リピカの箱庭
06

一度勝手に外出したのがマリィベルお姉さまにバレてからは、私とガイラルディアはヴァンデスデルカが同行するという条件で屋敷から出ることが許されるようになっていた。勝手に子どもだけでウロウロされるよりはいいという判断だったんだろう。まあヴァンデスデルカもまだ子どもなんだけど。
「レティシアお嬢さま。体調は大丈夫なのですか?」
昨日は熱でフラフラしていたから心配してくれているのだろう。ヴァンデスデルカが尋ねてくるのに私は「だいじょうぶです」と頷いた。
「ならいいのですが」
「レティ、ヴァン!はやくいこう」
ガイラルディアが待ちきれないといったふうに飛び跳ねているので、私も帽子をかぶってヴァンデスデルカの手を引っ張る。ヴァンデスデルカはなおも心配そうに私を見ていたが、私は知恵熱以外はかなりの健康体なので心配しないでほしい。
私たちは屋敷の外に関しては詳しくないので、行き先はもっぱらヴァンデスデルカが決めてくれている。景色のきれいな場所や地元の子どもが遊ぶような場所から騎士たちの修練場までさまざまだ。小高い丘を登ると周りの景色が見渡せて気持ちいい。
「ヴァンデスデルカ、あのおおきなたてものはなんですか?」
民家や屋敷とはまた別の無機質な建物を指差す。ヴァンデスデルカは私が指差した先を見て「ああ」と頷いた。
「あれはたしか研究施設ですよ。譜術の研究だったと思いますが」
「……あれが」
ヴァンデスデルカがあまり詳しくなさそうということはまだフォミクリーの人体実験は始まっていないのだろうか。私は拳を握った。
「レティシアさまは譜術に熱心ですからね。興味がおありですか?」
「ないです」
きっぱりと言った私をヴァンデスデルカは意外そうに見ていたが、私はその視線には気づかないふりをした。ヴァンデスデルカをひどい目に遭わせて、ホドを滅ぼすような技術になんか興味はない。戦争が技術を発展させるのだと知っていても見つめたくなんかはなかった。

