trick or treat
首筋を伝った汗が重力に従ってぽたりと落ちると、木質の床が僅かに色味を変える。その様子を何気なく視界に留めながら引き続き腕立て伏せを繰り返していれば、不意に背後のドアが開く音が聞こえて。
渋々体勢を起こして振り向いてみたら、目が合うなり底抜けに嬉しそうな笑顔を向けられたものだから若干の警戒心が芽生える。……えっと、なに?なんなの?
「なまえ!」
「な、なんでしょう」
「お前こんな殺風景な倉庫で俺と会っちまうなんて本当にツイてねーなァ」
…え?なにそれ自虐ギャグ?
笑えばいい?笑った方がいい?
「あ、あはは」
「トリックオアトリート」
「あはは、…は?」
テンガロンハットに代わってコック帽を頭に乗せ、これまたコック服を上下に身に纏うエースを不信感マックスの目で見据えてやる。
…てか、多分だけどそれ仮装?だいぶ準備不足っていうか雑な感じがするけど。
「4番隊で借りてきたの?」
「トレードしてきた」
「トレード?誰と?」
「サッチ」
「ええっ、嘘でしょ!じゃあ今サッチ上裸?なにそれすっごい見たいんだけど!」
タオルで顔の汗を拭いつつ笑いを溢すと、痺れを切らしたらしいエースが目の前まで来てストンと蹲み込んだ。コックさん仮装のおかげなのか、ヤンキー座りをしていてもそこまで柄が悪く見えないのが少し面白い。
「なあ、なまえ」
「ん?」
「俺、言ったぜ?」
「言ったって?」
「トリックオアトリート」
「あー、うん」
「うん、じゃなくて」
菓子がねえならイタズラすんぞ、と首を傾げながら妖しい笑みを浮かべるので負けじと笑顔で対抗する。だいたい誰がいつ手ぶらだなんて言った?備えあれば憂いなし。こんなこともあろうかと持ってるんですよねー、実は。
「はいどーぞ」
「……なんだこれ」
「どう見てもチョコじゃん」
「でっ、デロッデロじゃねーか食えねーよ!」
そりゃあね。筋トレしてたから絶賛体温上昇してたし。そんな中ポケットに潜ませてればデロッデロにもなるでしょうよ。だけど、お菓子はお菓子。
文句なんて受付けませんとも!
「さ、お菓子は渡したんだから交渉成立ってことで。わたしはトレーニングの続きすっ、る?!」
腕立てを再開させようと、エースに背を向け床に手をついた瞬間だった。突然両足首を鷲掴まれたかと思えば視界がぐるっと回り、気付けば目の前にはコック帽を脱ぎ捨て、見るからに不満げなエース。な、なんだなんだ…。
「チョコじゃ不満だと?」
「たしかにチョコの状態にも不満はあるけどそれ以前に菓子持ってたことが1番の不満だっての!」
普通筋トレにチョコ持ってくるか?なんて苦虫を噛み潰したような顔でぐちぐち言うエースが果てしなくめんどくさいんだけどどーしよう。
「あ、じゃあこれもあげる」
「………」
仕方なくポケットに入れてたガムを一粒分け与えてあげたっていうのに、余計に渋い顔をされたからわけがわからない。もっと喜ぶべきだ。おかしい。
「これでもまだ満足できないってか」
「いや、なんつーか女子力の欠片もねーよなお前」
「なんでよチョコって割と女子力高いと思、」
「溶けてなかったらの話な!」
あーもう、人の足首を掴んだままわあわあ騒ぐんじゃないよまったく…。そんなことを思いながらごく自然な流れで腹筋を開始すれば、眉を釣り上げたエースに思いきりデコを押し返された。
「今は筋トレよりトリックオアトリートだ!この筋肉バカ!」
「はあ?筋肉バカとかエースにだけは言われたくない!」
「なんだと!」
「だいたいそのチョコだって溶けてるけど味はチョコじゃん!どんな状態でも食べちゃえば一緒だからね!ほら、貸してみ!」
言いながらチョコの小袋を取り上げ、勢いよく封を切る。
そして、後悔した。
「……」
「あーあ。言わんこっちゃねえ」
こんな時ばかりは自分のガサツさに心底嫌気が指す。デロデロに溶けきったチョコによって見事コーティングされてしまった左手を見下ろし静かに萎えていると、今まで足首を掴んでいたエースの手がスッと伸びてきて。不思議に思いながらもその行動を眺めていれば、掴まれた手首がグイっとエースの顔の前まで引き寄せられたから瞬時に嫌な予感が過ぎった。
「ちょっ!何すんの!」
「多分なまえが想像してる通りのこと」
「ま、待って!無理!やめて!」
「どんな状態になってもチョコはチョコ、なんだろ?」
目を伏せながら言ったエースに躊躇なく歯を突き立てられ、その痛みに小さく顔を歪める。
ていうかこんなのルール違反もいいとこじゃない?おかしくない?
