ラーセオンの魔術師
42

絶海牧場の海水を抜ききったあと、私は見事に倒れたらしい。気がついたのは空の上だった。ゆっくりと体を起こしてあたりを見回す。振り向いたボータと視線があった。
「基地に向かっている」
「……そうですか」
ボータのレアバードに同乗させてもらっていたらしかった。私は息を吐いて座席にもたれかかる。このレアバードは私たちが貸与されたものよりも一回り大きい。おかげで乗せてもらえて助かった。
「休んでいてくれ。着いたときに声をかける」
「ではありがたく」
実際、体調は万全とは言いがたい。操縦はボータに任せてもう一度目を閉じた。さすがに無理をしすぎたか。反省はするけど後悔はない。いや、海水抜き作業だけ済ませて倒れてしまって、捕まってた人たちの救出はあまり協力できなかったのは反省点かな。
しばらく飛んで、たどり着いたのは砂漠の中だった。ここにレネゲードの基地があるらしい。牧場に向かう前に見せてもらった地図ではたしかパルマコスタとはまた別の大陸にあったはずだ。近くにイフリートの封印があるとか。
ユアンに報告したらそのまま火の封印に行こうかなとか思っている間に基地の中に着陸する。先に降りたボータが「足元に気をつけろ」と手を差し出してくれた。
「……えーと、どうも」
倒れた私を気遣ってくれているのだろう。立ち上がったときはふらついたので頼らせてもらう。気がきく人でよかった。
基地の中をなんとなく見回しているとレネゲード隊員の人が駆け寄ってきてボータに敬礼した。
「ボータさま!よくぞお戻りで」
「ああ。ロイドたちは既に報告に来ているか?」
「はっ!ただ今ユアンさまの執務室に」
「ならちょうどいい。レティシア殿」
「は?あ、はい」
殿、ときたか。一瞬呆けてしまったが気を取り直して頷いた。ユアンのところに向かうのだろう。
しかしその前にだ。私は杖をさっと振った。
「ちょっと待ってください。――"ドライ"」
先ほどはそんな元気もなかったけど復活しつつあったので濡れた服を軽く乾かす。着たままだとちょっと難しいかな。
「うーん、海水だと乾かすだけじゃダメですね」
「……あなたは、本当に規格外だな」
「はい?あー、えっと。他言無用でお願いします」
ボータに呆れたような顔をされてしまったので、クラトスの忠告を思い出して慌てて口止めしておく。敵対組織に情報を漏洩するとは思えないけど、念のため。
「分かっている。早く向かわねば、我々が死んだことにされてしまうな」
そうかな、私が助けに行ったことはみんな知っているはずなんだけど。というか、このタイミングでゼロスたちが報告に来ているのはちょっと遅い気がする。何かトラブルがあったんだろうか?
レネゲード基地の長い廊下を歩いてユアンの部屋まで案内される。ボータがノックするとドアの向こうからユアンの声が聞こえた。
「入れ」
「はっ。ボータ、任務を完了し帰還いたしました」
ドアを開けてボータがびしっと直立する。私もその後ろから顔を出した。お、本当にみんな勢揃いだ。
「えーっと、私も戻りました」
「レティシアさん……!」
「レティシア!」
真っ先に声を上げたのはプレセアで、次にリフィルにちょっと怒ったように呼ばれた、えっ、怒られるようなことした?
「あなたはなんて無茶をするの!」
「無茶したつもりはないんだけど……」
「どう考えても無茶です」
プレセアにきっぱり言われてしまう。そっかー、無茶だったか。
「勝算のないことはしてない……よ?」
「……あなたの基準ではそうかもしれぬが、我々としてそうではなかったということだ」
リーガルにまで言われてしまう。思わずボータを振り返ると神妙な顔で頷かれた。助けた人にも無茶だと思われてたとか。なるほど、死んだことにされてしまうとはこういうことだったか。
「どうやらおまえの働きでわが部下の命が救われたようだな」
「そういうことになるんですかねえ」
「……協力感謝する。後の報告はボータから受けよう。空間転移装置を作動させておく。おまえたちは好きに世界を行き来するがいい」
ユアンに言われてロイドが頷いた。部屋を出て行く彼らをぼんやりと見送る。とりあえず、ロディルは倒したわけだしエンジェルス計画関連は片付いたと思ってもいいだろうか。となるとミトスをテセアラに帰すであろう彼らとは別行動で精霊の封印を回りたいんだけど……。
ぐらりと視界が歪む。しまった、と声を出す前に誰かに受け止められていた。
「レティシア!」
「……ゼロ、ス」
頭が痛む。魔力の使い過ぎでまだ回復できていなかったらしい。うまく思考が回らない間に体が浮いていた。えっ、えっ?
「おいユアン、こいつを休ませられる部屋とかないのか」
「……よかろう。ボータ、案内を」
「はっ」
「ロイドくーん、俺さまレティシア休ませてくるから先出といてくれや」
「えっ?ああ、うん」
頭上で会話が交わされたあと、ゼロスが私を抱えたまま歩き始める。一体何が起きてるんだ、これ。
「ぜ、ゼロス、あるけますから……」
「馬鹿言え、また倒れるぞ。大人しくしとけって」
「でも」
「……心配かけさせたぶんだよ。頼むから」
ささやくような声に見上げると、紫のかかった青い瞳が私をじっと見ていた。その切々とした響きに私は口をつぐんでしまう。謝ることすらもできない。
そうしている間に部屋に通されて、私はベッドに降ろされた。はあ、と息を吐いて力を抜くと倦怠感に襲われてすぐにでも眠ってしまいそうだった。なんとか体を起こしてゼロスと向かい合う。
「……あんたはしばらくテセアラに帰らないんだろ?」
「はい。まあ、この調子でついて行ったら迷惑でしょうしね。ミトスにもよろしく伝えておいてください」
ほんの少しの間しか一緒にいなかったけど、私が死んだと思われててもなんだか悪いし。ゼロスは顔を歪めて私を見下ろしていた。
「ミトス、ねえ……」
「ゼロス?」
「わーったよ。あんまり無茶すんなよ」
「してませんって。ゼロスもあまり危ないことはしないでください」
ロイドたちの旅は危険だ。ゼロスがそれについて行っているということはなんらかの理由があるのだろう。それでも、彼が危険な目に遭って、あまつさえ死ぬ――なんてことは考えたくない。
私の言葉にゼロスは目を細めた。そして薄く微笑むと何も言わずに踵を返してしまう。
「じゃあな」
ひらりと手を振って、ゼロスは部屋から出て行った。そんな顔をしないでほしい、追いかけて言えればよかったが、私はベッドに体を沈めることしかできなかった。
「……ゼロス」
目を閉じる。気分は最悪だったけど、皮肉なほどよく眠れそうだった。


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