ラーセオンの魔術師
25

目を覚ましたら牢屋だった。頭がガンガン痛む。なかなか容赦なく殴られたらしい。
さて、状況の確認をしよう。私はサイバックの王立研究院に忍び込んでエクスフィアについての研究の資料を探していた。そこで得たのがエンジェルス計画の情報だ。しかしそれだけではプレセアを治すのに足りなかったので、要の紋やその生産方法を知るために忍び込んだ研究施設でケイトに見つかり、警備員を呼ばれ、研究員に殴られて昏倒した。以上。
「迂闊だった……」
そうとしか言いようがない。ていうか人のいるところに忍び込むのはどう考えても悪手だった。ステルス魔術があっても私に忍者的な心得がない。あとハーフエルフ相手に油断したのもいけない。
しかし、牢屋にぶち込まれるとは。私は仮にもマナの神子の婚約者なので、ワイルダー邸に連れて帰られると思ったのだが……もしかしてバレてない?
よく考えたら私の髪色は変えたままだったので、マナの神子の婚約者とは分からなかったのではないだろうか。しかも私はサイバックの研究員の制服を着ている。そこで働かされているハーフエルフだと思われたのかもしれない。
ハーフエルフが罪を犯した場合、有無を言わさず死刑になる。つまりハーフエルフである時点で捕まえた側は私に興味などなかったのかもしれない。だって「罪を犯した」と判断されたらその罪がなんであろうと死罪なのだから。
なんともずさんな制度である。連れ戻されなくてラッキーだったのかどうかは微妙だが、ここはどこなのだろう。
「目を覚ましたか」
低い声が聞こえてくる。隣の牢からだ。私は壁をまじまじと見つめた。
「えーと。ここはどこでしょう?」
「……ここはメルトキオの闘技場だ」
声は律儀に答えてくれた。あ、なんかいい人っぽい。
しかし闘技場か。罪人が見世物として闘技場で魔物と戦わされるというのは聞いたことあったけど、なるほど。本当だったのか。血なまぐさいな見世物を好む上流階級がいるのはどこも同じらしい。
「闘技場ですか。うーん、困ったな」
「……そのようには聞こえないが」
「そうですねえ。あなたも闘技場で戦うんですか?」
「ああ」
「罪を犯したから?」
「そうだ。あなたは、罪を犯していないのか?」
「罪、ですか。不法侵入はしましたね」
あとクラッキングもしたな。こっちは証拠が残ってないと思うけど。とはいえこれだけで死罪には普通ならないだろう。
「ああ、あと神託に従わないのは罪になるんでしょうかねえ」
「神託に……?それは、どのような」
「それは言えません。ちょっと身分上問題があるので」
ぽろっと言ってしまったが、囚人相手といえど私がマナの神子の婚約者であることをバラすわけにはいかない。危ない危ないと口をつぐんだ。
「あなたは……ハーフエルフか?」
「はい、そうですが」
「そうか……」
沈んだ声が返ってくる。私は見えないと分かっていてと肩をすくめた。
「もしかしてだが、サイバックの研究院で働いていたのだろうか。あなたの制服に見覚えがある」
私がここに連れてこられたときにでも見たのだろうか。壁に寄りかかって否定する。
「それは違います。制服は拝借しましたが、先ほど言った通り不法侵入するためでして」
「研究院にか?随分と危険なことをするな」
「仕方ありません。救わねばならないひとのためですからね」
「救わねばならぬ、か」
そうだ。プレセアのことも、ゼロスのこともある。やることはたくさんあって、こんなところにいる場合ではなかった。
牢屋の外に視線をやる。闘技場に連れて行かれるというのはいつになるのか。その前に抜け出すべきか、いや。
「随分と落ち着いているようだが、あなたは戦い慣れているのか?魔術があってもそれだけでは魔物の相手は厳しいだろう」
「そういうあなたこそ、闘技場は初めてではないのですか?」
「そうだ。エクスフィアがなければとうに死んでいたかもしれぬがな」
自嘲の響きを含んで声が言う。まるで、エクスフィアをよく思っていないかのようだった。私は不思議に思いながら顎に手を当てた。
「あなたはエクスフィアをレネゲードから手に入れたんですか?」
「ああ。知っているのか」
「要の紋も?」
「……そうだが」
「そうですか……。考えてみれば当たり前か。要の紋がなければ人体にエクスフィアはつけられない。一緒に流通させているなら要の紋の生産方法もレネゲードが知ってるはず……」
