ラーセオンの魔術師
50

これからすべきことは何か。
そう考えるとオリジンの解放が第一に上がってくる。そして大いなる実りの発芽、こちらはすでにユグドラシルの打倒なくして成されないだろう。
とはいえオリジンの解放にはクラトスの犠牲が必要だ。彼を戦力としてカウントできるならユグドラシルを倒す方が先決かな。どちらにせよもう一度クラトスと接触したいところではある。作ったアイオニトスも結局渡せていないし。
そんなことを考えながら、小屋との間を行き来して荷物の整理をしたり、アルテスタからクルシスの事情を聞いたりして何日か過ごしていた。同時にアルテスタからは私が行った治療について詳しく聞かれたりもした。
「エルフにそのような技術が残っていたとは」
まさか、と曖昧に笑って首を横に振る。そんなものがあるならエルフだってドワーフと同じようにクルシスに取り込まれていただろう。
「いいえ、私が継いだのはマナリーフの織物や刺繍くらいです。エクスフィアの治療についてはたまたま成功してしまったくらいのもので」
「マナリーフ?ヘイムダールに伝わる霊草かの。なるほど、プレセアのスカーフの文様はそれだったのか」
「気づかれましたか」
確かに里ではたまに見かけたけど、あまり外では見かけないものだ。それにあれは刺繍の文様自体にも効果があるから、貴重なマナリーフの糸を使うというのは稀だし。
「この技術も……誰かに継いでもらえればいいのですけどね」
周りにはそれこそ異端視もされるけど、便利なものは便利だ。セレスに教えたりもしたが、ジーニアスやミトスに伝授するのもアリかな。今度暇があったら教えてみよう。二人とも興味は持っていたから。
アルテスタも技術の後継には悩んでいるようで、ちょっと話が弾んだ。クルシスにはドワーフがまだ所属しているらしいから、計画が成功したならそのドワーフ達を解放することもできるだろうか。ドワーフってほんとに少ないんだよね。私もアルテスタとダイクさんにしかあったことがないし。
しかし大いなる実りの発芽に成功しても、カーラーン大戦の二の舞になっては意味がない。技術だけではなく、歴史も伝えていかなければならないだろう。今はまだ夢物語だけど、終わったときのことも考えておくべきか。
まあ、渓谷には織物や書物がまだ残っているし。最悪の場合でも伝承自体は失われないと信じたい。

