ラーセオンの魔術師
31

そんなわけで私はまたアルタミラを訪れることになっていた。プレセアには仕事は大丈夫なのか一応聞いてみたが、問題ないらしい。ついでにいろいろと尋ねておいた。仕事の依頼人のこと、エクスフィアを渡してきた人間のことなどだ。
エンジェルス計画に協力しているらしい人間の名はヴァーリと言うらしい。リーガルからエクスフィア鉱山――トイズバレー鉱山の権利を得ようとしていたという男と同じだろう。つまりアリシアをエンジェルス計画の被験者にした男でもある。
その男を捕まえられたとしても要の紋の細工について分かるかは怪しいが、少なくとも被害者がこれ以上増えることはないだろう。しかし、エクスフィアブローカーか。エクスフィアを流通させているレネゲードとも通じていそうなんだけど……。
そんなことを甲板で考えているといつの間にかプレセアが隣にいた。スカーフを口のあたりまで巻いているので寒いのだろうか。ゼロスに船上でもらったものなのでどうしてもそのことを思い出してしまう。
「プレセア、寒いなら船室に戻ったら?」
「いえ、大丈夫です」
プレセアは首を振ったが、視線は私の顔に向けられたままだった。何か訊きたい事でもあるんだろうか。
「私になにか用があるのかな」
「……レティシアさんの髪の色って、魔法なんですか?」
予想外のことを尋ねられて一瞬ぽかんとしてしまった。しかしある意味当然の疑問でもある。プレセアと最初に会ったときと髪の色はまるきり変えていたのだから。
普段は赤にしてるけど、牢に入れられた時もまた別の色だったのでリーガルにも後で突っ込まれのだった。変えても私だということには気づかれていたのでもしかしたら意味がないのだろうか。
「そうだよ、これは光の魔術で変えてるの」
「魔法ってそんなこともできるんですね。エクスフィアの寄生を治したり……」
「魔術が使えるからって誰にでもできるわけじゃないみたいだけどね」
ゼロスは私の魔術が異質だと言っていた。マナのコントロールがこまやかすぎるらしい。確かに私は派手な攻撃の魔術よりも防御とか生活の便利魔術のほうが好きだし得意だ。そもそも何かを傷つけるのはかなり苦手だし。これは前世が平和な世界だったせいだろう。
「それじゃあ、そういうことができるレティシアさんが特別なんですか?」
「特別なのかなあ。私はあんまり他の魔術師のことは詳しくないからどうだろうね。周りにも魔術を使う人はほとんどいなかったし」
「……エルフとか、ハーフエルフがいなかったってことですか?」
「人がいないところに住んでたの。険しい渓谷の中でね、近くにエルフの里があったけど仲良くはなかったから。最終的には喧嘩して出てったもの」
育ての親と、同じハーフエルフの幼馴染と、それとゼロスくらいだろうか、身近にいた魔術師は。ゼロスが入ってくるあたり私の人付き合いの薄さがばれてしまう。プレセアは私を見て瞬いた。
「エルフと喧嘩したんですか?意外です」
まあ、一般的にはハーフエルフは虐げられる側なので喧嘩して出て行ったなんて聞かないかもしれない。私も追い出されたみたいなものだったし。
「まあね。ハーフエルフだからって色々言われてカッとなっちゃった」
「それじゃあ、レティシアさんは……エルフのことが嫌いですか?」
「差別してくる人は好きじゃないな。エルフでも人間でも、ハーフエルフでもね。でもエルフにもいい人がいるかもしれない。人間だって、プレセアやリーガルみたいな人は好きよ」
「私は――」
プレセアは何かを言いかけて、でも結局口を噤んだ。彼女にもいろいろと考えることがある。特に、リーガルのことはどう心の決着をつけるべきかわかっていないのだろう。
「プレセア、言ったでしょう。あなたには考える時間がある。すぐに答えを出すなんて誰にもできないんだよ」
「レティシアさんも、時間をかけたんですか?」
尋ねられて少し言葉に詰まった。私は前世の記憶があるから割り切るのに時間は必要としなかった。でも、決心をつけるまでは――かなり時間をかけたと思う。
「そうだね。たくさん時間をかけたよ」
「そう、ですか」
プレセアは揺れる波に視線をやった。もう一度船室に戻るか訊いてみようかと思ったけど、私は黙って彼女を見守ることにした。私たちはアルタミラの島のすぐそこまで来ていた。


