだと思ってくれ。借りにしてもいい。明日の昼にあの場所で待ってるからな」
めちゃくちゃな人だ。勘弁してくれと言いたくても、ピオニー殿下は部屋を勝手に出て行ってしまっていた。


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