リピカの箱庭
00

その日はレティシア・ガラン・ガルディオスの五歳の誕生日だった。
ずっと恐れていた。私は知っていたからだ。五歳の誕生日、その日に故郷が消滅することを。それは人為的な災害で、預言に記された出来事で、私が声高に叫んでも変えることのできなかった運命だった。
一人ベッドの上でうずくまる。もう遅いのだ。何もかもが手遅れで、住人はみんな死んで、ホドは崩落してしまう。
私には何もできなかった。ただ一人、安全圏で膝を抱えるだけだ。
あたりまえだ。たった五歳の子供に何ができるというんだろう。私は何をすればよかったんだろう。できることはなんでもしたつもりだった。
でも、その報せは私の元へ舞い込んでくる。
いつの間にか寝ていたのか、最近は時間の感覚も曖昧だ。分厚いカーテンはきっちりと閉ざされていて日も射さない。
憂鬱だった。気力のないまま天井を見上げる。息苦しさで呼吸すらしたくないと思った。今この瞬間、あの美しい場所が地の底へと堕ちていると思うと、自分の頸に刃がつきつけられているようだった。
バタバタと外が騒がしくなって、慌ただしいノックの音が聞こえてくる。いやだ、聞きたくない。「お嬢様!レティシアお嬢様!」執事の声が私を呼ぶ。返事ができないうちにドアが開いて暗い部屋に明かりが差し込んだ。
「大変でございます!旦那さまが、いえ、ホドが――!」
気が動転しているのだろう。若い執事は取り乱しながら言葉をつむぐ。
「ホドが――崩落、したと――」
「……」
彼はあり得ないものを見る目で私を見ていた。「まさか、本当に、お嬢さまの預言が――」私は首を横に振る。
「スコアなどでは、なかったのです」
私は知っていただけだ。ただ、知っていた。
父に訴えた。母に訴えた。騎士にも告げた。でも、聞き入れられはしなかった。結果としてグランコクマに療養の名目で隔離されてしまって、そこから言葉が届くことはなかった。
若い執事と、何人かのメイド。そして私。今、ガルディオス家の者と言えるのはそれだけだ。
――ガイラルディアが戻るまで。私は貴族としてこの家を守っていかなければならない。
「下がりなさい」
「し、しかし」
「せんそうが始まったのでしょう。いま、ここにいるわたしたちはなにもできません」
「お嬢様……」
そう、出来ることはない。――今は。
「国からしらせがくるでしょう。それを待つしかありません」
「……っ、かしこまりました。お嬢様」
執事は苦い声を絞り出した。私が泣きわめいてしまったほうが、彼のこころは楽だったかもしれない。同じ場所にできた深い傷を、慰め合うことはできなかった。私はシーツを握りしめる。
「その――よび名を、あらためなさい」
「レティシア様、」
はっとした顔で執事は私を見た。もう、お父さまは生きていない。お母さまも、お姉さまも。ここにいるのは、確かに生きているのは私だけだ。
そのことが分かったのだろう。執事はただ悲しげな瞳をしていた。憐れむ顔だった。伯爵家の令嬢なら慰めることが許されたかもしれないが、当主には付き従うことしかできないのだから。
彼が静かに部屋を出て行くのを見送って、私はベッドに体を沈めた。心が重いだけ、沼に足を取られるような感覚に襲われる。ここから出ずに、何もせずに、ただ衰えて死んでいきたいと思った。
これから、五歳の子どもが何をするというのだろう。何もできなかったくせに、何ができるというのだろう。
わからない。けれど、絶望するわけにはいかなかった。
預言に縛られたこの世界は間違っている。だからといって預言を憎むのか?復讐を考えるのか?家族を、ホドの住人を見殺しにした世界に報復するのか?
それは私の役割ではない。世界がやがて変わることは知っている。そのことを信じるのもまた、預言に縛られるのと同じなのかもしれない。
でも――これ以上人が死ぬのは嫌だ。私ができるのはただ、救える人を救うことだけだと思う。そのためにこの立場を生かせるのならいいだろう。
それはただ一人の兄のためだ。ガルディオス伯爵家を継ぐひとは私ではない。やがて復讐を捨てるその人が望むことを、私が兄のためにしたいことをするだけだ。
ベッドの上に置かれたぬいぐるみに視線をやった。ガイラルディアが私にくれた形のあるもの。
「ガイ。……ガイラルディア。しんじてるから。待ってるから……」
その日まで、私はただ兄の代わりになるだけだ。


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