※執事×主人パロ 「アイチ様、お目覚めの時間です」 カーテンから差し込む朝日によって広々とした部屋に一日の始まりが告げられる。そんな清々しい朝に主人を起こそうと試みる執事が一人。 ベッドの傍らに立ち、形式的に主人に起床を促す。だが主人は起きない。 「おい、アイチ。起きてるんだろ」 呆れながらもいつものことだと思い、囁くように耳元で告げる。 「えへへ。バレたー?」 「バレた?じゃない、早く起きろ。 …今朝は旦那様と一緒に朝食を取ることになっていたはずです」 「…うん」 櫂はアイチの寝癖のついた髪を梳き、召し物を身に付けさせ、仕上げに胸元のリボンを結ぶ。朝に弱い手のかかる主人に手を焼きつつもてきぱきと順当に支度を済ませ、一日の予定を告げる。ここまではいつも通り。アイチが起きる際に愚図るのも予想の範疇内。 「ほら、行きますよ」 そう一言付け加えた後、朝食の後はバイオリンの練習でその後は妹のエミ様との昼食、そして…と先程伝えた予定を反芻しながら扉へ向かう。 そこで、ふいに体が後ろに引っ張られる感覚を覚える。振り返り後ろを見遣るとそこには櫂の服の裾を引き俯くアイチの姿があった。これは想定外。 「いやだ」 突然そう言い出したアイチに何が、と言いかけそうになったがその意味を理解し既の所で言葉を飲み込む。恐らく今から起こる旦那様との会話を予想してのことだろう。 数ヶ月前から噂になっていた婚約の話。単なる噂で終わると思われたが、父親の口からアイチに直接告げられたのはつい最近の話。 先導家の御曹司であるアイチに婚約の話が来るのはおかしいことではない。いずれどこかの令嬢と結婚して先導家を担っていくという筋書きになっていること位櫂自身もわかっている。 アイチの一言はそれに対するささやかな拒絶なのだろう。 「アイチ…様。お気持ちは察しますが、でも今は行くしかありません」 「…違う。櫂くんが考えていることは多分、僕の考えていることと違う」 婚約者の件ではないのか、と尋ねれば、アイチは只こくりと頷くだけ。じゃあ何なんだ、と半ば責めるように問う。最早櫂には見当がつかなかった。婚約の件については拒絶していないということは受け入れてもよいという意思表示なのか、と櫂の心を曇らせる。しかし暫くの沈黙の後、アイチが発した言葉はまたもや櫂の想定外のものであった。 「あのね…婚約の件はもちろん嫌だよ。でも、僕が一番言いたいのはね、えっと……様、付けはやめて欲しいんだ。あと、敬語も」 「アイチ…何、を」 アイチに、思いもしなかったことを言われ二の句が継げない。だが原因は只それだけではない。 幼い頃から仕えていたとしても自分はただの執事であり、アイチは主人である。たまに常体で話すが、やはり基本的には敬語を用いなければならない。そう理解をしているからこそ、このアイチの発言には反応に困るのであった。 「いや…あのね…わかっているんだよ。公の場でとは言わないから、せめて僕と二人っきりの時だけは、アイチって呼んで…下さい」 「ふっ、何だよそれ。お前が敬語が使ってるぞ」 「あっ、思わず。でもお願い事なんだし敬語でいいでしょ?」 「…勝手にしろ。それより、早く行くぞ」 「え…あ、待ってよー」 首を傾げ視線を投げ掛けてくるアイチに堪えきれず櫂は踵を返し足を速める。手のかかる主人ではあるがやはり愛おしく思われ、尽くすのを辞められない。 あれやこれやと想定外事項を繰り出す主人に振り回される執事の一日はこうして始まるのである。 |