ラーセオンの魔術師
ex-02

「えっ?レティシアさん、もう出て行ったのか?」
ロイドのその言葉を肯定したのはミトスだった。軽く頷いてまっすぐにロイドを見上げる。
「うん、何だか急いでヘイムダールに行くって」
「入れ違いになっちゃったね」
どうしよう、とジーニアスもロイドを仰ぐ。ロイドは腕を組んでうーんと唸った。
「もう一回ヘイムダールに行くしかないか」
「でも、レティシアさんもヘイムダールには入れないんじゃないかな」
リフィルとジーニアスはハーフエルフという理由で立ち入ることができなかったのだ。もしかしたらくだんのラーセオン渓谷に行った方がいいのかもしれないとロイドは考えた。
「レティシアさんと、永続天使性無機結晶症の治療に何か関係があるの?」
不思議そうな顔をしたミトスにゼロスは眉をひそめたが、ロイドは気がつかずに頷いた。
「ああ。マナリーフってのが必要なんだけど、レティシアさんがいないと入れないところに生息してるみたいなんだ」
「マナリーフ?それなら……」
話を聞いていたアルテスタはプレセアに視線をやった。正確にはプレセアが首に巻いているスカーフに。
「そのスカーフの刺繍にマナリーフの糸を使っておると言っていたぞ」
「この刺繍が……マナリーフ?」
目を瞬かせて、プレセアは首に巻いていたスカーフを解いた。それをリフィルが覗き込む。
「レティシアがした刺繍なの?紋様は見たことがあると思っていたけれど……」
「はい。レティシアさんが、毒に対するお守りだと言ってくれたんです」
「そんなこともできるんだねえ」
しいなが感心したように緻密な刺繍を眺める。ゼロスはそのスカーフがもともと自分のものであったことを思い出して目を逸らした。その事実はプレセアでさえ知らないだろうと気がついていても、胸の奥のもやもやとした感情は消えてはくれない。
「それがマナリーフの糸からできているなら、ルーンクレストの材料にはなるわね。マナリーフの繊維が必要という話だったもの」
「じゃあ、あとはマナのかけらだな。本当にデリス・カーラーンにあるのかな……」
「しかし……危険だな」
あと一歩だが、その一歩が遠い。ゼロスは視界の端にミトスを入れながら腕を組む。
「虎穴に入らずんば虎子を得ずじゃねーの?」
「?なんだそりゃ……」
「危険を冒さないと大事なものは手に入らないっていうことだよ」
ジーニアスの解説にロイドが「へー。そうなんだ」と素直に言うが、あまりの態度にリフィルは諦めたようにため息をついた。
「……もう。悲しくなってくるわね」
「でもゼロスの言うとおりだ。行ってみようぜ!クルシスの本拠地デリス・カーラーンに」
「でもどうやって行くの?」
「教典によると救いの塔が入り口になってるな」
そしてその塔の入り口を開けるにはゼロスのクルシスの輝石が必要だ。その輝石を修道院にいる妹に預けてあるとゼロスが告げるとロイドは迷いなく頷いた。
「よし。そこへ行こう」
話はまとまったかのように思えたが、そこでずっと何か考え込んでいる様子だったプレセアが声をあげた。
「でも、レティシアさんのことを放っておいてもいいんですか?レティシアさんがヘイムダールに行ったのは、コレットさんの治療のためですよね?」
「そうだねえ。レティシアに治療法が見つかったって報告しといた方がいいんじゃないかい?」
プレセアの言葉にしいなが同意するように頷く。ゼロスは口を開きかけたが結局言葉を発することはなかった。――確かめるのが、恐ろしかったからだ。
「レティシアなら平気よ、私たちがヘイムダールに行っていたことは聞けば分かるでしょうから。私たちは早くマナのかけらを手に入れるべきだわ」
「そうだね。レティシアさんなら大丈夫じゃないかな」
ハーフエルフ二人はやたらとレティシアに信頼を置いているらしい。プレセアはまだ少し不満そうだったが、コレットのことも気がかりなのだろう。「わかりました」と呟いた。

アルテスタの家で一泊し、ゼロスの先導で一行が向かった先はトイズバレー鉱山の南東にある修道院だった。教皇騎士団が入り口を固めているのにコレットが眉を下げる。
「ここに、ゼロスの妹さんが?」
「そうそう。元気でやってっかな」
ゼロスの軽い口調にコレットはいくらか緊張が解かれたようでほっと息をついた。それをロイドが不思議そうに、リフィルは何とも言えない顔で眺めていた。こんな場所に神子の妹がいる――実際のところはどうかは分からないが、あまりいい関係であるとは考えられない。
しかしその予想に反して、ゼロスの来訪に神子の妹――セレスは素直に顔を輝かせた。
「お兄さま!どうしたのですか、突然」
「よーう。久しぶりだな、セレス。元気にしてたか?」
「お兄さまこそ、お元気でしたか?」
ゼロスが広げた腕に、セレスは遠慮がちに収まって兄妹は抱擁を交わした。その体温がたまらなく愛おしくなって、ゼロスは一瞬腕をこわばらせた。大切なものを失くしたくないという気持ちはいっそう強くなっている。
「おまえに預けといたクルシスの輝石が必要になったんだ。返してくれ」
抱擁を終えたゼロスが言うと、セレスは不思議そうに首を傾げたが、すぐに戸棚をさし示した。もともと自分のものではないのだから、断る理由などない。
「輝石が、ですか?ええ、構いませんわ」
「悪いな」
「それは最初からお兄さまのものですわ。ところで……」
セレスは部屋にいる面子を見回した。ロイド、コレット、ジーニアス。どれも見知らぬ顔だ。セレスと折り合いの悪いしいなと、興味のなさそうだったプレセアとリフィル、遠慮したリーガルの四人は部屋の外で待っていた。
「そちらの方たちは、お兄さまのお友達でしょうか?」
「そ。まあ、いろいろあってな、一緒にウロウロしてんだよ」
「魔女さまはいらっしゃらないのですか?」
「魔女さま?」
不穏な呼称にロイドが思わず呟く。ゼロスは振り向いて苦笑いした。
「レティシアのことだよ。レティシアは、あー……まあ、ちょっと留守にしててな」
「残念ですわ。絵はがきのお礼、伝えておいてくださいね。わたくしからお手紙を出しても届いていないみたいなのですもの」
「待て、絵はがきってなんだ?」
アルタミラから出したのは知っているが、そのことではないだろう。セレスは瞬いて、物書き机の引き出しから何枚かのはがきを出して見せた。
「色々な場所から送ってくださるのです。お兄さまと一緒ではなかったのですか?」
どうやらレティシアは逃亡中も律儀にセレスに絵はがきを出していたらしい。ゼロスは呆れたような、感心したような気持ちになりながら頭をかいた。
「いや、知らなかったわ。わかった、伝えとくから」
「今度は魔女さまと一緒にいらしてくださいね」
「はいよ」
叶うかどうかは分からない。けれどゼロスはつとめて簡単そうに言うと三人と一緒に部屋を出て行った。ドアを閉めてから、コレットが微笑む。
「妹さんと仲がいいんだね」
「それに、レティシアさんのことも知ってるんだ」
コレットとは対照的にジーニアスの目線は冷たい。家族も知っている仲なのだから、婚約者として誠実であるべきだという非難なのだろう。ゼロスは「まあな」と肩を竦めた。
「ともかく、輝石は手に入った。さっさと行こうぜ、救いの塔」
「そうだな!マナのかけらを手に入れないと」
ロイドが気合を入れて頷く。それを見たゼロスは憂鬱なため息を飲み込んだ。


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