リピカの箱庭
07

私が譜術の本を読んでいると、ガイラルディアは決まって邪魔をしてくる。しかし今日は珍しく本を隣で読んでいた。ガイラルディアは読書や勉強が嫌いなわけではないが、自由時間はだいたい外に遊びに行きたがるタイプだ。何の本を読んでいるんだろうとちらりと視線をやる。
挿絵や写真がたくさん載っているその本はどうやら音機関についてのものらしかった。この世界にはいわゆる機械というものも存在し、それは音素を動力としている。このような音機関はキムラスカで研究が進んでいるらしいけど、マルクトで行われていないわけではない。
私の視線に気がついたのか、熱心に本を眺めていたガイラルディアは顔を上げた。ぱあっと顔を輝かせて声をかけてくる。
「レティもみる?」
「うん」
そういえば、ガイ・セシルという人は音機関が好きだったなあと思い出しながら私はガイラルディアと一緒に本を覗き込んだ。音機関の外観と一緒に緻密な設計図や頭が痛くなりそうな式が並んでいる。こんな本がうちにあるなんて知らなかった。
「ガイ、このほん、どうしたの?」
「ははうえがくれた」
「おかあさまが?」
お母さまはキムラスカの出身なので音機関に造詣が深かったりするんだろうか。それとも単純にガイラルディアが好きそうだから買い与えたとか?まあ、実際ガイラルディアは気に入ってるみたいだし。男の子が車とか電車とかそういうのが好きなのとおんなじだろうか。
「むかしはねえ、おんきかんで、そらもとべたんだって」
「とりさんみたいだね」
「うん!すごいよね」
ニコニコしながらガイは本を眺めている。載っている挿絵の一つ一つに「かっこいいねえ」「きれいだねえ」と言ってるので既に音機関狂の片鱗が垣間見えて私はなんとも言えない気持ちになった。
「……ガイは、ふじゅつのべんきょうはしないの?」
作中でもガイ・セシルは剣術のみで戦っていたことを思い出しながら訊いてみる。ヴァンデスデルカやお父さま、ほかの騎士たちは譜術も使いこなせるけどガイラルディアはいまだに譜術には興味がなさそうだった。マルクト軍人は譜術が使えるのが一般的らしいが、さて。
「ふじゅつはレティがべんきょうするでしょ。ヴァンも、せぶんすふぉにまーだよね」
「そうだね」
「だからふごうはおれがべんきょうしたら、さいきょうだよ」
最強ですか。一体誰に吹き込まれたのだろう。おおかたお姉さまあたりな気もする。
譜業の勉強なら、きっとキムラスカでもできるだろうから止める理由はない。譜術の勉強は貴族ならともかく、軍属でもない一般人がするのは難しいだろう。今中途半端に覚えても使い物にならない気がするし、ガイラルディアの選択は正しいと思える。
しかし私とヴァンデスデルカが譜術を使うのを真似したがるのではなく、譜業に興味を持つのはガイラルディアの長所なのかもしれない。適材適所という言葉もある。ガイラルディアが興味を持った対象をそのまま伸ばせば彼の武器になるだろう。
「ガイはすごいね」
小さな兄が誇らしくなって私はガイラルディアの手を握った。嬉しい気持ちが伝わってくれたのか、ガイラルディアもはにかむ。
「そらがとべるようになったら、レティもいっしょにのせてあげるね」
「うん」
きっとその未来は来ないだろうけど、ガイラルディアがそう言ってくれるのが嬉しくて頷いた。
そうやって二人で本のページを捲っていると、部屋のドアがノックされた。「どーぞ」とガイラルディアが返事をするとドアが開けられる。
「ガイラルディアさまもこちらにいらっしゃいましたか」
「あっ!ヴァン!」
そこにいたのはヴァンデスデルカだった。ガイラルディアは本を閉じるかどうか迷ったようだったが、その前にヴァンデスデルカがこっちにやってきてくれる。目を瞬かせながら本を読むガイラルディアを見たのはヴァンデスデルカにとっても珍しかったからだろう。
「ヴァンデスデルカ。こんにちは」
「こんにちは、レティシアさま。ガイラルディアさま、今日は譜術のお勉強ですか?」
「ううん、おんきかんだよ」
「音機関ですか」
「ヴァンもみる?」
「そうですね」
単純に興味があったのか、それともガイラルディアが嬉しそうに尋ねるので断れなかったのか、ヴァンデスデルカも頷いた。三人で頭を突き合わせて一つの本を読むなんてちょっと楽しい。
主にガイラルディアが感想を言って私とヴァンデスデルカがそれに頷いたり意見を言ったりしながらゆっくりページを捲っていく。音機関は音素によって動かすものなので、燃料の仕組みとかが私が知るものと違って読んでいて面白かった。
「ガイラルディアさまは音機関がお好きなのですね」
ヴァンデスデルカが言うのにガイラルディアは「うん!かっこいいよね!」と声を弾ませた。
「音機関の勉強をするなら算数がとても大事ですよ」
「さんすう?」
「それに古い音機関は今の音機関よりずっとすごいものがたくさんあるので、歴史の勉強も大事ですね」
「れきしかあ」
ガイラルディアはあんまり歴史の話が好きではない。私をちらりと見た。
「レティがやってくれるよ」
「……ガイ。わたしはふじゅつにいそがしいからね」
「ええ〜?レティ、おねがい」
「だーめ。おそらをとべなくていいの?」
「むう」
頬を膨らませたガイは観念したように、お父さまの真似なのか「いたしかたない」と低く唸った。私とヴァンデスデルカは思わず顔を見合わせて笑ってしまう。
「我が主は頼もしいですね」
「ガイはすごいですよ」
ほっぺを真っ赤にするガイは、それでも嬉しそうだった。
ガイラルディアが、ヴァンデスデルカが思い描く未来が訪れることはない。夢のような時間ははかなくて愛おしくて、私はふいに込み上げた涙を呑みこんだ。
「レティ?」
気がついた――気がついてしまうガイラルディアが心配そうに私を見る。なんでもないよ、と言うことしか私にはできなかった。


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