高校最後のHRを終えた教室はひっそりと静まり返っている。黒板には『ご卒業おめでとうございます』という文字が四色のチョークで彩られ、たくさんの数式や英文で覆われていた姿はもはや見る影もない。綺麗に並べられた机の中身はぜんぶ空っぽで、もう持ち主が去ってしまったことを物語っていた。
廊下側の前から三番目。このクラスになって初めての席替えで引き当てた席。校庭から聞こえてくる喧騒を耳にしながらキーッと椅子を引いて腰かける。わたしが月島に出会ったこの席は、もう誰のものでもなくなってしまった。



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「苗字なまえさんってどの人ですか」

廊下側の窓から教室内を覗き込んだ彼は、背が高いからか少し腰を屈めていた。自分のことを尋ねられているというのに、わたしは口をポカンと開けた間抜け面でじっと月島を眺めていた。だって、こんな美少年の知り合いなんていなかったのだ。何も返事をしないわたしを怪訝に思ったのだろう月島は眉をひそめ、「聞いてますか?」とイライラしたように語気を強めた。

「わたしですけど」
「これ落ちてたんで」

ため息混じりに手に落とされたのは生徒手帳だ。本人ならさっさと返事しろよ面倒くさい、といった想いがにじみ出ていた。そして、わたしが言葉を発するのも待たずに「じゃあ渡したんで」と彼は立ち去ってしまった。何の繋がりもないわたしとこれ以上話をするのはメリットがないと踏んだのだろう。それにしてもお礼くらい言わせてくれてもいいんじゃない? 少しむくれて唇を尖らせたところに同じクラスだった菅原が「苗字、月島と知り合い?」と不思議そうに顔を傾けた。それから菅原に根掘り葉掘り聞いたわたしは次の日から月島のクラスに足しげく通うことになった。



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「なんだか懐かしいな」

あれからまだ一年も経っていないのに、随分と昔のように感じてしまう。あの頃に戻れたら、もう、間違えないで済むのだろうか。時間が解決してくれると思っていたのに、心臓を蝕む痛みはわたしをなかなか解放してくれない。目を閉じるだけでぽろぽろと零れ落ちるガラスの破片みたいな思い出は、日に日に鋭く尖ってわたしの胸をちくちく刺し続けていた。
だけどいつまでもこのままじゃいられない。そのガラスの切っ尖を、きれいに滑らかに、ガラス玉のように磨きあげたい。それから、心の奥の誰の目にも触れない場所にひっそりとしまい込んで、時に宝箱を開けるように密やかに愛でたいのだ。
胸元のリボンをきゅっと握って立ち上がり、スクールバッグを肩にかける。次の持ち主を待つ教室にさよならを告げて、わたしは一年生のフロアに足を向けた。
一年四組と掲げられた教室にたどり着き、中を覗き込む。中はガランとしているけれど、机の横にはジャージの入った袋がぶら下がっているし、後ろの棚にもまだたくさんの物が詰め込まれている。明日の日付、時間割、日直者。黒板に書かれていることも三年生の教室とは違う。ここにはいつもの日常が流れている。わたしと彼の時間は交わらないのだと証明するかのように。
月島の今の席はどこだろう。教卓に置かれた座席表を確認して月島の席に足を向ける。この机にこの椅子。みんなと同じ高さの机と椅子に、平均身長より高い月島が窮屈そうに座る姿を想像すると思わず頬が緩んでしまう。



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生徒手帳を拾ってもらった翌日。わたしは、お礼がしたいと言って月島の席の前に立った。だけどもちろん、わたしの要求なんて聞く人ではない。「なんにもしなくていいんで」と呆気なく断られてしまった。ただ、わたしは諦めが悪かった。「お礼させてくれないと毎日来るよ」と言えば、それだけは勘弁してくれと言わんばかりのしかめっ面になってヘッドホンを外した。
それからだ。昼休み、わたしはヘッドホンをつけて外の世界を断絶する彼の興味を引こうと奮闘した。ただでさえかっこいいと評判の月島が、こうも毎日先輩に絡まれているとさらに奇異の目に晒される。それに我慢ならなくなった月島はわたしを空き教室に連れ出した。そこでなら好き勝手話すことを許してもらえたのだ。昼休みにそこで落ち合うのが日課となって、月島が現れない日もあったけど、わたしが一人で待ってたことを知ると「馬鹿じゃないの」とバツの悪そうな顔をした。わたしはその顔が好きだった。素直じゃない月島の精一杯の「ごめん」だった。



