ラーセオンの魔術師
06

ゼロスに結界の試験を頼んでから数日後。私が部屋で歴史の教師――ケイトからオススメされた歴史書を読んでいるとドアがノックされた。そもそもこの部屋に来る人は限られているが、返事をする前に開いたのでゼロスだということがわかる。
「よーうレティシア」
「こんにちはゼロス」
想像どおりにゼロスが顔をのぞかせたので私は机に置いていたしおりをとって本に挟んで閉じた。ゼロスは用がないと来ないから、本を読み続けるのは無理そうだ。
「どうかしましたか」
「このあいだの件でゼロスさまの名案が浮かんだからちょっと来て」
「このあいだの件……?」
ゼロスと最後にまともに会話を交わした数日前のことを思い出す。結界の件か、魔術の件か、体術を習いたいとお願いした件か。どれだろう?と思ったがゼロスは答えてくれなかったので私は仕方なく手招きする彼について部屋を出た。
ゼロスが向かったのは広間だった。玄関ホールも広いけどここも広い。何の場所だろう。
「ここはダンスホールだよ」
「ダンスホール?」
「そ。レティシアが体術を習いたいって言うからさ、どうせならダンスの練習してもらおうかなって」
「ダンスと体術は関係ないのではないですか……」
「あるある。自分の思った通りに体を動かすって意味ではな」
それっぽいことをゼロスが言うので私は黙るしかなかった。まあ、やって無駄そうなら抗議すればいい。実るかわからないけど。
「……わかりました。講師の方はどちらに?」
「俺さまがいるだろ〜?」
「……」
思わず無言でゼロスを見上げてしまった。にこりと綺麗に微笑まれて目をそらす。……マジか。
「ゼロスは忙しいのでは?」
「いや?暇だけど」
「暇なんですか……。ではお願いします」
毎日家にいないで女の子と遊び呆けているのがゼロスの仕事なんじゃないかと最近思い始めていたので、本人からきっぱり暇だと言われると逆にがっくりきてしまう。そうですか、女の子と遊ぶのは暇つぶしなんですか。
実際、貴族としてゼロスが何かやってるところは目撃したことがないので暇というのは本当なのかもしれない。私の相手はたぶん仕事の一環だろうけど。

ダンスをするときはドレスなので、私はドレスを着たまままずはステップの練習をさせられることになった。ゼロスと向かい合って手を取られて近づけられた顔に動揺してしまいそうになったけど、幸いというかステップを教えられ始めるとそんなことを言ってる暇はなくなった。
「ワン、ツー、スリー、はい」
「っと、ワン、ツ、スリー」
簡単なワルツから――と言われたが、ダンスなんてやろうとも思ったことのない私にとってはなかなか難儀だった。音楽もCDとかで流せるわけではないのでひたすらゼロスが口にするリズムに合わせるしかない。
「そこでターン」
「えっ!?あ、うわっ」
足元に集中していると軽く腕を上げられくるっと体を回されて、わけがわからないうちにゼロスに受け止められる。いろんな意味でめまいがした。
「レティシア案外うまいじゃねえか」
「……私何もしなかったんですけど」
「ひゃひゃ、こういうのはいかにリードに乗るかってやつなのよ。その点わりといい線行ってると思うぜ」
「はあ」
褒められても褒められている気がしない。とはいえ、今のでなんとなく「リードに乗る」というコツがわかってきた気がした。
足元をじっと見るのをやめて、マナの流れを感じる。ゼロスが次にどこに足を出すかも何度かのステップの練習でわかってきたので、教わったステップでそれに合わせればいいのだと思う。ただ、難点は顔をあげるとゼロスと思いっきり目があってしまうことだ。
「ワン、ツー、スリー、そうそう」
「……、ゼロスは、けっこう、ダンスとか、するんですか?」
「まあね〜。俺さま人気者だから相手してくれって言われるコトも多いワケ。アコガレのマナの神子さまがダンス下手じゃ話にならねえだろ」
「そういう、もの、ですか」
会話を交わせるくらいには余裕が出てきた。とはいえステップに合わせて言葉が切れてしまうので、まだゼロスからしたら滑稽なくらい不器用だろう。
「たしかに、ダンスが、うまいと、格好がいいかも、しれませんね」
「そうそう。はいターン」
「っわ!急にするのはやめてください!」
「でひゃひゃひゃ」
私の体を受け止めたゼロスがぐっと顔を近づけてくる。鼻先が触れ合いそうな距離に私は思わず瞬いた。
背を反らして逃げようと思っても、腰はがっちりと捕まえられていて動けない。なんのつもりだろうかと眉根に皺を寄せた。
「……どうしたんですか?」
「どう?惚れた?」
「はあ?」
惚れたか聞かれても、惚れる要素がどこにあったかわからない。ダンスが上手いとかっこいいと言ったからだろうか?それならあまりに単純だけど……きっと冗談なのだろう。
もしくは、私自身の発言のせいか。マナの神子としての責務を気にしているようだったゼロスは、逃げようとする私を穏便につなぎとめるために惚れさせようとしているのかもしれない。
「……大変なんですね」
「何がだ?」
「お仕事が……」
生まれつき定められた身分に縛られているゼロスに同情もしてしまう。しかも相手はハーフエルフだ。神託で定められたとはいえ、ハーフエルフを婚約者などにしたら「一般的には」白い目で見られるかもしれない。そんな中、放っておいてもいいのに私に勉強させてくれたり結界の練習に付き合ってくれたり、果てにはダンスの特訓までしてくれるゼロスはゼロスなりに仕事熱心なのだろう。
「……あんた、わりと冷静だよな」
ようやく顔が遠のく。腰を掴んでいたゼロスの腕も離されて、私はようやく解放された気分になった。思えばけっこうな時間ダンスをしていた。
「そうでしょうか。ゼロスも冷静だと思いますよ」
「へーへー」
つまらなそうにゼロスが手を振る。「また今度やるからステップ覚えておけよ」とだけ言ってダンスホールから出ていってしまった。
「またやるんだ……」
思わずつぶやいてしまったが、今回よりはうまくできるだろう。それにわりと体を動かして疲れた(普段使わない筋肉も使ったから明日はきっと筋肉痛だ)ので、ダンスが運動になるというのは間違いないだろう。……体術の練習になるかはわからないけど、やらないよりマシだ。なにせこっちは軟禁生活なので運動不足になりがちだし。
ステップを一人で軽く復習してからホールを出る。風呂に入るときはマッサージをちゃんとしないと地獄を見ることになるだろうな、なんて考えながら。


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