リピカの箱庭
14

図書館でフォミクリーの元研究者――シミオンに再会できたのは幸運だった。家庭教師として雇い入れた彼はかなり博識で、フォミクリーだけではなく譜術全般のことを一から教えてくれた。その中にあったのが譜眼の技術だ。
譜術は体内に取り込んだ音素を用いて行使される。その音素をどこから取り込むかというと、目などのフォンスロットと呼ばれる器官だ。目というのは譜術行使の際重要なフォンスロットで、味方識別も見える範囲でしか行えない。そしてそのフォンスロットである目に譜陣を刻み、音素取り込み効率をあげるのが譜眼である。
ジェイド・カーティスが考案したものであり、彼の目にはその術が施されているらしい。たしかにゲーム中でそんなエピソードはあった。眼鏡が特別だとかなんとか。
「なるほど……」
私が譜眼に興味を示したのを見てシミオンは慌てて話を続けた。
「ですが、譜眼は制御が非常に難しいものです。暴走してしまえば爆発が発生し体が持ちません。万一暴走を収めることができても失明してしまいます」
「むう。……対価のない便利なものはないということですね」
「はい。お嬢様は音素の扱いに長けていらっしゃいますが、軍人でもありませんし、リスクを冒す必要はないかと」
うーん、たしかにリスクは大きすぎる。貴族令嬢、もとい伯爵代理である私がそこまで戦闘能力を必要とするかといえば否である気がするし。剣の修行は続けてるけど……。
とはいえ、戦火が絶えないこの世界においていざというときのために戦闘能力はあったほうがいい。私はもう自分の非力さを嘆きたくはない。何もできないのは耐えがたくつらい。
「……シミオン、あなたでも譜眼の制御は難しいですか?」
「はい。はっきり言わせてもらいますが、無理ですね」
「そんなにですか」
きっぱり言い切ったシミオンに意外に思う。私を止めるためかと思ったが、そうではないらしい。
「これは悪魔の発想ですよ。制御できるのはバルフォア博士くらいなのではないでしょうか。譜術の威力を上げるなら響律符を用いるのが一般的ですからね」
「キャパシティ・コア……」
「モノによっては高価ですが基本的には命に関わりはしません。譜を刻むのも楽しいですよ。パズルのようなものですので」
ニコニコと話すシミオンは大学では響律符の研究もしていたらしい。どの譜を組み合わせればどのような効果がもたらされるのか、確かに考えてみると面白そうだ。
「……では、響律符をフォンスロットにしたらどうですか?」
「は?」
「目がフォンスロットというならそうですね、義眼にしたら効率がいいのではないでしょうか」
話を聞いてるうちにふと思ったことを尋ねてみるとシミオンは瞬いた。そして「そうですね……」と唸る。
「視力は失われるでしょうが、音素取り込み効率は向上しそうですね。暴走も人体に直接刻むわけではないから……いやしかし……第七音素を用いればあるいは……」
ぶつぶつと呟きながらシミオンが自分の世界に入り込んでしまったので私は手元の本を捲った。譜眼は現状では諦めざるを得なさそうだ。暴走して自分が死ぬのはともかく、周りに迷惑をかけるのはいただけない。今は今使える技術の熟達に専念するほうがいいだろう。
それにしても響律符か。ものは知っていたけれど、手に入れることは考えてなかった。高いものなら今すぐは難しいかな。まだまだ特別区にも支援が必要だし。
「……お嬢様」
考え込んでいたシミオンが難しい顔をして私を見る。眉間に寄せられたしわがあまりに深い。
「はい」
「まさか……譜眼がダメなら響律符を埋め込もうだなんて考えていませんよね?」
ちょっとは考えてました。とは言えない気迫である。ここはごまかしておこう。
「まさか。思いついたことを言っただけです。それに戦災した人で視力を失った人もいますから、役に立たないかなと」
「し、失礼しました。私めの浅慮をお詫びいたします」
そ、そんなに恐縮しなくてもいいのに。シミオンはときどき私に対してあまりにへりくだるのでびっくりしてしまう。土下座とかしなくていいから本当に。
「譜石を使った義眼や義肢はどちらかというと譜業に近いでしょうか」
「あまりそのような技術は聞いたことありませんが……そうですね」
この世界では第七音素を使った治癒術が存在するのであまりそっちの方面の研究は盛んではないようだ。確かに実現可能かどうかとかは全然わからない。それこそフォミクリーでレプリカ作って神経繋げるとかそういうのはできないのかな。
とまあ、私のような素人が机上の空論を語っていてもしかたない。専門的なところはシミオンに任せるとしよう。彼は今は私がパトロンのような形で大学で研究も進めてもらっている。研究をお願いしたら泣いて喜ばれた。こちらとしては大学の適当な人材を難民街、もといホドグラド区の人材育成に回してもらえるので助かるといったところだ。
おかげでガルディオス家はわりとカツカツで回っている。もう何年かすれば課税でもう少し余裕が出ると信じたい。借金抱えてガイラルディアに託すなんてことはしたくないし。
どこかにいいお金儲けのタネは転がっていないものか。寄付はいまだにもらっているけれど、これが貸しになるとまずい。貴族が商売なんかに手を出したらロクなことにならないのでしばらくはこれで回していくしかないんだろうな。


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