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ゆびさきでそうっと机の表面を撫でる。彼は今、この席から何を見つめているんだろう。その目には、もうきっと、わたしの姿は映っていない。
滲む視界を拭い、ひっそりとした廊下を歩いて体育館の方へ向かう。どこからか歓声が聞こえたり、シャッターを切る音が聞こえたり。きっと部室や校庭で様々な別れが交わされているのだろう。それをBGMにして辿り着いた体育館横の用具室。扉に手をかけてみたけれど鍵がかかっていて入れない。小さく息を吐いてしゃがみ込む。夏休み前の球技大会。ここからわたしと月島は始まった。



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しゃがんでサボっていたところを菅原に見つかって、ジュース奢ってやるからサボるなって怒られて。二人でジュースを交換しようとしてたところに月島は現れ、汚い物を見るような目をわたしに向けた後、一度は通り過ぎた。わたしが月島を好きなことを知っていた菅原は、「今の絶対勘違いしたべ」と慌てて月島を追いかけ、何故かわたしと月島をこの用具室に押し込んだのだ。すぐに出ていこうと伸びた月島の手に自分のを重ねて「ちょっとだけサボらない?」と首を傾げると、月島は顔を背けた。

「苗字先輩って菅原さんのこと好きなんですか」

その言葉にわたしはこくりと唾を飲み込んだ。驚いた。月島がわたしの好きな人のことを気にしたのはこれが初めてのことだった。

「違うよ」
「じゃあなんで回し飲みなんてするんですか」
「未遂だよ」
「僕は好きな人以外とは出来ませんけどね」

月島が放つ言葉はナイフみたい。胸に刺さって抜けなくて、軽率なわたしが恥ずかしくて情けなくなる。じわじわとまぶたの縁に水気が迫り上がり、ぐっと奥歯を噛みしめる。
軽蔑するように冷たく言い放った月島は眼鏡の奥の瞳を細め、わたしの耳のすぐ近くにバンっと腕をついた。大きな音に思わず目を閉じ、用具室全体が震えたような気がして身を強張らせた。それから何も音がしなくなったのでゆっくりと目蓋を持ち上げると、月島は片手でミネラルウォーターのペットボトルの蓋を開け、口をつけた。美しい隆起を見せつけるように喉仏がこくりと上下して、水が流れてゆく様をぼうっと眺めていると、ペットボトルから口を離した月島は挑戦的に微笑んだのだ。水に濡れて赤く潤った唇でゆるりと弧を描きながら「飲む?」ってわたしを焚きつけたのだ。
静かに頷くと、「ムカつく」とぼそりと呟いた月島は、ひとくち、水を自身の口に含んでわたしに口づけた。驚いて半開きのままだった唇から生あたたかい水が流し込まれ、飲み干せなかったものが顎を伝ってぽたりと体操服に染みを作った。
月島は多分分かっていた。わたしが月島のこと、好きなこと。
唇を離した月島は苦しげに眉を寄せて「いい加減僕のこと好きって言えば?」とびしょ濡れになったわたしの唇をそっと親指で拭った。
それからつき合いだしたわたし達。ラブラブというには程遠かったけれど、一緒に図書室で勉強したり、手をつないで帰ったり、時には一緒にケーキを買ってはんぶんこしたり、それなりに恋人という関係を楽しんだ。
でも月島がわたしのことを好きだと言ったのはたったの一度きりだった。初めて肌を合わせたときの「一回しか言わない」という宣言どおり、喉から手が出るほどに欲しかったその二文字は、どんなにねだっても与えられることはなかった。
秋口にさしかかってくると、模試の判定に気持ちが左右されるようになって、ますます月島の言葉に安心したくなった。だけど、わたしが月島に縋りたくてしょうがなかった時期に、月島はバレーの深みにはまり込んで、置き去りにされたみたいでどうしようもなくさみしかった。
このままきっと交わることがないのかもしれない。そう思ったわたしは別れを決心した。重荷になんてなりたくない。足枷になんてなりたくない。わたしは、君の思い出の中できれいなままでいたかった。



