ラーセオンの魔術師
ex-03

ハーフエルフの女は救いの塔の祭壇に立っていた。
「レティシアさん!」
その声が聞こえていないかのように、振り向きもしない。なぜ、彼女がここにいるのか。救いの塔の入り口は天使たちに閉鎖されていたはずだ。だがその疑問よりも、ヘイムダールに向かった後行方が知れなかった彼女の無事を確認できた安堵の方がロイドの中では大きかった。
「レティシア、あなたどうやって……」
「神子」
リフィルの声にようやく振り向いたかのように見えた女は静かに言葉を紡いだ。その視線はコレットに注がれている。
「私……?」
「こちらに」
「えっ、はい」
コレットは戸惑いながらも彼女に近寄っていく。閉鎖された転送ゲートを開けるというのだろうか。彼女の特異な魔術なら――その考えはハッと顔を上げたゼロスの言葉によって絶たれた。
「ダメだ、コレット!」
「えっ……」
「もう遅い」
突然舞い降りてきたのはディザイアンの最後の五聖刃、プロネーマだった。天使を従えたプロネーマはコレットの身柄を拘束して転送陣に乗せる。レティシアはただそれを見ているだけだった。
「レティシアさん!?どうして……」
「コレット!くそ、なんでだよ!?」
駆け寄ろうとしたジーニアスとロイドは結界に阻まれて悲痛な声で叫んだ。その様子をプロネーマがせせら笑う。
「理由を知りたければそこの元神子に訊くがよい。せっかく解放してやったというのに、こんなところまでやってきて何のつもりかは知らぬがのう」
「ゼロス……?」
「……そんなの、決まってるだろうが」
ゼロスは歯を食いしばってプロネーマを見上げる。そして、ただ無感情に佇むレティシアを、その胸の、上着の下に隠されたクルシスの輝石を。
「返してもらいにきたんだよ、そいつをな」
「愚かな。ならば好きにするがよい。ユグドラシル様もその小娘の何に価値を見出しておられるのか……」
不快そうに顔を歪めたプロネーマはレティシアを見てそう吐き捨てた。自分には与えられなかったクルシスの輝石を、神子のものを取り上げてまで与えられた女に湧く情は妬みに他ならない。
どうでもいい、自分に与えられた任務はマーテルの器を取り戻すことだけだ。テセアラの神子が何を考えていようと、神託のくだった娘に何の価値があろうと、たとえここで失われようともかまわない。いや、切り捨ててしまえばせいせいする。
「せいぜい露払いはしてみせよ」
「ロイド、ロイドーー!」
プロネーマがコレットを拘束したまま姿を消す。残されたレティシアは唇を結んだまま杖を片手に構えていた。
「……"フリーズランサー"」
自然な動作でマナの流れが変わる。それは氷の刃となってロイドたちを襲った。
「レティシア……なぜだ!」
「あれは、同じです!私と……」
氷を斧で打ち砕きながらプレセアは眉根を寄せた。あの瞳には見覚えがある。出会ったときのコレットと、かつての自分と同じ。上着がめくれ上がってレティシアの胸元の輝石が露わになる。それに気がついたロイドはハッと息を呑んだ。
「あれって……ゼロスの!?」
「そうだよ。俺さまの、神子の証だったもんだ」
忌々しげにゼロスは吐き捨てる。自嘲するように口角を上げて、剣を構えていた。
「とんだ皮肉だぜ。今まで手放したくて仕方なかったもんを、手放した途端取り戻したくて仕方なくなるなんてよ。俺は……あんたを犠牲にしたかったわけじゃない!」
「"プロテクト"」
走り出したゼロスを阻むように結界が構築される。目に見えないそれを、マナで感じ取ったゼロスは跳躍して透明な床を踏んだ。
「"ライトニング"!」
「ぐっ……!」
「目ぇさませ、レティシア!」
魔術攻撃に続けて振りかぶられた剣をレティシアは杖で受け止めた。ゼロスは舌打ちする。反射神経が上がっているのはクルシスの輝石のせいか。
「たとえあなたでも……いえ、あなただから、そんな体たらくは許さないわ!"フォトン"!」
「うっ!」
ゼロスとレティシアの間にリフィルの魔術が炸裂する。レティシアはまたも避けられずにダメージを負った。
「これくらい、普段のあなたなら受け切れたはずよ」
「手厳しーな、リフィルさま」
「あとであなたにも説明してもらうわ、ゼロス」
「その通りです」
道を阻んでいた結界を無理矢理粉々に打ち砕いたプレセアとリーガルが頷く。プレセアにとって、恩人に武器を向けるのは許しがたいことだった。しいなも召喚術で氷を溶かして身構える。
「わーってる。とにかく今はあいつを止めないと」
「そうだよ。レティシアさんもだけど、コレットを助けないと」
「ああ、いくぞ!」
阻むものがなくなって、ロイドとジーニアスもレティシアに斬りかかる。多勢に無勢だ。いくらクルシスの輝石で身体能力が上がっていても、魔術の操作は本来よりも劣化しているように見える。ならば武術を修めていないレティシアにかなわないはずがない――そう、ゼロスは考えていた。レティシアが詠唱を紡ぎ終わるまでは。
「"凍てつけ、貫け。――アブソリュート・ワン"」
足元が、空気が凍っていく。そして死角から突き出された氷の刃を避けることもかなわなかった。
「がはっ……!」
「ゼロス!」
ロイドの悲鳴が遠くに響く。口から溢れる生暖かい液体が何かわからないはずがなかった。冷たさで痛みすら感じない。妙に頭が冴えていて、けれど目の前の女の表情すらわからなかった。
「うそ、だろ……」
「……」
無理に足を引きずって一歩、二歩と歩み寄る。レティシアは動かない。指から力が抜けて、持っていた剣が音を立てて床を滑った。その音が何かと重なったのは、どうしてだったか。
手を伸ばす。感覚のない指先が確かに頬を撫でた。
「わるい……レティシア」
「……ス、」
「やっぱ、だめ……だったな……、あたり……まえだよ、な……。セレスのこと……たのむ……」
「ゼロス!」
滑り落ちる手はレティシアの胸の輝石を掴む。冷たい床に倒れたはずが温かいものに包まれて、ゼロスはうっすらと微笑んだ。


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