ラーセオンの魔術師
17

アルタミラに来てからなんだかゼロスの様子がおかしい。
具体的には私によく話しかけてくるようになった。無事に別部屋になってからも朝食を誘ってくるので、それが数日続くとゼロスが来る前に部屋を出るのはなんだか悪い気がしてしまう。そんなわけでアルタミラでは毎日ゼロスと朝ご飯を食べている。メルトキオでは考えられないくらいにゼロスは健全な生活を送っているらしい。
朝食を終えると海やら遊園地やらに行こう、と言われる。部屋でゆっくりしたいからと断ると一瞬表情を曇らせてから「じゃあしょーがねーな」と肩をすくめられるのだけど、露骨にがっかりしてる感が伝わってくるのだ。なんだかゼロスが年下であることを思い出してしまう。
夜は夜でアルタミラではカジノや劇場もやっているのでそこに誘われる。カジノに行くためにパーティードレスを用意されてしまったので行ってみたけど、なるほどきらきらゴージャスで賑やかなゼロスが好きそうな場所だった。
遊びが上手な女の子たちがたくさんいるようなところなので、ゼロスはそんな子たちと遊びたいのだろうなと思ったが、それだと私を誘っては邪魔なのではないだろうか。ちなみにポーカーもブラックジャックもすごく楽しかったです。イカサマはしてないよ、ちょっとマナで印つけただけですよ。
カジノで勝ちまくるのは楽しいしお金も貯められるからいいんだけど、ゼロスの行動は謎だ。今もゼロスはホテルのショップを覗く私に付き合ってくれていた。