空中庭園にあるアリシアの墓の前まで来て、プレセアは茫然とした顔で「アリシア……」と呟いた。墓の前でようやく彼女の死を実感したのかもしれない。
「私……やっぱり、許せそうにありません」
しばらく立ち尽くしていたプレセアはリーガルを見てはっきりとそう言った。リーガルは彼女から目を逸らすことなく立っている。私は見守ることしかできなかった。
「どうしてアリシアが……殺されなければならなかったんですか……!」
「すまない、私は――」
「お姉ちゃん。お姉ちゃんでしょ!」
リーガルの言葉を遮るように急に聞こえてきた声に私は思わず辺りを見回してしまった。その声の主はすぐに見つかった。アリシアの墓からぼんやりとした幻が見える。実際幻に近いマナの集合体の少女は――アリシアだ。うっすらと浮かんだアリシアの姿はなるほどプレセアにそっくりだった。
「アリシア?どうなっているの?まだ、生きてくれているの?」
「私は……今エクスフィアそのものよ。もうすぐ意識もなくなってしまう。私の体はエクスフィアにうばわれたまま死んでしまって、私の意識はエクスフィアに閉じ込められてしまったの」
エクスフィアに意識が閉じ込められる?ただの演算装置ではないということか……?いや、それよりもである。私はリーガルとアリシアを見比べた。
「アリシア……、死してなお、それはおまえを苦しめているのだな。すまなかった」
「リーガルさま。いいんです、リーガルさまは悪くない。お姉ちゃん、リーガルさまは私を助けるために私を殺してくれたの。それしか方法がなかった」
アリシアははかなげな微笑みを浮かべて胸の前で手を組んだ。プレセアは苦悶の表情のまま拳を握っている。実際、それしか方法がなかった――私も説明したが、本人に言われれば説得力も違うだろう。リーガルもプレセアも苦しんでいるが、必要なのは客観的な説明ではない。心に寄り添ってその傷を癒すことだ。殺されたアリシア自身の言葉はなによりも効く薬だろう。
「最後に会えて、ほんとうによかった。だからリーガルさま、どうか自分を責めるのはやめて」
アリシアはリーガルに懇願するように言った。「しかし、」と言い募ろうとするリーガルを首を振る仕草で遮る。
「私はもうすぐ消えてしまうから。私に心配の種を残させないでください。その手のいましめがなくてもリーガルさまは十分に苦しんだはずです」
「……私は愛するお前を手にかけた。これは私の罪の象徴であり罰だ」
「……そんな罰もういりません。お願い、リーガルさま」
二人は互いに互いを思いやっているのだろう。私は見かねて声をかけた。
「リーガル。言いましたよね?罪を償うための罰を欲することはただの自己満足だと」
「それは……」
「自己満足でまたアリシアさんを苦しめるのですか?彼女自身それを望んでいないと言っているじゃないですか」
「その人のいうとおりです。私はそんなこと望んでいない……」
アリシアは私に同調するように頷いてくれた。リーガルはそんなアリシアの瞳を見つめて、重々しく呟く。
「……分かった。……しかしこの手は二度と命を殺める道具とはせぬ。私はおまえにそれを誓う。そしてエクスフィアで人の命をもてあそぶ者たちをうち倒したとき、このいましめをはずすことにしよう」
「ええ、リーガルさま、姉さん……。私、これでようやく逝けそうよ。私がエクスフィアになりきってしまう前に結晶を破壊して」
「どうして?このままではダメなの?」
プレセアはどこかすがるようにアリシアに問いかけた。エクスフィアのままでも、生き続けてくれれば――そんな思いが透けて見えて心が苦しくなる。けれどアリシアは首を振ってハッキリと言った。
「このままだと私は永遠に生きてしまう。しゃべることもできず、ただぼんやりとした意識のまま未来永劫生き続ける。それは地獄だから……」
確かにそうやって分かってなお壊されないでいるのはきっと地獄だろう。私は二人の顔を見た。そしてプレセアの持っている斧に視線をやる。その視線に気がついてプレセアは斧を持つ手に力を込めた。
「……わかりました。アリシアを……解放します」
「ありがとう。お姉ちゃん、リーガルさまを恨まないで。おねがいよ」
エクスフィアが破壊される前に、アリシアはそう言い残した。プレセアの斧が振るわれてエクスフィアが破片となって砕け散る。これで、アリシアは本当の死を迎えたのだろう。
プレセアはしばらくその破片の輝くさまを見つめていたが、やがて私たちに向き直った。
「決めました。これからどうするべきか……」
少し震えている声に私は後悔した。プレセアにエクスフィアを壊させるべきではなかっただろうか。けれどプレセアは息を吐いてからハッキリとした声で告げた。
「私もリーガルさんと同じ気持ちです。エクスフィアで人の命をもてあそぶことは、許せません」
「戦うというのね?」
「はい。……よろしくお願いします」
アリシアの言葉があったからといってリーガルのことを許せるかどうかは別だけど、プレセアなりに気持ちの置き方を決めたのだろう。リーガルの差し出した手をプレセアはしっかりと握ったのだった。


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