「苗字!わかってるな!?」
「わっ、か……わかってりゅ!」
「噛み噛みじゃん……本当に大丈夫かな……」
「てか田中、声でかい。気づかれたらどうすんの」
「俺の学ラン貸してやったんだから大丈夫だろ!大船に乗った気でいろ、な!」
「凄い……西谷が間違った使い方してない」
「毒を吐けるなら十分だ。いつも通りでいいんだよ」
「そうそう!素直に心のままに吐き出せば、自ずと言葉は出てくるはずだしな」
「……今から泣きそう。成田、ティッシュ貸して……」
「おいおいおいおい」
「こればっかりは本人の気持ち次第だし。……よし、そろそろ田中西谷は注意を引き付けて。いいか、やり直しは効かないからな。絶対にミスはするなよ」
「おう!任せろ! ………スガさーーーん!!」
「まだ時間結構ありますし!龍のものまね見てやってください!」
「ものまねってなんだよあいつら……」
「まあまあ、ほら、苗字」
「う、うん……」
「…………………」
「おい、縁下?……おま、まさか」
「よっこらしょ」
「うわっ!!?」

3月某日。県内各所で卒業式が執り行われる中、我が烏野高校も厳粛な雰囲気を終始まとって卒業式が行われた。ほとんど接点がない3年生だったけれど、わたしがマネージャーとして1年の時から応援し続けてきたバレー部の先輩たちが卒業するのは、凄く悲しい。そしてそれは、この2年、大事に育ててきた感情との決別を意味している。
けど、神様は何も言えずに臆病者のわたしに最後にチャンスをくれた。提案をしてくれたのは同学年のバレー部で、わたしは背を押されるように承諾した。
今だって、まだ怖い。感情をぶつけて、否定されたら?受け入れられなかったら?そう思うと、怖気付いて何も出来なくなってしまいそう。
……でも、せっかく彼らが用意してくれた舞台を、無駄にしたくない。
バレー部での送別会、注意を引き付けてくれた田中と西谷の影で縁下に物理的(強め)に背中を押され、階段前。
この先に登れば、どんな結末を迎えようとも引き返すことの出来ない場所に出る。震える手をぎゅっと握り、敵なんかどこにもいないのに前を睨む。

「苗字なまえ、いきます……!!」

力強く宣言して、胸に抱いた決意を語るべく一歩を踏み出した。




▽▼




「あああ!あそこに見えるのはなんだ!!」
「おお!あれは……あれはまさか我ら2年ズ紅一点、苗字なまえじゃないか?!」

何やら引き留めようとしてきた田中と西谷から出てきた名前に、俺だけじゃなく大地や旭、清水までもが、え、とふたりの指さす方向を見上げた。……というか、なんで西谷は制服ではなく練習着を着ているんだろうか。

「スガせんぱーーーーい!!」

しかしそんな疑問は大きな声と、ステージ脇の階段の先にある2階通路で腕を背中に回し、仁王立ちでこちらを見下ろす後輩の中でも一番可愛くて、何度も何度も一緒に帰った女の子の姿に全て吹き飛んでしまう。

「は……?え、苗字……?」
「なぜに学ラン……」
「あれは俺の学ランっすよ!」
「西谷の!?なんで!?」

ご丁寧に橙色のハチマキを巻き付けた彼女は、何か躊躇う仕草を見せた後、ぶんぶんと音がつくくらい頭を振って力強く眼下を───俺を、見た。

「話したいことがある!」

それはまるで、少し前に世に大流行をもたらした某番組の、未成年の主張のように。苗字は大きく声をはりあげる。

「なーーーにーーー??」

呆然と苗字を見上げることしかできない俺たちと1年を他所に、2年は全てを分かっているようにお決まりの言葉を返した。谷地さんにいたっては目を輝かせながらも汗を垂らしている。側に寄ってきた現主将が苦笑しながら「驚きますよね。2年全員グルなんですよ」と、教えてくれた。
やんややんやと囃し立てる田中と西谷は、盛り上がって指笛などをして元気よく跳ねている。

「2年4組、苗字なまえ!高校に入って、初めて好きな人ができましたー!」

好きな人。その言葉の意味を理解した瞬間、彼女以外の声や音が消えた。両隣から視線を感じるが、今はそんなものに構ってられない。自惚れなんかじゃない。だって苗字は、さっき俺の名前を呼んだ。なら、なら。

「誰にでも優しくて、でも、自分の弱さを誰よりも分かっている先輩は、ぜったい、逃げませんでした!あなたの胸を飾る造花を、わたしも付けたかった!」

体育祭の応援団長を意識しているのか、掠れるのも厭わずに叫ぶ。

「体育館前でおろおろしてたわたしを、マネージャーに誘ってくれた!へとへとのわたしを、家まで送ってくれた!」

「ほんの些細な変化でも、気づいてくれた!」

「綺麗な顔に似合わず激辛を好むその味覚も!」

「副主将としてキャプテンを支えて!時にはキャプテンとしての責務の影に隠れがちな本心を引き出す強引さも!」

───確信した。マネージャーに初めて誘ったのは俺だ。その後に、正式に誘ったのは大地だったけど……初めて、誘ったのは、紛れもない……俺。
その時のことを思い出しているのか苗字の表情は柔らかく、慈しみの色をまとう。空気とか、人の目とか、そんなもの関係なしに彼女の側に行って、強く強く、抱きしめたい。でも、でも今はまだその時じゃない。理屈とか根拠とか何もないけどそう思う。
その考えは当たっていたのか、言葉を切って、苗字は息を吸う。

「そんな、そんな優しくて強い菅原孝支先輩が大好きです!!」

本当は最後まで叫びたかった声も、その黒曜の目から溢れ出る大粒の涙と嗚咽によって叶わなかった。やりきったと言わんばかりに尻もちをついて、羞恥が上限突破しているのかわんわんと泣き続けている。
大好き“です”……過去形じゃなく、進行形。それは、俺の知っている感情で正しいと思う。だけど情けない。苗字の激情とリンクしていないはずなのに、目頭が熱くて仕方がない。動きたくても、縫い止められるかのように足が重く、踏み出せない。悔しい……悔しい、悔しい、でも……抱えきれない幸福だ。

「……行ってやれ、スガ」
「大地」
「根性を見せる時っすよ、スガさん!」

気づけば周囲の人間は泣くのを堪えて、俺に応援を向けてきている。日向と影山はなんだか試合最中のような目付きで見てくるからちょっと怖いな……。
……そうだ。思いを告げるのも、心境を吐露するのも、現時点で苗字に先に言われてしまった。カッコつけたかったのに、これでは旭をへなちょこなんて呼べないではないか。
乱雑に袖で目元を拭い、一度大きく深呼吸をして、一歩を踏み出した。

───今日で烏野高校を卒業する。でもそれは別離や悲しみだけじゃない。未来へ繋がる最初の一歩であり、苗字と、新しい関係を紡ぐ一歩なのである。だけど……そんな小難しい話も後ろで冷やかしの言葉を発してる大地と旭、2年1年を叱るのは後回し。


今は、きっと卒業式でも泣いただろうに、子供のように泣きじゃくる小さくて、愛しくて、誰よりも泣き虫な苗字を抱きしめに行こう。そうすればいつもの、俺が一番好きな陽だまりのような笑顔を、見せてくれるはずだから。



Graduation girl
みさんが様 / 紡ぎ月

**後書

素敵な企画に参加させていただきました、みさんがです。
卒業と学生……私はよく泣いたなぁ、と思い出しながら書いてました(笑)
主催のチコさん、この度は企画に参加させていただいてありがとうございました…!
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