ラーセオンの魔術師
56

「前にも言いましたが、私は……生まれてすぐにこの場所に捨てられていたそうです」
話し始めるとロイドは少し気まずそうな顔をする。私は気にしないように続けた。
「そして渓谷の語り部に拾って育てられました。語り部は古代大戦の真実を継承すると共に、マナリーフの管理も任されていました。いえ、どちらかといえばマナリーフの番人こそが真の役目ですね」
「マナリーフは、エルフの魔術に使う霊草、ですよね」
「そうだよ。だからたまにヘイムダールに届けに行ったり、逆にこちらに里の人が来たりしていたの」
プレセアの言葉に頷く。まだ、リフィルが里にいた頃の話だ。
「リフィルたちがヘイムダールから追い出されたあと、ただでさえ強かったハーフエルフへの風当たりがさらに強くなりました。だから語り部が――私の養い親が死んだとき、なにもかも奪われそうになった。ハーフエルフの私が受け継ぐことを、ヘイムダールのひとびとは許さなかった」
吐き捨てるように言う。だめだ、感情的になりすぎてはいけない。でも踏み入ったのはロイドの方だ。私は思わず彼を睨みつけていた。
「そんなの許せるはずない。だからハーフエルフしか入れないようにしたんだ。もし、ハーフエルフと協力したならマナリーフを手に入れることだってできたはず。それを今まで成せなかったのは、ただエルフが考えを変えられなかったからにすぎない!」
「レティシアさん……」
「こんなに簡単なことだったのに……気がつきすらしないなんて……」
うつむいて自分の手を見下ろす。「でも、」無理やり声を上擦らせた。
「マナリーフを持って行って、結界を解いたことを証明すればリフィルとジーニアスは里に入れるでしょう。それで……それで、十分ですよね……」
ロイドの望みは叶うはずだ。私を気遣わしげに見るリーガルやプレセアの視線には気がつく余裕すらなかった。
「違う」
誰かの声がして、その意味を理解するのには時間がかかった。なぜ、と声にもならない。
「確かに、ジーニアスと先生がヘイムダールに入れないと困るけどさ。レティシアさんの話を聞きたかったのはそうじゃないんだ」
「……」
なら、なんなのか。私は唇を噛んでロイドの次の言葉を待った。
「このままだとヘイムダールのひとたちは同じことを繰り返すだけだ。――ミトスを里から追い出したみたいに」
ハーフエルフだと虐げられて里を追い出されたミトス。エルフのそんな態度が、クルシスを生んだ――それは間違いではないだろう。
「誰もが自分らしく生きられる世界にしたいって、そのためにここまで来たんだ。きれいごとかもしれない。レティシアさんは里の人たちにされたことを許せないと思う。だからこそ、里の人たちを、族長をちゃんと説得するべきだと思うんだ。一時的なことじゃなくってさ」
ハーフエルフだからという理由で差別されない世界を作ると言ったミトスを私は拒んだ。それはなんの解決にもならないと思ったから。でもこの世界で何もしないままなのも、目をそらしているのと同じだ。私が頑ななまま、失望していたって何も変わらないのは確かだ。
「……ハーフエルフだからという理由で差別がなくなっても、他に差別される理由なんていくらでもあるんですよ、ロイド」
「それでも、諦めない理由なんてないと思う。レティシアさんはミトスの千年王国が理想郷だったと思ってるのか?」
「……それを否定したのならば、私は別の理想を必要とするんですね」
ロイドの力強い言葉は眩しすぎる。彼は四千年前のミトスに一番近くて、ユグドラシルとなって変わってしまった彼とは対極にいるのだろう。眩しい光はときに心地よく、それでも弱い心には強すぎた。
でも――でも、間違ってはいない。理想とはそういうものだ。まだ子どものロイドに全ての道しるべを任せるのはどうかと思うけれど、彼にはそれでも共に旅をしてきた仲間がいる。私は目を細めて彼を見た。
「……そうですね」
できるかどうか、わからない。でもロイドがしようというのなら止める理由はないのだろう。恐れる理由も、同じように。
憎しみに蓋をする。許さないという気持ちはあれど、この感情で事態を悪化させることに意味がないこともわかっている。頭が冷えたのだろうか、あのときの――あの人が死んだときの妄執に似た憎悪はいくらか薄れたように感じられた。
「わかりました。どのような形であれ、この結界は破られたのですから」
望んだ形ではないけれど、それでもこれでよかったのだと思える。私は振り向いて結界のあった境界を見た。リフィルたちがマナリーフを摘んだのだろう、もうそこにはマナの壁は存在しなかった。


- ナノ -