始祖ユリアの子孫だからか、ヴァンデスデルカはホドの遺跡にやたらと詳しい。もしかしたらお父さまよりも詳しいんじゃないかと私はひそかに思っていた。譜石が安置されていたところもそうだったし、今いるユリアの墓もそうだ。ここはヴァンデスデルカが定期的に掃除をしているらしく、あたりに咲いている花もきっと手入れしているのだろう。
「ねむるのに、すてきなばしょですね」
そう言うとヴァンデスデルカは微笑んだ。摘んできた花を添えて静かに祈る。
ガイラルディアは墓には興味なさそうだったが、遺跡は面白い遊び場だと思ったのかそこらへんをうろちょろし始めた。奥の方に向かうのにヴァンデスデルカが慌てて追いかける。私は一人残されて、ユリアの墓をじっと眺めた。
なんだか見覚えがあるのはゲームで見たからだろうか。石碑の文字は風化してもう読めなくなってしまっている。真白い墓を見つめながら気がついたら小さく歌っていた。ヴァンデスデルカの真似だ。
――トゥエ レィ ズェ クロア リュォ トゥエ ズェ
ユリアの譜歌は旋律だけでは術として成立しないらしい。その象徴を正しく理解する必要がある――とヴァンデスデルカが教えてくれた。私が知っているのはただの旋律なので、歌ってもなんの効果もないだろう。でも美しい旋律だと思う。
風が吹く。その音がまるで歌のようで私は目を閉じた。ユリアがどんな人だったかは知らないけれど、きっとその歌声はヴァンデスデルカのそれのように耳に心地よく響くものだったんだろう。
不意に茂みが揺れる音がして私は振り向いた。ガイラルディアたちが戻ってきたのだと思ったけど、そこにいたのは小さな生き物だった。
「チーグル?」
「みゅう」
「わあ、はじめてみた」
大きな耳を持った生き物はローレライ教団の聖獣とされているチーグルだ。うさぎとはまた違う、二足歩行の生物になんだか妙な気持ちになる。かわいいんだけど、ファンタジックな感じというか。
それにしてもホドにチーグルが生息していたとは知らなかった。いや、ホド出身のユリアがチーグルと仲が良かったとかいう話だから住んでてもおかしくはないのかな。ここはユリアの墓だし、知能の高いチーグルもそれを理解してるのかもしれない。
「ユリアさまのおはかまいりにきたんですか?」
「みゅ」
何を言ってるかは分からないが、返事をしたチーグルが持っていた花を私に差し出したのでそういうことなんだろう。私はその一輪の花をヴァンデスデルカが添えた花の横に置いた。
「みゅう、みゅみゅ、みゅう〜」
チーグルが耳をぱたぱたさせて茂みの中に戻る。しかし途中でこっちを振り向いて「みゅみゅ!」と声をかけてきた。ついて来いってことかな。
好奇心のままに私はチーグルを追いかけることにした。エプロンドレスを引っかけないようにまとめて持ちながら茂みをくぐり抜ける。
ぽてぽてと歩くチーグルが向かった先にはもう一匹のチーグルがいた。しかしそのチーグルは傷ついていて、ぐったりと疲弊しているように見える。
「このこ……」
「みゅみゅ、みゅうみゅぅ」
「なおしてほしいってことですね?」
「みゅう」
チーグルが訴えてくるが、私は第七音譜術士ではないので治癒術は使えない。傷ついたチーグルを抱き上げてヴァンデスデルカを探すことにした。
「ヴァンデスデルカ!どこまでいっちゃったんですか!」
とりあえずユリアの墓まで戻ってみるが、まだ二人は戻ってきていない。きょろきょろと見回しながら二人が進んでいった方向へ歩いていく。
「ガイ!ヴァンデスデルカ!」
「レティだ!」
すぐにガイラルディアの声が聞こえてきて安心する。ヴァンデスデルカもガイラルディアと一緒にいた。私を放って二人で遊んでるなんてひどい……じゃなくて。
「それなに?」
「チーグルですね。このあたり生息しているとは」
ヴァンデスデルカもチーグルがいることは知らなかったらしく意外そうな顔をしていた。私は抱いたチーグルをヴァンデスデルカに見せた。
「ヴァンデスデルカ、けがしてるので、ちゆしてあげられますか?」
「これくらいならできるでしょう。……癒しの力よ――ファーストエイド!」
光がチーグルを包む。治癒術を見るのは初めてじゃないけど、ほんとにファンタジーだなといまだに思ってしまう。
抱いていたチーグルはすぐに目を開けて、「みゅぅ……?」とこちらを見上げてきた。傷も治ってるし大丈夫そうだ。
「ヴァンデスデルカ、ありがとう」
「お安いご用ですよ」
「ヴァン、すごいね」
ガイラルディアは自分のことのように誇らしげで、そしてヴァンデスデルカを心底尊敬しているようだった。微笑ましいなあと思いつつチーグルを下ろしてあげる。私を案内したチーグルと手を取り合ってる様子は非常にかわいらしい。
「けがにはきをつけてください。いつもはなおせませんよ」
「みゅう!」
「みゅみゅ」
お礼らしき言葉を告げてぽてぽてと帰っていくチーグルたちを見送る。それをヴァンデスデルカもじっと見ていたが、なんだか難しそうな顔をしている。
「……このあたりに魔物?いや、そんなはずは……」
「ヴァンデスデルカ?」
「いいえ、なんでもありません」
誤魔化されてしまったが、ガイラルディアに「そうだ!」と手を取られてそっちに気を惹かれてしまう。
「レティもね、かくれんぼしよっ」
「ガイラルディアさま、また迷子になりますからかくれんぼなら屋敷に戻りましょう」
「ええ〜、だってヴァンすぐみつけるんだもん」
「はいはい」
どうやらガイラルディアが迷子になったせいでなかなか戻ってこなかったらしい。私はガイラルディアの手を引っ張って「じゃあみつからないばしょ、おしえてあげるね」と囁いた。
「ほんとう?」
「ほんとう。ね、ガイ」
「んー、じゃあかえる!」
「レティシアさまは少し手加減してください」
耳打ちした内容はヴァンデスデルカにも聞こえてしまっていたらしい。私はかくれんぼが得意なので――ガイラルディアが鬼のときはすぐ見つかってしまうけど――ヴァンデスデルカの勝率は低めだ。
「だーめ。ちゃんとみつけてくださいねっ」
ガイラルディアと手を繋いだままユリアの墓まで戻る。後ろから聞こえてくるため息交じりの苦笑さえも愛おしかった。


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