ラーセオンの魔術師
27

「ふあ……」
あくびが漏れたので慌てて口に手を当てる。辺りを見回しても誰もいなかったのでとりあえず安心した。まあ、夜の甲板になんて誰も来ないか。
目を凝らすとずっと先に光が見える。アルタミラだ。冬が終わって暖かくなった今、ゼロスは流石にいないだろう。
闘技場から逃げ出した後、しばらく闇の神殿にいた私は闘技場で出会った彼との約束を果たすためにアルタミラに向かっていた。その後は一度プレセアの様子を見に行くつもりだ。もう一回試したら寄生も解けるかもしれないし。
色々とトラブルがあって夜に着くことになってしまったが、アルタミラの宿は一応空いていた。花屋もやっていないので、一晩泊まってから空中庭園に行くことにする。
「うーん、ていうか庭園ってレザレノ本社にあるやつだよね」
翌朝、ホテルの人にも聞いてみるとアルタミラの空中庭園といえばそこしかないと言われてしまった。けれど入るにはレザレノ社員からの紹介が必要らしい。
「困ったな……」
とりあえずアイリスの花は買ったけど、入れるかどうかはわからない。最悪空から侵入すればいいかなと思いつつモノレールみたいなやつに乗ってレザレノ本社ビルに行ってみる。
ビルはやっぱりファンタジー世界の中ではオーバーテクノロジーっぽくて不思議な光景だ。そういやここの会社の人ってちゃんとスーツみたいな制服着てるし、お金が余ってるんだなあという感想を抱きながら受付に向かう。
「すみません、空中庭園に行きたいのですが」
「社員証、もしくは紹介状をお持ちですか?」
「いえ。……ないと入れないですよね」
「申し訳ありませんが……」
やっぱりダメか。がっくりと肩を落としたところで受付嬢が私の手元を見て瞬いた。
「アイリスの花……?少々お待ちください」
「はい?」
なんだろう。受付嬢が慌ただしくどこかへ行ってしまったのでひとまず言われた通りに待つことにする。……もしかして、話通ってる?ということは、あの闘技場の牢で会った人は――
「待たせたようだな。申し訳ない」
低い声がかけられる。驚きのあまりアイリスの花を取り落としそうになったのをなんとか抱えて、私はこれでもかというほど目を丸くしてその人を見た。
「空中庭園に案内しよう」
「は、はい……」
いや嘘でしょ。なぜか手枷をつけたままで微笑むその人はどう見てもあの牢に入っていた張本人だった。
謎が深まるが、彼に案内されるままにエレベーターに乗り込む。空中庭園に着くまではお互い無言で、ひらけた空間に出た瞬間無意識に息を吐いていた。
「約束を守ってもらえて感謝する」
「いえ、まあ……その、予想外でしたが」
「私はリーガル。レザレノ・カンパニーの会長だ」
会長!?えっ、会長って言った?ってことはこの人は貴族なのか。通りで気品があると思った。なぜ牢にいたのか、そして今出てきてるのかは相変わらず謎だけど。
「私はレティシアといいます」
「……レティシア。少し付き合ってもらえるか」
「ええ。そのために来ましたから」
コツコツと石畳を歩いて一番奥まで進むとそこにあったのはどうやら墓のようだった。なるほど、この花は墓前に添えるためのものだったらしい。私が花束を渡すとリーガルはゆっくりと膝を折った。
「それは、エクスフィアですね」
「ああ」
墓に埋め込まれている石には見覚えがあった。刻まれた名前は――アリシア・コンバティール。
「プレセアの……!?あなたは彼女とどういう関係なのですか」
「アリシアを知っているのか。彼女は……私の恋人だった」
彼が立ち上がる。暗い目で墓を見下ろして呟いた。
「そして、私がアリシアを殺めたのだ」
言葉の重みがのしかかる。すぐには言葉が出ず、拳をぎゅっと握りしめた。
「……アリシアさんは私の知り合いの妹さんです。前に調べたところ、彼女はエクスフィア実験の被験者で適合せずに亡くなったということでしたが、あなたが殺めたとはどういうことですか」
「少し長くなるが」
そう前置きしてリーガルは話し始めた。
アリシアが奉公に行った先がリーガルの家だったこと、そこで使用人の彼女と恋人関係になったこと。それを快く思わなかった家の者とエクスフィア鉱山の権利を欲する者によってアリシアはエンジェルス計画の被験者としてエクスフィアを取り付けられ、適合せずに化け物に形を変えてしまったらしい。
そしてアリシアはこのままではリーガルのことを傷つけてしまうと彼に自分を殺すように頼んだ。リーガルは彼女の望み通りアリシアを殺め、その罪を背負って罪人として闘技場の牢にいた――ということだった。
「……そういうことでしたか」
アリシアの墓を見る。プレセアの妹の事情をこんな形で知ることになるとは思わなかった。
「それで……あなたはなぜ私をここに呼んだのですか?」
問題はここだ。私にとってはプレセアの妹のことを知るのはマイナスではないが、ただの偶然である。リーガルが牢から出てここで待っていた意味を知らなければならない。
リーガルはゆっくりと息を吐くと私に向き直った。
「私は……罪を償うための罰を欲していたのだろう。だがそれはただの自己満足であるとあなたを見て気がついた」
「私を?」
「エクスフィアの実験に使われて苦しんでいる者がいるのなら、その助けになりたいと思ったのだ。これ以上アリシアのような被害者を増やさぬためにも」
あの牢での短い会話で、リーガルはそれだけのことを考えたらしい。まあ、たしかに牢にいるだけでは自分だけが苦しさに救われるのかもしれない。
しかし、彼がこうして言ってくれるのは正直なところかなり助かる。私はプレセアを救いたいと思って手を伸ばしたが、同時に指名手配される身でもある。彼女のしっかりとした後見人がいればかなり安心できると思った。
「それでは……私たちは共闘できるというわけですね」
微笑んで手を差し出す。リーガルの大きくて暖かい手が私の冷えた手を固く握った。


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