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体育館から靴箱に向かう。わたしが彼に別れを告げた場所。引き止められることをほんの少しだけ期待して、見事に裏切られて、否応なく前を向かなければいけなくなった場所。
わたしの行く末を阻むように立つ靴箱は、もう誰の上履きも入っていない。最後の一足になってしまった自分のローファーを踵をそろえて下に置く。これを履けばさよならだ。履いてここを出れば、ぜんぶ思い出にしてしまえる。だけど、あと一歩が出ない。鮮やかに蘇る記憶がわたしを張り付けにしてしまう。
胸のリボンをきゅっと握って肺いっぱいに空気を満たす。それから、ろうそくの火を消すように息を吐き出して足に力を込める。くすぶり続ける想いも消えてしまえばいい。そう願ったときだった。

「帰るの?」
「あ、」

誰もいないと思っていたところに声をかけられたのでびくりと肩が大きく震える。振り返れば月島が靴箱に背を預けて立っていて、その表情からは何の感情も読み取れない。
会いたかった。でも、会いたくなかった。だって、会ってしまえば決心が揺らいでしまう。この想いはここに置いていきたい。わたしを傷つけない、まあるい思い出だけを持って帰りたかったから。
そんなわたしを知ってか知らずか、月島はゆっくりとわたしの方に歩み寄ってくる。彼の足が長いせいで、あっという間に距離が縮まる。パーソナルスペースに一歩踏み込んだ、恋人同士だった頃の距離に胸が震える。

「なんか言い残してること、ない?」

月島はわたしを諭すように少しだけ首を傾げた。出来る限りゆっくりと言葉を紡いで、はやる気持ちを意識的に抑えているような、そんな気がした。
言い残してること。言いたいこと。本当は両手に余るほど抱え込んでいる。
バレー楽しい? 彼女できた? 毎日寒いね。今はどのアーティストが好き? 合格したよ。また一緒にケーキ食べたいね。わたしのこと好きだった? わたしはまだ月島のこと。
ぜんぶぜんぶ押しとどめる。胸がいっぱいになって唇をかみしめて。溢れ出さないように、精一杯の笑顔を作り上げる。

「月島、久しぶり」
「久しぶり」
「元気だった?」
「まあそれなりに。っていうか、まだ僕の質問に答えてないよね」

自分の思っていた答えじゃなかったからか月島はわずかに溜息を吐いて、ほんの少し苛立ちを滲ませた。組んだ腕を人さし指でトントンと叩いて顔をしかめ、わたしが答えをはぐらかさないように予防線がはられてしまう。
だけどわたしは言うつもりはなかった。月島にバレないようにスカートの裾をつまんで、まっすぐ射抜いてくる琥珀色の瞳を見つめ返す。なんだか喉がカラカラだ。

「……言い残してることなんて何もないよ」
「嘘ばっかり。だったらなんで用具室なんて寄ったのさ」

目をそらしてはいけない。鋭い月島にはぜんぶバレてしまうから。そう思ってたのに、予想だにしない言葉に思わず目が泳いでしまう。平然を装うとすればする程、頭の中が真っ白になる。
ダメだ。こうなるとまたたく間に月島の手の内だ。適当な言い訳さえ思い浮かばず、何とか月島の爪先に視線を落として声を絞り出す。

「み、見てたの?」
「さっさと質問に答えてくれる? 僕が答えるのはそれからだから」

久しぶりの再会だというのに、この張りつめた空気は一体なんなんだろう。わたし達は円満に別れたはずだ。なのに、月島は笑顔を見せてくれないし、わたしの下手くそな笑顔の仮面を剥ぎ取るように矢継ぎ早に言葉を紡いだ。もったいぶった話し方はもうやめてしまったらしい。
頭の回転の早い月島に口では負けてしまう。だんまりを決め込んだわたしに彼は仰々しくため息を吐いた。もともと気が長い方ではないのだ。このまま黙っていればこの場を逃れられるかもしれない。きっと「じゃあいいよ。さよなら」と呆気なく諦められてしまうのだと。そう思っていたのに。

