ラーセオンの魔術師
19

アルタミラを発って数日、今のところ立ち寄った町や村には教皇騎士団の姿はない。まだ追ってきてないのだろうかと不思議に思いながら私は深い森を進んでいた。
不意に、なんだか嫌な予感がしてくる。魔物の気配とかではないけど……。慎重に進むと、人が倒れているのが見えた。小柄な少女だ。
咄嗟にあたりを見回す。息が苦しくなって手足が痺れだして、これは毒が回っているのだと即座に判断した。つまり倒れている少女はこの毒が原因ということで。
「"リカバー"!」
このままではまずいと自分と少女に解毒の治癒をかける。さっき見た感じでは危険そうな色の沼のようなものが見えたのであれがきっと毒沼なのだろう。
私は少女と、彼女の持ち物らしき斧を抱え上げてもう一度あたりを見回す。沼の近くだが、小屋が立っているのが見えた。
「しかたないか」
この森を抜けるのは一苦労だし、土地勘のない場所でウロウロして迷いたくない。少女を休ませるにはあの小屋が最適だろう。
念のために小屋の周りに毒を退ける結界を張って、結界の中の空気は魔術で浄化する。小屋の中も埃をかぶっていたのでドアを開けたまま清浄した。ベッドというよりベンチに近い長椅子が置いてあったのでそこに少女を寝かせる。斧は壁に立てかけておいた。
咄嗟に入ってしまった小屋だったが、さきほどまでの状態からいって今は何にも使われていないだろう。毒の及ぶ範囲のギリギリ外といったところかもしれないけど、風向きいかんによっては危険な立地である。私は少女が目覚めるまでしばらく休むことにした。
それにしても、と少女の横顔を眺める。年の頃は十代前半といったところだろうか。セレスよりもうちょっと幼く見える。桃色の髪は前世ではありえないが、この世界ではカラフルな頭髪の人も普通にいるのでおかしくはない。
斧を持っていたので木を伐採しに来たのだと思う。幼い少女が一人――というのは妙だけど、こどもといえど遊びと勉学だけに励める世界ではない。何らかの事情があるんだろう。このあたりの村といえば、オゼットという村があるんだったっけ。そこに住んでいるのなら、目覚めたら案内を頼めるかもしれない。
そんなことを考えているうちに少女が身じろぎ始めた。吐息交じりに言葉にならない小さな声が聞こえる。
「……、」
「目が覚めた?」
声をかけると少女はこちらを見てゆっくりと瞬いた。そして首を傾げる。
「ここは……」
「あなたが倒れていた場所の近くの小屋だよ。分かるかな?」
「はい」
こくり、と頷いたので少女はこのあたりに詳しいのだろう。
「毒に当てられてたと思うんだけど、具合はどう?苦しかったりする?」
「……平気、です」
「それはよかった。名前を訊いても?」
「プレセア……。あなたは……?」
「私はレティシアというの」
プレセアと名乗った少女は無感情にもう一度頷いた。なんだか感情が乏しい少女だ。喋り方もそっけないというか、倒れた原因にも私にも全然興味がなさそうに見える。
「プレセア、いくつか尋ねたいことがあるんだけどいいかな」
「……私、仕事……」
「仕事?プレセアはきこりなのかな」
「そう、です」
「このあたりに住んでる?」
「はい」
「よくここの近くに来るの?」
「神木は……このあたりにしかないから」
神木?なんか特別な木なのだろうか。それにしてもプレセアがきこりだったとは。お手伝いとかではなくそれで生計を立ててるってことだと思われるけど。見た目に反して力持ちなのかな。
「神木ってどんな木?」
「教会で、神事に使う木、です」
「このあたりってことは、毒沼の近くにしか生えないんだ?」
「……はい」
「じゃあ毒が危ないんじゃない?」
「いつものこと、だから……」
驚いた。いつものことと言っても、今日は倒れていて結構危なかったんじゃないだろうか。私はだんだんこの少女のことが心配になってきてしまった。
毒を退けるアイテムというのは存在するが、プレセアがそれを身に着けているようには見えない。いつもここに来るというのなら、なおさら備えがあってしかるべきだろう。
「仕事……」
しかしプレセアは気にしていないようで、長椅子から立ち上がると斧を手に取って私に一度ぺこりとお辞儀をした。感謝はしてくれている、と思われるけど、またあの沼の近くに行くのだろう。
「プレセアはオゼットに住んでるんだよね?」
「はい」
「じゃあ、仕事が終わってからでいいから案内してくれるかな。邪魔しないで見てるだけだから」
「わかりました」
せっかく助けたのにまた倒れられたら後味が悪い。私がそう尋ねるとプレセアはやっぱり無感情に頷いて小屋のドアを開けた。私もその後に続いて小屋を出る。

プレセアは小柄な体躯に見合わず易々と斧を振り回し、切り倒した巨木を運ぶことすらやってのけていた。もし大変そうなら魔術で手伝おうなんてことも考えていたけど、助けは必要なさそうだった。
「プレセアは力持ちだね」
「……はい」
彼女は胸元の赤い石に触れてこくりと頷いた。アクセサリーかと思ったがなんだか雰囲気が違う。そういえばゼロスも似たようなものを着けていた気が――。
「……エクスフィア?」
ハッとする。エクスフィアには身体能力を向上させる効果があるという話だった。それをつけているからこそ、プレセアが外見に見合わない身体能力を持っていると考えた方が自然だ。
しかし、その場合どうしてプレセアのような少女がエクスフィアを持っているかというのが疑問だ。ゼロスの口ぶりを思い出すとレネゲードという地下組織が騎士団や貴族に流通させているようだったけど、プレセアはそんなものには無縁に見える。いや、神木を教会に納めているのなら教会と繋がりがあるとか?
けれどプレセアは私がエクスフィアと言ったのにも特に反応を返すことはなかった。彼女は何も知らないのだろうか。思わぬところでエクスフィアの使い手に出会ったと思ったのだけど。
「おわり、ました」
黙々と斧を振るい続けていたプレセアがこちらをちらりと見て言う。私も本当に見ているだけだったが、プレセアがあまりに集中している様子だったので忘れ去られた気分になってたんだけどちゃんと覚えていてくれたらしい。
「この木も全部持っていくの?」
「はい」
「じゃあそれはちょっと手伝おうか」
いくらプレセアといえど、何往復かしないと厳しそうな量だ。なので魔術で浮かせるとプレセアは何度か瞬いたが、自分のぶんを持つと歩きはじめた。私が魔術を使えるということも興味の対象にはならないらしい。
受け答えを拒否されるわけではないから嫌われてはいないと思いたいけど、なんだか不思議な子だ。私は彼女に続いて森の中を進みながら内心首を傾げていた。


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