夢のあとさき
94

デリスエンブレムがミトスの城――ヴェントヘイムに続く道を封印していたのはデリス・カーラーンとウィルガイアを繋ぐ転送装置の近くだった。デリスエンブレムを認証した転送装置は罠を発動させることなく私たちを城へと運んでくれる。
そこは暗い城だった。階段を登っていって、奥の扉を開けると広間がある。そこにユグドラシルの肉体があった。
「……かえる……私は……還る……」
うつろに呟くそのひとはまるで人形のようだった。ジーニアスが呼びかける。
「ミトス……ボクの話を聞いて!戦うなんてやめよう。世界を統合するために大いなる実りを返して」
「……かえる……私は……還る……」
ユグドラシルは答えない。私はハッとした。自分に取り着けられたままのクルシスの輝石を見下ろす。突如輝きだしたそれに思わず目をつむった。
「っ!これは……!」
「……わざわざ運んでくれてありがとう。ようやく融合できたよ。ご苦労だったね」
私から離れたクルシスの輝石がユグドラシルに取り付く。そして目を覚ましたミトスはもううつろではなかった。肉体と、クルシスの輝石に宿っていた魂が再び統合されてしまったのだろう。
「……くそ!そういうことだたのか」
ロイドが悔しそうに言う。そしてジーニアスもふたたび口を開いた。
「ミトス……。マーテルはもう亡くなったんだよ……」
「嘘をつくな!姉さまは生きている。ボクがこうしてクルシスの輝石に宿っているように……」
「それは生きてるんじゃない。無機生命体に体を奪われてるだけだ」
「それの何がいけないんだ」
ミトスは平然と言った。このひとはもう、そう言うことに躊躇いがないのだ。
「どうせこの体に流れているのは僕たちを差別する人間とエルフの血だ。そんな汚らわしいものは捨てて無機生命体になったほうがマシだよ」
「本気で……言ってるのか?」
「そうだ。見ろ!無機生命体になれば姿かたちや成長の促進も思うがままだ」
目の前のミトスの肉体が縮む。彼の姿はあっという間に少年の姿に変わった。古代大戦の勇者、ミトスの姿に。
「みんなが無機生命体になればいい。前にも言っただろう。差別をなくすにはすべての命が同じ種族になるしかないのさ」
「おまえは根本的に間違ってるぜ、ミトス。差別ってのは……心から生まれるんだ」
ロイドが言う。ジーニアスもそれに頷いて続けた。
「そうだよ、ミトス。相手を見下す心、自分を過信する心、そういう心の弱さが差別を作るんだと思う」
「おまえだってそうだろ。人やエルフを見下して家畜扱いしてさ。それは心の弱さだ」
「このままでは無機生命体になっても……変わらんな。差別はいくらでも生まれる」
人に心がある限り、たとえ流れる血が同じになっても――差別というのはなくならないのだろう。私たちは努力することしかできない。なくそうという努力は、それこそ……何もしないと変わらないから、しなくてはいけないものだ。
「……じゃあハーフエルフはどこに行けばいい?どこに行っても疎まれる。心を開いても、受け入れてもらえなかったボクたちはどこで暮らせばよかったんだ?」
炎上する王都でクラトスに投げかけたのと同じ質問をミトスは繰り返す。居場所がないハーフエルフはどうすればいいのかと。ロイドは真剣な目で応えた。
「どこでもいいさ」
「……ふざけるな!」
「ふざけてなんかいない。どこだっていい。自分が悪くないのなら堂々としてればいい」
それがロイドの答えだった。みんながあるがままいられる世界――つまりは、そういうことなのだから。
ミトスは弱弱しく見える動作で首を振った。そして感情をこめて叫ぶ。
「……それが……できなかったから、ボクは……ボクらの居場所がほしかった!」
居場所を得るためにミトスは旅に出た。炎上する王都で絶望することなく、差別する世界を作るために。
けれどミトスの希望は変質してしまったのだ。世界を二つに分けたまま、マーテルの器のために数えきれない神子を犠牲にした。ディザイアンをのさばらせて多くの人々を傷つけた。ハーフエルフは差別されたまま、何も変わらず苦しんだ。
「おっと。被害者面はよくないぜ。……そのお題目でおまえがやったことは……到底相殺しきれない」
「そうだ。我々がしてきたことの言い訳にはならぬ。それは動機であっても正当な権利には結びつかない」
「あなたのしてきたことで……数えきれない人たちが無意味な死に苦しめられた。その人たちの痛みを……あなたは……感じていますか?」
ミトスのしたことは許されない。虐げられたからといって人の権利を侵すことは許されない。苦しんでなお、絶望しないと決めたはずだったのに――私は彼の記憶を思い出すしかなかった。
「人は変わるものよ。たとえ今日が変わらなくても、一か月後、一年後と時間が経つうちに必ず変化が訪れる」
リフィルが言う。それは彼女自身、イセリアでの騒動で感じたことだったのだろう。
「すべては許されないかもしれません。でも償うことはできます。あなたの中にも神さまはいるでしょう?良心っていう神さまが……」
コレットが言う。再生の旅で苦しみ、そして犠牲になることを選ばなかったことでさらに苦しんだコレットにとってこれは贖罪の旅でもあったのかもしれない。彼女が祈り続けたのは、女神マーテルではなくコレットにとっての神さまだったのだろう。
私は何も言わなかった。目の前のミトスという少年に、言うべきことはもう言ってあったからだ。それでもなお彼の心が変わらないのなら――そのときに選ぶべき道は一つだと知っていた。
「許しを請うと……思っているのか?馬鹿馬鹿しい。神さまなんていないよ。だからボクは……ボクの理想を追求し続ける。ボクの居場所が大地になく、無機生命体の千年王国すらも否定するのなら、ボクはデリス・カーラーンに新しい世界を作るだけだ。姉さまと二人の世界を!」
剣を取らねばならないと、分かっていた。


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