ぶつぶつと呟きながら思考をまとめる。でも、レネゲードとどうわたりをつける?私は貴族階級の人間ではない。仮にゼロスの元へ戻ったとして、脱出が困難になるだけな気がする。
そして最悪なのはレネゲードとエンジェルス計画に関係があった場合だ。ディザイアンとクルシス、この二つは縦につながっているが、レネゲードとは一体なんなのか。そこがわからないとむやみに手を出せない。
結局一番早いのは私がマナの操作でエクスフィアの寄生を完全に解いてしまうことだ。そのために必要なのはマナの操作の熟練度と、あとは持続する魔力、つまりMP的なものの底上げ。後者は宝石に魔力を貯めて電池にしてもいい。精晶石もあるし。どちらにせよ、今後戦っていくためにも必要である。
「要の紋が必要なのか?――あなたの救いたい人のためか?」
ぼそり、と呟くように壁の向こうから声をかけられる。私はその壁を見つめた。
「そうです。正確には、要の紋の生産技術が必要なのですが」
プレセアの要の紋に細工をしてあるのなら、単純に新しい要の紋を取り付ければいいという話ではないかもしれない。修理ができる人がいれば確実なんだけど。
例えばドワーフ。彼らならその技術を持っているかもしれないが、クルシスに所属していないドワーフの話は聞いたことがない。探そうと思っても気の遠くなるような話だ。
「……エクスフィアの寄生、か?」
「!知っているのですか」
「知っている。……そうか、まだ……」
後半はぼそぼそと呟かれたので聞き取れなかったが、エンジェルス計画を知っている人とこんなところで会うとは。どこでどう転ぶか分かったものではない。
「だが、あなたの必要なものを私もまた知らぬ」
「……そうですか」
が、声の主が何か有用な情報を持っているというわけではなさそうだった。そうだね、簡単にはいかないね。
エンジェルス計画について知っている人がこんな牢屋にいるとは思わなかったが、彼もまた計画に関わっていたのだろうか。それとも、関わらされていたのか。
まあいいか。頭の痛みもおさまってきた。そろそろここから逃げ出してしまおう。私は壁から体を起こして立ち上がるとまず手枷を水の魔術で砕いた。ガキン!と金属が落ちる音がする。
「何を……」
「私は魔術師ですからね」
牢屋の鍵も同じように破壊する。看守はどこにも見当たらず、なんともずさんだなと思った。私が簡単に目覚めないと思われてたとか?もしくは魔術をこのように使うと想像していなかったか。
冷たい石の廊下に出て、左右の出口を見回す。さて、どっちが正しい出口だろうか。
「出口に向かうならそちらだ」
声が言う。私は彼の牢を振り向いた。
長髪の男性だった。随分と体が大きくて、格闘家然としている。闘技場で生き残ったというのも事実だろう。
「あなたは、いいのですか」
「……」
私は逃げようとしている。今なら彼も逃げられるだろう。助けてほしいといえば、情報の見返りに彼を牢から出しても構わないと思った。たとえ罪を犯していても、この人には穏やかな知性が感じられる。
しかし彼は首を横に振った。
「かまわぬ。代わりに、一つ頼みたいことがある」
「可能なことでしたら」
「アルタミラの空中庭園に、花を」
瞬いて彼を見る。彼はゆっくりと私に告げた。
「アイリスの花を、持っていってはくれないか」
「……ええ。春になったら」
アルタミラと聞いて一瞬ドキッとしたが、私がアルタミラで失踪したことには関係ないはず。私は頷いて、満足そうに微笑む彼から視線をそらした。
教えてもらった方向に歩き出す。このあたりの牢に入れられていたのはどうやら私と彼のみのようだった。もうすこし遅ければ闘技場に連れ出されていたかもしれない。
廊下の先のドアは鍵がかかっていなかったので、私はステルス魔術をかけると少しだけドアを開けて外の様子を伺った。人気はほとんどない。こちらは通常の――罪人以外の闘技場に出場する戦士の待合室だろうか。今日は罪人の戦いが行われているので、おそらくこちらは使われていないのだろう。
「早かったな」
そう声をかけられて心臓が跳ねる。ドアの向こうにいたのは――ユアンだった。


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