ラーセオンの魔術師
53

ゼロスを見下ろすと氷の刺さっていた部分は服も破けていて、でもその下の肌はちゃんと癒えていた。ホッとする。まさか渡した宝石が自分のせいで発動するなんて思いもしなかったけど。
「レティシア」
「……うん」
「悪かったな」
「それはこっちの台詞じゃないの」
ゼロスは小さく笑ってから苦しそうに咳き込んだ。魔術で癒そうとしたのを手で制される。とはいえ冷たい石の床に転がしたままなのもどうかと思って膝に頭を乗せてみた。ゼロスは瞬いて私を見上げて、ふっと息を吐いた。
「……俺のせいだろ。輝石なんてつけられたのはさ」
「もともとクルシスの輝石なんてあなたのものでもないじゃない」
「いや……俺が神子をやめたいなんて言ったからいいように使われたんだ」
そうだとは思わなかった。ゼロスがそんなことを言わなくても、必要なら輝石を誰かから取り上げるなんてことミトスなら躊躇いなくするだろう。だから私が操られたことにゼロスが責任を感じる必要なんてない。そう思ったけれど、とりあえずはゼロスの話を聞くことにした。
「知ってたしさ、ミトスがユグドラシルだってことも。あんたがコレットの治療したときまずったなって思ったよ」
「私の魔術がミトスに伝わってしまったから?」
「そう。ちゃんと止めときゃよかった、って……」
そのことを持ち出されるとその通りだけど、ゼロスは私の魔術を正確に把握していたわけではない。仕方ないことだと思う。
「俺は……クルシスにも、レネゲードにもいい顔してた。そうすりゃ自由の身になれるって思ってたからな」
「……うん」
「神子なんかやめちまえばさ」
ゼロスの手が伸ばされる。私は背中を丸めて頬に添えられた彼の指に自分の手を重ねた。
「あんたのそばに……いられるしな」
それだけの理由じゃないのに、今それだけを言うのはずるい。冷たい指先を握りしめる。
「私は……そんなつもりで言ったんじゃないよ」
「わかってるけど、神子のままじゃ逃げられたまんまだ。そんなの嫌だ」
確かにそうだ。私は思わず笑ってしまった。
「そうだね、ゼロスが神子の間は私もあなたのそばにはいられなかった。だって、あなたを解放したくて逃げたんだから」
ゼロスは虚をつかれたように目を丸くした。信じられないといったふうに瞬く。長い睫毛が上下した。
「ユグドラシルを許せないとかじゃなくて?」
「それだったらずっと前から行動してたよ。私は前から知っていた。でも、世界を元に戻そうなんて思わなかった」
知っているなら責任がつきまとう。けれど私の育て親も、里の人もおかしいだなんて声をあげなかった。だから私も、許されると思って目を逸らした。
「ゼロスが苦しんでいるのを見て、ようやく……間違ってるんだってわかった。ようやく覚悟できたんだよ」
「……そう、だったんだな」
ゼロスは複雑そうな顔をして目を閉じた。指が滑り落ちる。気を失ったのかと思ったけど、すぐにまた口を開いた。
「俺はそんなのいいから、逃げないでほしかったけど……つったら、サイテーだな」
「……まあね」
「でもよ、世界がどうなるかとかどうでもよかった。俺さまって身勝手だし。だからユグドラシルの命令だって聞いてた。ロイドたちがどうなっても、よかったのかな……」
一緒に旅をしていた彼らがどうなってもいいだなんて、きっとゼロスは思っていなかっただろう。それでも選んだかもしれない。どうでもよくない人たちを切り捨てる選択肢をゼロスは選べたかもしれない。
けれど、さっきコレットを呼び止めたのは選ばなかったからだ。それで十分だったんじゃないかと思う。
「あなたがここでこうしてることが、答えなんじゃない?」
「……そっか」
ゼロスはへらりと笑うと目を閉じた。今度こそ気を失ったようだった。彼の上下する胸を見て安心する。あとはロイドたちが無事に戻ってきてくれればいいけど……。レネゲードやクラトスはどうしているのだろう。というか、あれからどれくらい時間が経っているのかすらわからない。輝石に寄生されていた間の記憶は曖昧で、思い出そうとすると頭が痛いのでやめておいた。神子の怨念のようなものも一緒に思い出してしまいそうだったし。
手の届く範囲にあった杖を手繰り寄せて手元に置く。最悪の場合を考えると、ここから逃げたほうがいいんじゃないか。
どうしようかなと迷っている間に誰かの足音が聞こえてきてはっと顔を上げた。杖を握る。魔術は使えるだろうか、もう貯めていた宝石も全部すっからかんだ。
「……、レティシア?」
「あ、ゼロス」
緊張が伝わったのか、ゼロスが体を起こす。彼はゆっくりと立ち上がると落ちていた剣を拾った。
「ユアン、何の用だ?」
祭壇に姿を現したのはユアンと、それにボータだった。ゼロスには敵意はないようで剣を鞘に収めたけれど、ユアンはどこかピリピリしている。
「外が片付いたのでな。……なぜおまえがここにいる?」
ユアンの言葉は私に向けられたものだった。私も杖をついて立ち上がる。
「置いていかれたので、プロネーマに。おかげで輝石からも解放されましたけど」
「そういうことか。プロネーマも――いや、これは言うまい」
ユアンは首を横に振るが、私としてはなぜユアンがそのことを把握していないかが不思議だ。ロイドたちが突入するならば内から手引きくらいするんじゃないかと思ったけど。私の疑問に気がついたのかゼロスは肩をすくめてみせた。
「こいつ、ぜーんぶユグドラシルにバレたんだよ。だからこんなところにいんの」
「ああ、そういうこと」
ユアンは慎重派に見えたので意外ではある。苦虫を噛み潰したような顔をしてユアンはゼロスを睨んだ。
「おいおい、俺さまのせいじゃねえだろ?」
「……まあいい。ロイドたちはウィルガイアに向かったのだな?」
「あ、コレットが……えーと、私のせいでプロネーマの連れていかれたので、大いなる実りの間に向かってるはずですね」
「そちらか」
若干気まずくなりながら言ったが、ユアンは気にしていないようだった。彼は何か考え込むようにしてから私たちをじっと見た。そしてため息をつく。
「あそこならクラトスが向かえるだろう。我々は待機していた方がよさそうだな」
「こんなボロボロじゃあな」
「そうでしょうな。ユアンさま、無理はなさらぬよう」
「分かっている」
ボータの口ぶりからしてユアンも怪我を負っているようだった。身を翻して出口へ向かう彼の歩き方は確かにどこかぎこちない。ボータはユアンに視線をやってから私たちへ振り向いた。
「よければおまえたちもこちらで休むといい」
「んー、そうだな。レティシア、どうする?」
「戦力を分散する理由もないからね。一緒にいた方がいいんじゃない?」
「じゃあそうするか」
最悪の場合――ユグドラシルの打倒がならず、天使たちが私を再び捕獲しに来たときのことを考えていたところでもあったのだ、ボータの申し出は願ってもないものだった。私とゼロスはボータについて救いの塔の外へ向かって歩いて行った。


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