ショップといっても土産物売り場みたいなところだ。食べ物はないけれど、綺麗な貝殻のアクセサリーや置物、タペストリーなんかが売られている。
その中で私は絵葉書に手を伸ばした。全部手描きと思しく、全ての絵柄が違っている。
「ゼロス」
せっかく着いてきたのだから、ゼロスに声をかけてみる。アクセサリーを眺めていたゼロスがこちらに振り向いた。
「なんだ?それ買うのか?」
「はい。これとこれ、どちらが好きですか?」
選んだ二つの絵葉書をゼロスに見せる。一つは昼間のアルタミラの海を描いていて、人がたくさんビーチで遊んでいる光景だ。もう一枚は夕方の日が沈みかけた海の光景が描かれている。こちらには人の姿はなく、ただ日が沈んで赤く染まった空と海、ほのかにその色を反射するビーチの風景が綺麗だった。
ゼロスはまじまじと二つを見比べたあと、二枚目を選んだ。
「こっちかな」
「じゃあこちらにします。自分で買いますからね」
カジノで稼いで小金持ちになったのでゼロスがお金を出す必要はない。ゼロスはちょっと肩を竦めた。
「どうするんだそれ。旅の思い出、ってか?」
「いえ、セレスに送ろうかと」
セレスは普段修道院から出られないらしいので、アルタミラも滅多に来れる場所ではないだろう。アルタミラに来て文通はお休み中だがこちらから送るぶんにはいいんじゃないかと思う。
「ああそう、セレスにね……」
そんなわけでゼロスに選んでもらったのだが、心なしかがっかりしているように見える。どうしたんだろう。
「ゼロスもセレスと手紙のやり取りをしているんですか?」
「ああ、まあね。でもレティシアの方がよくしてるんじゃねえの」
「そうでしょうか」
「あんまり頻繁にやり取りするのも、立場上よろしくないんでね」
ゼロスは少し寂しそうに呟いた。聞こえないくらいの声だったので、あまり聞かせる気はなかったのかもしれない。私は聞こえなかったかのように振る舞うしかなかった。
絵葉書はショップからも出せるらしく、その場でセレスへ短いメッセージを書いて店員さんに頼んでお金とともに渡しておいた。この世界の郵便なので、料金も割高だし届くにも時間がかかるがそんなものだ。絵葉書なんてのは金持ちの道楽の一つだろう。
「ゼロス、私は部屋に戻ります」
手紙を出し終えたのでゼロスに声をかけておく。相変わらずアクセサリー類を見ていたゼロスは顔を上げてこちらに歩み寄ってきた。
「部屋まで送るぜ」
「見たいものがあるなら結構ですよ」
「んにゃ、べつに」
ずいぶん熱心に見ていたようだったけどゼロスは軽く言うだけだった。並んでエレベーターまで歩いていく。
隣にゼロスがいるのはやっぱり不思議な気分だった。特に会話はないが、それでも無理に喋ろうとは思わない。気まずさがないのは喜んでいいのか。
エレベーターに乗り込んでぼうっと上昇する感覚に身を預ける。ふとしたときに考えてしまうのはやっぱりゼロスの奇妙な行動のことだ。
そもそも私をなぜアルタミラに誘ったのだろう――そう考えて、一つ仮説を立ててみた。
「ゼロス、悪いですけど監視は無意味ですから」
エレベーターを降りて、彼を振り向く。
私と一緒にいる意味なんてマナの神子のゼロスにとっては一つしかないだろう。つまり、監視である。アルタミラではワイルダー邸と違って監視の目が行き届かないから私と行動している、自分がいない間に逃げられたら困るから私をアルタミラに連れてきた。そんなところだろう。
ゼロスは私の言葉に瞬いて紫がかった瞳でこちらをじっと見てきた。そして首を傾げる。
「監視、ってなんの話だ」
「ごまかさなくてもいいんですよ。ゼロスだってせっかくのバカンスなのですから、私のことは放っておいて遊んだらいいじゃないですか」
「……、レティシアは放っておかれたいのか?」
沈黙を置いてからゼロスが言った言葉に今度はこちらが首を傾げる番だった。
放っておかれたいのか、というと、まあそちらの方が都合がいいだろう。私はバカンスにつられてきたわけではあるけど、本来の目的は天使に対抗する術を身につけることだ。ゼロスがずっとそばにいるとその研究がバレてしまうし、ある種の妨害にもなる。
そのはずだ。案外ゼロスといることに居心地悪さは覚えなくなってきたのは確かだけれど。
「そう、ですね。私は……」
「なあレティシア。あんたはどうしても逃げなきゃなんないのかよ」
いつのまにかゼロスの顔が目の前にあった。ホテルの廊下だ、いつ誰が通るかもわからない。私は後ずさったが、壁に追い詰められるだけだった。
「ゼロス、近い……」
「べつに監視してるつもりなんかなかったんだけど」
「え?」
「レティシアのそばにいたいだけじゃダメなのか」
ゼロスの言葉をうまく飲み込めなくて、私はただ声を中途半端に漏らすことしかできなかった。そばにいたい、とはどういう意味なのか。
何も言えずにゼロスを見る。ひどく真剣な顔をしたゼロスの言葉が嘘だとは思えなかった。
――嘘だと、そう信じたほうが楽だ。
私はマナの神子の配偶者にはなれない。自分の子どもがクルシスに利用されて生きるとわかっていて、それでもおとなしく利用されることはできない。
ゼロスはどうなのだろう。先の言葉が彼の本心だとして――それは、はたして、ゼロスのためになるのだろうか。
「……、あなたが」
私は息と一緒に言葉を吐き出した。自分が言おうとしていることが、どんなに愚かか分かっていても。
「あなたが本当にそう思っているのなら――私と、逃げてくれる?」
目をまっすぐに見て、そうは言えない。私は焦点をぼかしたままにゼロスに告げた。
「家族も友人も、身分も地位も何もかも捨てて、ハーフエルフの私と一緒に地の果てまで逃げてくれる?」
彼が頷かないことなんてわかりきっている。ゼロスは困惑したように眉根を寄せて私を見ていた。
そばにいたいだなんて淡い想いは私たちの間にあるべきではなかった。ゼロスも私も、それだけの想いで幸せに生きられる人間ではない。
「……、レティシア」
沈黙を置いて、ゼロスは絞り出すように私の名前を呼んだ。呼んだだけだ。
それが答えだ。私はゼロスと壁の間から抜け出してゆっくりと歩く。長い廊下の先を見つめてから振り返ると、ゼロスは俯いて立っていた。
「ゼロス。あなたの言葉をどうか、信じさせて」
ゼロスが顔を上げる。私は少し遠い彼を見て微笑んだ。
共に逃げられなくても構わなかった。その言葉が真実でなくても構わなかった。私の糧となるだけで十分だった。
私は結局、行動する理由が欲しかったのかもしれない。一歩踏み出す勇気を、真実を知ってしまっている責任を負う覚悟をこの感情に背負わせたのだ。


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