ラーセオンの魔術師
09

「あなたがお兄さまをたぶらかす魔女ですわね!」
私は瞬いて声の主を見上げた。赤い髪に青い瞳の少女は、ゼロスによく似た面立ちをしていた。
天使に拉致られてから数カ月、なんとなくワイルダー邸に馴染んできた私は庭と修練場を自由に使う許可をゼロスから得ていた。結婚しているわけではなく、平民で後ろ盾も何もない私は相変わらず半軟禁の宙ぶらりん状態なのでいちいちゼロスにお伺いを立てる必要があるのだ。
とはいえ屋敷の中ではそれなりに自由に過ごせていると思う。ただ、こんなふうに屋敷の中に突撃してくる女性がいるとは思わなかった――が、「お兄さま」の言葉が真実ならばこの少女はゼロスの妹なのだろう。家族なら入り込んでいても不思議ではない。
「なるほど。魔術を使うので魔女というのは間違いではないですね」
読んでいた本にしおりを挟んで少女に返す。魔女、というと悪いイメージが付きまとう気がするけど。実際少女はそのつもりで言ったのだろう。
「ですが、あなたの兄君をたぶらかしたことはありません」
「ふん、ウソをおっしゃい!」
気の強そうな表情のまま少女は鼻を鳴らす。私は首を傾げた。
「レディ、私はレティシアといいます。あなたのお名前は?」
「……セレス。セレス・ワイルダーですわ」
「セレス嬢、あのですね。急に人に魔術をぶつけるのは感心しませんよ」
結界で弾いたものの、わりとガチな魔術を使ってきたとんでもないお嬢様だ。読書の片手間に相手は出来ないと思ったが、さて。
魔術を防がれたせいか、セレスは悔しげな顔でこちらを睨んでいた。やれやれ、まさかゼロスにこんなおてんばな妹がいたとは。私がハーフエルフでないただの人間だったら死んでた可能性すらあるんだけどなー。
「……仕方ありませんね。セレス嬢、場所を移しましょう」
「逃げるのですか?」
「逃げはしませんよ。そこの修練場で、ちょっと遊びませんか?」
すかさず束縛の魔術をかけながらセレスをとっ捕まえる。自分の実力を過信しているわけではないが、多分この少女くらいなら問題ないだろう。
セレスが今までどういう事情で屋敷にいなかったのかは知らないけど、今後も居続けるなら魔術の不意打ちなんて受けたくないし。芽は摘んでおくに限る。
「ちょっと!なにをするんですの!」
「だから遊び、ですよ。ふふふ」
ぐるぐるに拘束したセレスを風のマナで浮かせながら修練場に連行する。魔術使いと模擬戦をするのはあの天使へ一矢報う訓練にもなるだろうし、なかなかいいタイミングで来てくれたんじゃないだろうか。

「……何してんの?」
ゼロスが呆れたような顔をしてこちらを見てくる。私は思わず笑顔になった。
「ゼロス!セレスは素晴らしいですね!」
「お兄さまぁ!もっと早く助けに来てくださらない!?」
セレスが半泣きでゼロスに駆け寄って抱き付く。ちょっと剣呑な瞳を向けられたが、別にセレスをいじめてたわけではないし。私悪くないし。
さて、修練場にセレスを連行したあと私が何をしていたかというと、魔術で彼女を叩きのめしただけだ。セレスの魔術の規模は申し分ないが、詠唱の隙は大きかったのでそこを突けばそう脅威ではない。結界の耐久テストに何発か打ち込んでもらったが、それ以降はちょっとした束縛系魔術を仕掛けるだけでセレスは身動きが取れなくなっていた。
しかしセレスの魔術の腕は放っておくにはもったいない。そんなわけでゼロスに断られたマナのコントロールについて教授していたんだけど……ちょっとテンションが上がりすぎてセレスには厳しかったっぽい。
……まあ、セレスから仕掛けてきたわけだし自業自得だよね!
「――というわけなので、私はセレスに害をなしてなどいませんよ。外傷もないでしょう?」
「あなたが治したんでしょう!?」
「うん?ちょっと治したのは体の中の傷ですよ。喉は大事にしてくださいね、魔術の詠唱でたくさん使いますから」
ゼロスに抱き付いたままセレスが涙目で睨んでくる。どうも病弱らしい彼女が時折咳き込んでいたのが気になったので治せそうなところだけ治しただけなんだけどな。まあ、対症療法みたいなものなので根本的な解決にはならないだろうけど。
「喉にいいのははちみつですよ。大根を角切りにしてはちみつに漬けるともっといいです」
「う……わかりましたわ!」
「マナのコントロールも毎日練習してくださいね。もっと上手になったらいろんなことができますよ」
「むむ……」
セレスはなんだかんだ素直なのか、ゼロスにしがみつきながらもこくりと頷いた。もしかしたら私が教えたことで何か学べるものがあったのだろうか?そうだとしたら嬉しい。
「まあまあ、仲良くなっちゃって」
ゼロスは複雑そうな顔でこっちを見てくる。それにしても、なんだかゼロスが妙だ。セレス――妹が抱き付いたなら抱きしめ返すとか背中を撫でるとかしそうなものだが、ゼロスの手は宙をさまよったままだ。もしかしてセレスと仲良くない?それだったらセレスもわざわざ私を襲ったりなんてしなさそうなものだけど。
「ゼロスにこんなに愛らしい妹君がいるとは知りませんでしたよ」
「でひゃひゃひゃ、そ〜だろ〜?」
「おにい……神子さま!」
私が言うとようやくゼロスがふざけたようにセレスの頭を撫でる。ぎこちない手つきで髪をかき混ぜられてセレスが咎めるように――でも、嬉しそうにゼロスを呼んだが、ゼロスの手はすぐに離されてしまった。
私の前でお兄さまお兄さまと呼んでいたセレスがゼロスの前では神子さま、と言うのも妙だ。家庭の事情は分からないが、なんとも複雑そうだ。
「……久しぶりに兄妹水入らずでゆっくりしたいでしょうし、私は失礼しますね」
地雷を踏んでしまったら厄介なので逃げようとしたら、なぜかセレスがぱっとゼロスから離れた。そして私の前にまわり込んでくる。
「べ、べつに神子さまとお話しすることなんてありません!あなた、私の話し相手になりなさい!」
「え?私ですか?でも、ゼロスに会いに来たんじゃないんですか?」
「つべこべ言わない!」
先ほどとは正反対の態度でセレスは私の手を取ってぐいぐいと引っ張ってくる。ゼロスを振り向くとひらひらと手を振られたので、これはいいってことなんだろうか。
「はあ……。分かりました。その前に着替えましょうか、セレス」
「そうですわね」
手を取られながら屋敷の中に連行される。もう一度ゼロスを振り向くと、セレスと同じ青い瞳を細めてこちらを眺めているだけだった。


- ナノ -