「ちょっと来て」

月島はわたしとの距離を一気につめて、二の腕を力任せに掴んだ。痛い、と抗議の声をあげてもお構いなしにずんずんと歩いてゆく。足の長さについても何の気づかいも見せてくれず、小走りになってしまう。
わたしはあまり月島のこういった焦ったような行動を見たことがなかった。月島はいつだって余裕綽々で、わたしをからかっては意地悪く微笑んでいた。真っ赤になって怒るわたしを満足気に見つめていた。どちらかといえば月島の方が年上に思えるくらいだった。だから今日みたいに余裕がない態度を取られると戸惑ってしまう。
必死になって月島についていけば、たどり着いたのは用具室だった。どうしてここに連れてこられたのか分からず混乱していると、月島はポケットから鍵を取り出して扉を開けた。職員室からわざわざ拝借してきたのだろうか。用もなく鍵を借りるなんてこと、する人じゃなかったはずなのに。
ぼうっと突っ立っていると再び腕を掴まれて用具室に引っ張り込まれる。壁に押しやられて、月島の腕がわたしの逃げ場を失くして、否応なく始まりのときを思い出してしまう。
込み上げてくるものに負けそうで唇を噛みしめる。月島の顔は見れない。どんな瞳でわたしを見ているのだろう。わたしはどんな風に月島の瞳に映っているのだろう。
俯いたまま身を固くするわたしの緊張をほぐすように、月島はわたしの髪をひと束掬い取ってゆるゆると梳いた。でもそんなことで張りつめた空気をどうにかするなんて出来ない。今からきっと質問攻めにされるのだろう。その度にわたしは、月島が納得する言葉を探し続けないといけないのだ。
するすると梳かれた髪が月島の長いゆびから零れ落ちる。同時に彼の唇がゆっくりと動き始める。

「ねえ、まだ僕に言わなくちゃいけないことあるでしょ」
「何もない」
「素直になりなよ。まだ僕のこと好きでしょ」
「自惚れないで」
「何とも思ってない相手の机を泣きそうな顔で触るんだ。相変わらずだね」

なじるような言葉にカッと顔が熱くなる。相変わらず。それは、わたしと菅原のことを言っているのだと瞬時に理解できた。気のない相手に思わせぶりな態度を取る。例えば、わたしが菅原としようとしてた回し飲みのような。そんなつもりなかったのに。ここで腹を立ててしまえば、もう、月島の思うがままなのに。
頭で分かっていたって気持ちをコントロールするのは難しい。ついつい月島を睨んでしまい、視線がぶつかる。すると、彼は勝ち誇ったようににこりと微笑んだ。

「いつから見てたの? 月島こそわたしのこと好きなんじゃない?」
「質問してるのは僕だって何度言えば分かるの」

どう足掻いても逃げられない。今までわたしは口で月島に勝ったことなんて一度もないのだ。
もうさっさと白状しよう。それから楽にしてほしい。このどうしようもない想い、受け取ってくれなくていいから代わりに丸めて捨ててほしい。
じわじわと目蓋に涙がせり上がる。月島の輪郭がぼやけて、意地悪な笑顔がよく見えない。目の前に体温を感じるのに、すりガラス越しに立っているような感覚だ。

「……好き。好きだよ。わたし、まだ月島のこと好き。ごめんね、気持ち悪いことして。でも、これで最後だから」

口にすれば溢れ出して止まらなくなる。ぽろぽろと鋭い破片が足元に散らばって掬われることなく落ちてゆく。
きれいなわたしを思い出して欲しかったのに、最後の最後にこんな醜態を晒すなんて最悪だ。
情けない顔を見られたくなくて俯けば、片手で腰を引かれ、後頭部が大きな手のひらで覆われる。いきなりのことに驚いてぱちりと一度だけ瞬きをすると、涙が一雫、頬の丸みを滑っていった。クリアになった視界で月島を見ると、どうしてだか熱っぽい瞳で射抜かれて、わたしは思わず息を止めた。まるで今からされることを分かっていたみたいに。体がぜんぶ覚えてたみたいに。

「最後なんて言うなよ」
「んっ、」

押しつけるだけの乱暴な口づけが、月島の余裕のなさを証明していた。目を閉じて月島の胸元を握りしめて縋りつく。合わさった唇から体温が溶けて、混ざって、どちらの唇が熱いのか分からない。体じゅうを熱が駆け巡り、くらくらする。ぜんぶどうでもよくなってしまう。
一体どれくらいそうしていたのだろう。一秒にも満たない気もするし、途方もなく長くも感じられた。押しつけられていた唇が名残惜しそうにゆっくりと離れ、最後に柔らかさを堪能するように食まれると、月島は鼻先をぶつけてこつんと額を合わせた。
眼鏡の奥の瞳が揺れている。月島の虹彩にわたしが映っている。琥珀に閉じ込められてしまったみたいに、絡め取られて動けない。

