ラーセオンの魔術師
16

夜の散歩という無茶なマナ消費の仕方をしたせいで、部屋に戻った私は瞬く間に眠りに落ちて熟睡してしまっていたらしい。よく寝れないとか言ったの誰だよ、と恥ずかしくなった。
目を覚ましたときにゼロスはまだ眠っていたので、私は彼を起こさないようにそーっとベッドから抜け出して顔を洗いに行った。寝癖を直して髪をまとめる。
そして備え付けのソファの方に戻ってホテルのメモ帳(この世界にもあるのに驚いた)に鉛筆で書き始めた。
「何してんの?」
しばらくそうしてると、いつのまにか起きてきたらしいゼロスが覗き込んできた。顔を上げると半裸のゼロスが視界に入って思わず目を丸くしてしまう。
「……、おはようございます」
「おう」
朝チュンみたいなシチュエーションだけど私は清いままだ。そう、そのはずだ!ていうかゼロスの髪が濡れているので単純にシャワーを浴びてきたんだろう。気がつかなかった。服を着てください。
「風邪を引きますよ」
「平気平気」
「淑女の前で服を着ないのは平気ではないと思いますけど」
「照れてんの?」
「腹を立てています」
ゼロスみたいな美形の半裸に眼福と思う気持ちはなくはないんだけど、そう聞かれると腹立たしい。私は仕方なく立ち上がってゼロスの肩にかかったタオルを掴む。ゼロスは背が高いので背伸びしなきゃならないのがなんか悔しい。
「動かないでください。――"ドライ"」
ぶわっと熱風が吹いてゼロスの髪が舞い上がる。濡れていた髪は瞬く間に乾いていって、さらさらと彼の肩や背中、額に落ちていった。
これもまた私が考え出した魔術だ。ドライヤーというものはたぶんないので、こうするのが手っ取り早い。ゼロスは乾いた頭をがしがしと触って感心したような声を上げた。
「おおー、すげえ」
「乾きましたよ。服を着てきてください」
「わかったわかった」
私はタオルも乾かしてハンガーにかけておいた。そしてソファに戻って散らかしてしまっていたメモ用紙をかき集める。小さい紙に我ながらよく書いたものだ。
「で、それは?」
服を着て戻ってきたゼロスが私の手の中の紙束を指して聞いてくる。
「昨日の魔術の改良を考えていました。空を飛ぶにはどうすればいいか、ですね」
「羽根で飛べばいいんじゃねえの?天使みたいだったぜ」
「天使……」
あれくらいマナを集めれば目に見えてしまうんだろう。しかし天使、か。天使といえば私を負かせたあの憎たらしい天使を思い出してしまうのでいい印象はない。羽根はやっぱり効率が悪いし。
「天使なんてロクでもないものの真似はしたくないですね」
「でひゃひゃ、そんなに嫌なんだ」
「それはもう嫌です。あんな兵器……」
「兵器?」
ゼロスは不思議そうな顔をしたが私は適当に微笑んでごまかした。天使化が戦争のための技術なんて普通知らないか。……マナの神子のゼロスでも。
「それよりゼロス、朝食に行きますか?」
「そうだな。レティシアも行くだろ?着替えるか?」
そういえば私は寝間着代わりの普段着のままだった。別に外に出るには支障は無いけど、ゼロスは昨日買った服に着替えると思ってるんだろう。せっかく買ってもらったのだし、と私は頷いた。
「じゃあ先行ってるわ」
「はい」
着替える私を気遣ってくれたのかゼロスはそう言って部屋を出て行った。私はまとめた紙を束ねて鞄にしまってから昨日買った服を引っ張り出す。
「これにしようかな」
適当に選んだのは花柄のワンピースだ。南国らしく肩がむき出しになっているデザインのそれにサンダルを合わせる。靴擦れしても治癒術でぱぱっと治せるので新しい靴を履くにも抵抗がないのが魔法万歳である。
化粧も軽くして鏡の前で身だしなみを確認する。今世はエルフの血のおかげでそれなりに美形に生まれられたのでこうやって確認するのも楽しい。かわいいは作れる!けど、労力かけなくていいならそれに越したことはないし。
「大丈夫かな」
華やかな服のおかげか、なんだか浮かれた気分だ。まるでデートの前の確認みたいで気恥ずかしくなる。
とはいえみっともない格好でゼロス――マナの神子の相手をするわけにもいかない。私は鍵を持ってもう一度姿見で上から下まで眺めてから部屋を出た。

ホテルの朝食はオーシャンビューのレストランでとった。なんというか、贅沢極まってきて私はこの生活から抜け出せるのだろうかとちょっと心配になってきた。一度上がった生活水準はなかなか下げられないというし、快適に暮らすための生活魔術のさらなる研究が必要である。
旅をしてるときは雨風しのげればどこでも寝れるくらいだったんだけどなあ。ふかふかの布団に慣れてしまったのは痛い。寝心地はもちろん最高なんだけど。
で、朝食をとったあと、ゼロスは一人でどこかに行くと思っていたけど、意外なことに私をビーチに誘ってきた。
水着には着替えずにビーチに向かうと白い砂が太陽光を反射してキラキラと眩しい。いわゆる海の家的な建物があって、そこで飲み物や軽食を売っていたりパラソルの貸し出しをしているようだった。
「バカンスだからな、ゆっくりしようぜ」
ゼロスがパラソルを担ぎながら言うのに私ははあ、としか返せなかった。別にいいんだけど、私と一緒に過ごすつもりなのだろうか。てきぱきとパラソルの準備をするゼロスを眺める。
「本持ってきたんだろ?」
ここに来る前にゼロスに言われたので持ってきた本を見下ろす。なるほど、あまり想像がつかなかったけどビーチでのんびり読書というのも悪くないかもしれない。
パラソルの下のデッキチェアに腰を下ろした。しおりを挟んでいたページを開いて文字列を追い始める。あっという間に本に没頭した私は、ゼロスがこっちを眺めていることには全く気がついていなかった。


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