そうこうしている間にミトスが一人帰ってきて、他のみんなはメルトキオに向かったらしい。古代大戦の資料は王家が編纂して所有しているとかいう話で、流石にそこまではミトスは連れて行けなかったのだろう。ゼロスはいまだにお尋ね者で、またいつ教皇騎士団が異界の扉の時のように襲ってくるかはわからない。無事に治療法を探し当てられたらいいんだけどな。
私も打てる手は打っておくべきか。ヘイムダールの族長ならなにか、コレットの病について知っているかもしれない。今更のこのこ顔を出すなんて、と思うけれど、私のプライドなんてコレットの命に比べたら安いものだ。
「はあ……」
「どうしたんですか、レティシアさん」
ヘイムダールのことを考えると気が重くなる。アルテスタの家から少し離れた、森の入り口でため息をついているとミトスが遠慮がちに声をかけてきた。薪でも取りに来たのかな。手伝わなくてはと思いながらも首を横に振った。
「ああ、ちょっと……大したことはないですよ」
「まだ体調が悪いとかではないんですか?」
「体の方は大丈夫です。つい、色々と考えてしまって」
古代大戦の真実をロイドたちに伝えて、肩の荷が下りるかと思ったけどそれは正反対だった。だんだんと言いようのない不安に押しつぶされそうになっていく。焦りとも似ていた。
「ヘイムダールに……行かなくては……」
「エルフの里、ですよね?」
「ええ、あそこにも古代大戦の詳細な資料があるかもしれないですから。でも……今更私が行ったところで」
教えてもらえないかもしれない。反省はしていないけど、後悔が今になって沸き上がる。私のしたことは、私の怒りは間違っていたのだろうかと。
「レティシアさんは、ヘイムダールの近くに住んでいたんですよね」
「そうですよ。ラーセオン渓谷というところです」
「なぜ……そこを出ようと思ったんですか?」
率直に尋ねられて私は苦笑した。もう一度小さくため息をこぼしてしまう。
「私の育て親が死んだとき、ヘイムダールの人たちは私が語り部を継ぐことを認めてはくれなかったからですよ」
「……ハーフエルフだから」
「そうです、だから出て行った。でも何も奪われたくはなかったから、エルフが渓谷には入れないようにしたんですけどね」
その所業をきっとヘイムダールの人たちは許していないだろう。私の存在だって、私がハーフエルフである以上彼らが認めることなどない。
「ボクは……ボクたちはどこへ行けばよかったんでしょう」
ぽつりとミトスが呟いた。彼もまた、オゼットに隠れ住んでいた身だ。追われたのとは違うが、自分の居場所でないと思っていたのだろう。
「そう、ですね。居場所なんて……どこにもないのかもしれません。どこにいたっていいと思ってたけれど、やっぱり世界は私たちを追い立てる」
ハーフエルフに生まれたことを疎んで、嫌ってはいないけど。周りのハーフエルフたちのことを知った今はなんて不自由なのだろうと感じていた。私はただ無知だったのだろう。以前のようにただ一人で立っていられるとは思えなかった。
「疲れたな……」
弱音なんて吐きたくないけど、思ったよりも弱っていたらしい。私よりもコレットの方がずっと大変なのに、と情けなく思ってしまった。
「もしも、ボクたちがみんな同じなら、差別なんてなくなるのに」
ミトスの声はひどく冷たく聞こえて、少し驚いた。「ミトス、」と思わず呼びかけてしまう。
「そうは思いませんか?みんな同じ種族なら差別なんてされなくてすむ」
「それは――」
「ボクたちだって、村を追われることなんてなくなる。ボクの世界ができるのだから」
まるで知らない人のようで私は咄嗟に言葉を返せなかった。ミトスにこんな一面があったなんて。私はごくりと喉を鳴らして、彼に気圧されながらも首を横に振った。
「違いますよ、ミトス。それだけのことで差別なんてなくならない」
「……どうして?」
「同じ種族でも差別は生まれるからです。例えば性別や生まれ、肌の色。違うところがある限りそれは差別の原因になる」
私はエルフもハーフエルフもいない世界を知っている。たしかに「ハーフエルフであること」は差別の原因にはならないだろう。けれど、ほかの要因でだって差別は生まれるものだ。この世界にも存在しているだろう。
「他人を尊重する気持ちがなければ差別なんていくらでも生まれてしまうものです。ハーフエルフであることで差別されない世界だって、あり得なくはない」
「そんなの、現実的ではないじゃないですか」
「それはみんな同じ種族になることだってそうですよね」
答えながら頭の隅を何かがよぎる。それが何か、思い出す前にミトスは口を開いていた。
「いいや、みんなが無機生命体にさえなれば……違いなんてなくなるんだ!」
「っ!」
――それは、誰の言葉だったか。
信じられなかった。なぜ、と呻くように呟く。
「そんな、許されない。誰も救われない!ミトス、ミトス・ユグドラシル……!」
「どうして?分かってくれないの?あなたの力さえあれば実現できるんだよ。みんな同じで苦しまなくていい世界が」
「そんなのは詭弁です。苦しみのない世界なんて存在しない!」
脚が震える。目の前にいる少年はもう、その本質を隠そうとはしていなかった。冷たい瞳、その奥にある憎しみ。
恐ろしい。同じ天使でも、ユアンやクラトスとはまるで違った。理解のできない怪物への恐怖だった。
「じゃあ、こう言い換えようか。あなたが、ハーフエルフだからという理由で、愛する人の隣に立てない世界なんて――おかしいでしょう?」
貼り付けられた笑顔に私は泣きたくなった。そうだ、その通りだ。「ハーフエルフであること」が差別の原因にならないなら――。
「ちが、う……、わたしは……」
深々と突き立てられた言葉のナイフに息が苦しくなりながらどうにか言葉を吐き出す。柔いところをずたずたに切り裂かれてしまったようだった。
拳を握る。あの日のことだけ抱いて生きればいい。
「私は愛されたいわけじゃない。私は私のために生きている。誰かに自由を奪われるなんて……許したくない……!」
「……残念だよ、レティシアさん。あなたがおとなしく従ってくれればよかったのに」
咄嗟に結界を張ろうとしたが、体がうまく動かなかった。吹き飛ばされて木に背中からぶつかってしまう。衝撃に息が詰まった。まずい、打ち所が悪い。
「連れて行け」
知らない人のような冷たい声。気を失う直前に、私はゼロスの言葉の真意を悟ったのだった。


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