「お菓子あげた上でイタズラもされるってそんなの救いの手ナシじゃん!ずるい!」
「人聞きが悪ィな。俺はただもらったチョコを食ってるだけだろ?」
それのどこが狡いんだ?と悪意の見え隠れする笑顔でけろっと言ってのけたエース。
……そうか。そうですか。
そっちがその気なら結構。
拘束されていない右手でコック服の胸ぐらを掴みあげてグッと引き寄せると、仕返しだと言わんばかりに例の一文をぶつけてやった。
「トリックオアトリート」、と。
けれど、それを聞くなり待ってましたとばかりの満面の笑みを向けられてさっきまでの勢いが一気に萎んでいくのを感じる。
な、何か企んでるなエースのやつ…。
「腐ったお菓子とかダメだからね!」
「あァ」
「激辛チョコみたいな変なのも受けとんないよ!」
「安心しろよ。なんも持ってねえから」
「……は?」
思わず素っ頓狂な声を出せば、ニッと歯を見せて「悪ィけどイタズラ希望だ」なんて言うので密かにエースのマゾっ気を疑ってしまった。
いや、だって、ええっ?
「でもまあアレだ。散々女子力の低いモンばっかもらったからよ、イタズラぐらい女らしいヤツでよろしく頼む」
うっわあ…。その挑発顔、絶妙にイラっとくる。てか女らしいイタズラって何?清々しいくらいに下心丸出しだなオイ。
「ま、なまえに出来る女らしいイタズラなんてたかが知れてるけどな」
「……へえ」
こんなやっすい挑発に乗る気はない。
けれど、少し悔しかったので胸ぐらを掴む右手の力を緩めてその手でコック服のボタンをひとつ外せば、途端にエースの表情がカチンと固まった。
ひとつ、またひとつ。
ゆっくりとボタンを外していくと、正面からゴクリと生唾を飲む音が聞こえる。
「ねえ?女らしいイタズラってさ、こーいうことでしょ?」
4つ目のボタンに手を掛けながら視線を上げると、胸元を大きくはだけさせたエースと目が合って。
はだけるって言っても普段が半裸なだけにあんまりインパクトがないなー、なんて的外れなことを考えていれば段々とその瞳が熱を帯びていくのがわかった。…うん。早くも頃合いかもしれない。
「なまえ…、」
「ごめんエース」
「…は?」
「一応目的はイタズラだから」
我ながら胡散臭い笑顔を浮かべつつ、エースの腹元へと素早く左手を伸ばす。
そして、ペタリ。
コック服の上からその鍛え上げられた腹筋に触れた途端、普段は切れ長な双眼がこれでもかって程にまん丸く見開かられた。
「あああぁっ!お前…!」
「散々好き勝手してくれたお返しですー」
「だからってコレはやべェだろ!さすがに!」
白いコック服によく映える茶色い手形。それを見下ろしてわあわあと騒ぎ立てるエースの顔色はあまりよくないように見えるものの、「やるなら徹底的に」がわたしのモットーだ。
残りひとつとなった最後のボタンに手を掛け、にやりと笑顔を向けながらコック服をするりと脱がす。そして足取り軽くドアまで駆け寄ると、廊下の方を向きつつすーーっと思い切り息を吸い込んだ。
(サッチー!エースがコック服汚してるー!)
(やめろバカなまえ!まじで可愛くねえ!お前のイタズラすっげえ可愛げがねえ!)
(あっ!居た居た!サッチー!)
(だあぁ!なんでもねえ!なんでもねえから来んなサッチ…!)
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ハロウィンの季節ですねー。
いつか自分でかぼちゃくり抜いてMYジャックオランタン作りたいな〜(´・ω・`)