「僕も好きだから」

月島が目を伏せるのを瞬きもせずにじっと見つめる。苦しげに白状するような声色に慈愛のようなものが胸の内に芽生え、月島の頬にそっと触れた。
その行動に驚いたのか、月島はびくりと肩を震わせて目を見開き、再びわたしを瞳に映した。それから期待と不安の混じった眼差しを寄越して、頬に触れていたわたしの手を静かに握った。

「……二回目」
「は?」
「好きだって言ってくれたの二回目」

ずっと欲していた言葉がぐんぐんと体に染み渡る。乾いていた心に水が与えられたみたい。声が弾んでしまいそうだったのを必死に堪えて、月島がだいじに紡いでくれたその二文字をかみしめるようにゆっくりと口を開いた。月島はわたしから視線を逸らして眉を寄せ、少し考えたようだった。

「……ねえ、もしかして僕が好きって言わなかったから別れたいって言った?」
「そんなことは……」
「ごめん。もう数えなくていいよ」

どうしてぜんぶ分かってしまうんだろう。誤魔化してしまおうと思っていたのに、それは許されない。
月島は一瞬だけ切なげに唇を噛んで、その顔を隠すようにわたしの肩口に頭を乗せた。

「何度だって言うから」

月島の声がほんの少しだけ掠れて、握られたままだった手に力が込められる。それを機に、引っ込んでいた涙が睫毛を濡らしてパタパタと落ちて、そのわずかな振動を感じ取った月島が顔をあげた。それから、あふれる雫を零さないように丁寧に拭うものだから、わたしの心臓が甘やかな悲鳴をあげて仕方ない。どうしようもなくこの人が愛おしい。

「月島」
「うん」
「好き」
「うん、僕も好き」
「本当に?」
「じゃないと卒業式の後、先輩のこと探し回ったりしないから」
「ずっと会いたかった」
「僕も会いたかった」
「大好き」

本当にあの月島なのかと思うくらいに素直だった月島も、この頻度で心の内を吐き出すのはまだ慣れないらしい。「好き」を紡いでいた唇が、ぐっと真一文字に結ばれて、なんにも発さなくなってしまった。
好きだけじゃなくて、大好きも言ってほしい。どんどん欲張りになってしまうわたしは、少しあざといかもしれないと思いながらも首を傾げて、月島の制服の裾をくいくいっと二回引っ張った。

「大好きは言ってくれないの?」
「……大好きだからちょっとだけ黙って」

それに何か返そうと口が半開きになったところに、唇が塞がれる。口で言うより行動で示した方が早い。そんな節が月島にはあった。甘ったるい言葉もいいけれど、やっぱりわたしは月島のこの強引なところが好きで好きでたまらない。
中途半端に開いた唇の隙間からあたたかい月島の舌が差し込まれる。わたしが逃げないように後頭部を押さえ込んで、呼吸を奪うように何度も何度も角度を変える。
でもわたしは逃げるつもりなんてさらさらない。どこにも行かない。どこにも行けない。わたしはこれまでも、これからも、月島の手の内だ。
息つぎのために離した二人の唇が銀糸でつながっている。それをぺろりと赤い舌で舐めとる月島を見て、わたしはそうっと彼の心臓のあたりに手を添えた。規則正しく奏でる音。今からきっと、この音とわたしのがひとつに合わさる。

「月島って潔癖だと思ってた」
「そんなの僕自身も思ってたし。でもまあ、なまえのことになると見境がなくなるんじゃない?」

いつもわたしのことを先輩と呼ぶ月島が名前を呼ぶ。それがはじまりの合図。わたしはまるでパブロフの犬だ。だって、名前を呼ばれる度に体の芯が熱を持ち、脳みそがとろけて何にも考えられなくなる。そう仕込んだのは、他の誰でもない月島なのだ。
長くて綺麗な月島のゆびさきが、今日脱ぎ捨てるブラウスのボタンにそうっと触れる。そんな最後の聖域を侵すみたいな彼の仕草で、わたし達はまたひとつ大人になる。



星座になりそこねた僕等
らら様 / odatte

**後書

この度は素敵な企画に参加させていただきありがとうございました。月島くんのお話は今回初めて書いたのですが、実は夢小説歴でいえば誰よりもつき合いの長い大好きなキャラです。素直じゃないだけでとっても一途な月島くん。そんな彼が少しおとなになる瞬間を書きたくて生まれたお話です。楽しんでいただければ幸いです。
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